スープカレーをご馳走になったのも佐々木さんだが、この4年間北見でお世話になっているのも佐々木さんと言う名前。一日に佐々木さん3人にお世話になる日。一昨年の雪の夜ライヴ前にコンビニに行って財布を落とした事件から2年。まだ私の財布君はそう遠くないところにいるのだろうか、、。
ともあれ、ささきのりあきさんは四国愛媛の今治は「ブリキのがちょう」のさんちゃんの友人。若い頃、札幌で二人して沢山思い出作った仲らしい。去年も来られず、今年もさんちゃんは北海道には合流できなかった。新装開店してまだ間もない店で奮闘中らしい。元気な証拠。
会場は「ウッドストック」マスターのガンジーさんは最近体調をこわしてしまったそうで随分痩せていたけれど、娘さんがしっかり者でカウンター、ホール、そして父親がお酒飲みすぎていないかのチェック忙しい。
寒い夜だったのだけれど、暖房がステージに直接あたるので、タイコがまた破れないように、そして私もギターと喉が心配で、少し客席が寒くしてしまってお客さんには申し訳ないことをしてしまった。でもみんな元気に冷たい生ビール何杯も飲んでる、、、体が違う!佐々木さんはいつも友人に一生懸命チケットを売ってくださる。音楽とはまったく畑違いの仕事だけれど、カラカラっと元気に明るい。そして鉄の肝臓。打ち上げはいつも私はみんなが語り飲んでいるそばで寝ている。今回はなんでも翌日早くに大事な仕事があるから控えめ荷と言っていたけれど、水のようにコップのお酒が消えて行く。
元ちゃんは、ウッドストックに戻り、パンディーロを持って来てくれていた青年達とセッションして、ガンジー氏に連れられてもう一軒だったようだ。一日くらい休肝日をつく、、、れないな、、北海道。
私が佐々木さんたちとわかれホテルで化粧を落としていると元ちゃんからの電話。「よしこさん、エレキで一緒に弾けませんか?」う〜ん、、悩む、ドラマーから誘われた、ベースもいるという、、しかしだ、行ったら最後ダメだ、つくづく彼らとの歳と体力の差を味わいながら、お風呂に浸かることを選択。正しかった、翌日昼食のときに前夜というかその明け方までの北見のオタノシミを聞かされただけで私は佐々木さんと元ちゃんがカレーを平気で食べているそばでウドンを食した。
北見から幕別に出発!
ロングドライヴだ。陸別から足寄を通る。足寄といえば、二人のMさんのふるさと。道の駅「足寄」はちょっとしたミュージアムになっていて二人のMさんのグッズとか、唄のMさんの使用したギターやら舞台衣装や、表彰状が展示されている。元ちゃんに等身大のMさんがラワン蕗畑で笑っている写真に私を寄り添わせての2ショット、ま、シャレの言うことにして置いてくださいな。
幕別についたのは、そんな遠足をして6時過ぎ。
この夜はこの旅でもうひとつのOFFの、それもパーティーの夜なのだ!
オーバードライヴの阿蘇さんが、去年から元ちゃんと約束していた日本一のラムの焼肉の夜なのだ。私は夜のためにうどんで我慢していたのだ!
2009年02月24日
11日は想いで深い北見ライヴ
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記
2009年02月23日
雪、風、波、氷
去年は初日女満別空港に到着してレンタカーを借りて、元ちゃんがどうしても私に食べてもらいたいものがあると言って、そのままオホーツクに向って走った。何処なのかも知らされないまま着いたのは紋別の海岸。生まれてはじめて見た流氷だった。揺れていた。砂浜の白と空の灰色と海のトーンのちがう灰色、そして空の色はもっと暗い灰色だった。
今年は9日が移動日、やっぱり行くのだ。紋別へ。
しかし、到着したのは日が落ちてからで、去年連れて行ってもらったスポットも真っ暗だった。でも浜まで行くのだ。真っ暗の中で聴こえる音は風と波。流氷も流れてきているのだけれどはっきりとは見えない。波打ち際まで元ちゃんは物凄い速さで歩いていく。私はズッポリ雪にはまったり岩の上で180度転回するアクロバット的すっころびをしながらやっと波打ち際に到着。ここでも元ちゃんは思ったそうだ。「まさか、よしこさんは来ないで車にもどっているかと、、」そうはさせないんだね〜、与那国探検を忘れたか永原君。
しかし冷えてしまい10分くらいで今年も退散。去年食べた「ナメタガレイ」はお店もしまっている時間。美味しいものばかり頂いた日々に感謝を忘れぬようにこの夜はコンビニご飯。その後、紋別の飲み屋街(これはなんといったらよいのだろう、昭和30年代の映画のセットみたいに風情あり、なんともいえない寂寞としたネオンがいくつか、、。去年お世話になった見上さんご夫妻がやっているアリババというお店に行く。見上さんのお店で唄うと言っていたのだけれど、どうしても日程が合わなかった。見上さんからは「約束したのに」と何度も言われてしまった、、。来年は必ずだな。それでも数曲お客さんの前で唄わせてもらって、私は早々とホテルに戻る。久しぶりにシンデレラにならないうちにバスルームで洗濯、そしてテレビ。オーストラリアの熱波のニュースなどを詳しく知る。
翌日は早起き。紋別のお年寄りのデイケアホームで演奏なのだ。
見上さんの紹介。しかし前夜元ちゃん&見上さんは朝方まで飲んでいたようで、まぁ二人ともご苦労様です。
この日のために私は家から童謡や唱歌の歌詞を用意してきた。「焚き火」「春の小川」「ふるさと」おばあちゃんたちは歌詞など見なくても殆ど唄える。小さい頃におぼえたことは忘れない。特に音楽は脳みそのある部分をかなり刺激するのだな、泣き出すおばあちゃんもいるし「茶摘み」の手遊びもみんな出来る、でもおじいちゃんとセッセッセとやろうとしたらずっと手を離さないんだ!やるなジイチャン!人生の先輩達に元気をもらった1時間。先輩と言っても私もあと20年もすればお仲間だ。来年も待っててね。
紋別から美幌へ。「プチパーティー」でのライヴだ。
寒い日だったけれど、ママが広いお店を暖めて待っていてくれた。この日はアンティークというプチのマスターや地元の人たちのバンド「アンティーク」と元ちゃんの友人〈先輩)の狩野さんが唄う。広いお店なのにお客さんが沢山集まってくれた。一生懸命呼びかけてくださったのだ。3組のステージだったけれど私も沢山唄った。元ちゃんのソロも、そして新曲「SHE SAID NO!」も。新曲は緊張するけれど、毎日毎日変化進化していく。
マスターは昼間仕事をして、お店を守っているそうです。若いカップル、でも優しくて頑張っている。
賑やかな打ち上げだったけれど、宿を北見にとっていたのであまり長居は出来なかった。寒い夜、皆さん本当にありがとう。
北見まで40分。
なんと、翌日、アンティークでギターを弾いていた佐々木さんと奥さんが北見までやってきていて、私が「スープカレー」を食べたことがないと前夜に言っていたら、昼休みのお店に電話予約して連れて行ってくださった。ありがたい!はじめてのスープカレーは複雑なスパイスが絡まった味で辛さは1倍から30倍まである。私は1倍。夜唄うからな。佐々木さんのご主人は30倍に挑戦したことがあると言う。しかしスパイスは漢方薬みたいな薬効製があるから食後が爽やかだよ、と言われたとおり、非常に爽やかな御昼寝をしてしまった。佐々木さんご夫妻、北見までご馳走様でした。
今年は9日が移動日、やっぱり行くのだ。紋別へ。
しかし、到着したのは日が落ちてからで、去年連れて行ってもらったスポットも真っ暗だった。でも浜まで行くのだ。真っ暗の中で聴こえる音は風と波。流氷も流れてきているのだけれどはっきりとは見えない。波打ち際まで元ちゃんは物凄い速さで歩いていく。私はズッポリ雪にはまったり岩の上で180度転回するアクロバット的すっころびをしながらやっと波打ち際に到着。ここでも元ちゃんは思ったそうだ。「まさか、よしこさんは来ないで車にもどっているかと、、」そうはさせないんだね〜、与那国探検を忘れたか永原君。
しかし冷えてしまい10分くらいで今年も退散。去年食べた「ナメタガレイ」はお店もしまっている時間。美味しいものばかり頂いた日々に感謝を忘れぬようにこの夜はコンビニご飯。その後、紋別の飲み屋街(これはなんといったらよいのだろう、昭和30年代の映画のセットみたいに風情あり、なんともいえない寂寞としたネオンがいくつか、、。去年お世話になった見上さんご夫妻がやっているアリババというお店に行く。見上さんのお店で唄うと言っていたのだけれど、どうしても日程が合わなかった。見上さんからは「約束したのに」と何度も言われてしまった、、。来年は必ずだな。それでも数曲お客さんの前で唄わせてもらって、私は早々とホテルに戻る。久しぶりにシンデレラにならないうちにバスルームで洗濯、そしてテレビ。オーストラリアの熱波のニュースなどを詳しく知る。
翌日は早起き。紋別のお年寄りのデイケアホームで演奏なのだ。
見上さんの紹介。しかし前夜元ちゃん&見上さんは朝方まで飲んでいたようで、まぁ二人ともご苦労様です。
この日のために私は家から童謡や唱歌の歌詞を用意してきた。「焚き火」「春の小川」「ふるさと」おばあちゃんたちは歌詞など見なくても殆ど唄える。小さい頃におぼえたことは忘れない。特に音楽は脳みそのある部分をかなり刺激するのだな、泣き出すおばあちゃんもいるし「茶摘み」の手遊びもみんな出来る、でもおじいちゃんとセッセッセとやろうとしたらずっと手を離さないんだ!やるなジイチャン!人生の先輩達に元気をもらった1時間。先輩と言っても私もあと20年もすればお仲間だ。来年も待っててね。
紋別から美幌へ。「プチパーティー」でのライヴだ。
寒い日だったけれど、ママが広いお店を暖めて待っていてくれた。この日はアンティークというプチのマスターや地元の人たちのバンド「アンティーク」と元ちゃんの友人〈先輩)の狩野さんが唄う。広いお店なのにお客さんが沢山集まってくれた。一生懸命呼びかけてくださったのだ。3組のステージだったけれど私も沢山唄った。元ちゃんのソロも、そして新曲「SHE SAID NO!」も。新曲は緊張するけれど、毎日毎日変化進化していく。
マスターは昼間仕事をして、お店を守っているそうです。若いカップル、でも優しくて頑張っている。
賑やかな打ち上げだったけれど、宿を北見にとっていたのであまり長居は出来なかった。寒い夜、皆さん本当にありがとう。
北見まで40分。
なんと、翌日、アンティークでギターを弾いていた佐々木さんと奥さんが北見までやってきていて、私が「スープカレー」を食べたことがないと前夜に言っていたら、昼休みのお店に電話予約して連れて行ってくださった。ありがたい!はじめてのスープカレーは複雑なスパイスが絡まった味で辛さは1倍から30倍まである。私は1倍。夜唄うからな。佐々木さんのご主人は30倍に挑戦したことがあると言う。しかしスパイスは漢方薬みたいな薬効製があるから食後が爽やかだよ、と言われたとおり、非常に爽やかな御昼寝をしてしまった。佐々木さんご夫妻、北見までご馳走様でした。
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記
2009年02月19日
釧路の二日間
白糠のドラマティックな時間を過ごして、釧路の「港のビール工場」へ。その前に翌日の会場「ラルゴ」でランチ。ラルゴの一階は素敵な古本屋さんだ。私はアイヌの歴史の本を探す。本店にあるかもと店長の直樹君が翌日までに探してくれると言う。元ちゃん、ラングストン・ヒューズの私が持っていない〈欲しいシリーズなんんだけどな)シリーズ3冊ご予約(やられた)あ〜古本屋さんってなんて楽しい場所!!
ホテルでお約束の御昼寝。ビール工場はちょっと淋しい港に突然ある。地ビールを作っている。この夜は会員の人たちのちょっとした宴会で、私たちの演奏はビールを飲み鍋をつつきワイワイと楽しんでいる40人ほどのお客さんのためのお楽しみコーナー、時間も1時間弱と言われて、それはそれで凝縮の演奏。元ちゃんのために地元のミュージッシャンの方が自分のジャンベを持ってきてくれたし、賑やかななかで賑やかな唄ばかりでぶっ飛ばした!でもそれはそれで楽しんでもらえたみたいで、何よりこの場所で唄わせてもらえるように市に掛け合ってくださった白糠の池村さんに感謝。そうそう、私たちが控え室で待機しているあいだにムネオ氏が5分ほど挨拶に来ていたようだ。昼間テレビで根室のデモ行進に参加していたのを見たな、〈北方領土の日だったのだ)元気だ、フットワーク軽いな。最後に釧路市長が挨拶に来た。CDも買って、握手をされた。したのではないされた。さすがは握手のプロだった。
早めに終わったステージ。池村さんは白糠に戻る。ムネオ氏よりもフットワーク軽い。そして音楽の趣味も違うか。。。。。。
私はホテルへ、元ちゃんと東京から遊びに来た友達はジャンベの恩人のところへラルゴの大介くんなどと出かけた。ホテルの近くの公園には氷で出来た滑り台があって、本当は私は滑りたかったのだけれど夜はガードがしてあって残念。しかし翌朝元ちゃんや大介くんに聴いたらなんと彼らは良い子がしてはいけないことをしてしまったようで、一名、滑り台で軽い負傷者あり。
ラルゴ、去年の同じ頃元ちゃんに連れてきてもらった。本屋さんの2階の喫茶店だから申し分ないでしょ。ながれている音楽も好きだ。しかしオーナー大介くんが生まれる前の音楽も沢山流れる。
若い人たちが集まってくれた。一生懸命お店もお客さんを集めてくれた。ありがたい。東京から新しいジャンベも届いて、びっちり2時間唄わせてもらった。若い人が沢山いてくれるとエネルギーの色も変わる。さぁ!加速してきたな。
大介くんのお母さんや、お友達があったかいお鍋を
つくってくださってみんなで打ち上げ。前日お願いしていた本が2冊用意されていた。すこしづつ唄いに行くことの出来た土地のことも知って行きたい。
人間地理学という素晴らしい本があるけれど、難しくてなかなか読めないまま家の本棚にあるけれど、私にも易しいアイヌや北海道の歴史の本、実際に身を運んだ後に読むときちんと頭にはいるものだ。歴史を勉強しなければ私は私の唄の半分は創れない。いいかげんはダメだ。北海道という大地の歴史の数ページを捲りはじめる。
ホテルでお約束の御昼寝。ビール工場はちょっと淋しい港に突然ある。地ビールを作っている。この夜は会員の人たちのちょっとした宴会で、私たちの演奏はビールを飲み鍋をつつきワイワイと楽しんでいる40人ほどのお客さんのためのお楽しみコーナー、時間も1時間弱と言われて、それはそれで凝縮の演奏。元ちゃんのために地元のミュージッシャンの方が自分のジャンベを持ってきてくれたし、賑やかななかで賑やかな唄ばかりでぶっ飛ばした!でもそれはそれで楽しんでもらえたみたいで、何よりこの場所で唄わせてもらえるように市に掛け合ってくださった白糠の池村さんに感謝。そうそう、私たちが控え室で待機しているあいだにムネオ氏が5分ほど挨拶に来ていたようだ。昼間テレビで根室のデモ行進に参加していたのを見たな、〈北方領土の日だったのだ)元気だ、フットワーク軽いな。最後に釧路市長が挨拶に来た。CDも買って、握手をされた。したのではないされた。さすがは握手のプロだった。
早めに終わったステージ。池村さんは白糠に戻る。ムネオ氏よりもフットワーク軽い。そして音楽の趣味も違うか。。。。。。
私はホテルへ、元ちゃんと東京から遊びに来た友達はジャンベの恩人のところへラルゴの大介くんなどと出かけた。ホテルの近くの公園には氷で出来た滑り台があって、本当は私は滑りたかったのだけれど夜はガードがしてあって残念。しかし翌朝元ちゃんや大介くんに聴いたらなんと彼らは良い子がしてはいけないことをしてしまったようで、一名、滑り台で軽い負傷者あり。
ラルゴ、去年の同じ頃元ちゃんに連れてきてもらった。本屋さんの2階の喫茶店だから申し分ないでしょ。ながれている音楽も好きだ。しかしオーナー大介くんが生まれる前の音楽も沢山流れる。
若い人たちが集まってくれた。一生懸命お店もお客さんを集めてくれた。ありがたい。東京から新しいジャンベも届いて、びっちり2時間唄わせてもらった。若い人が沢山いてくれるとエネルギーの色も変わる。さぁ!加速してきたな。
大介くんのお母さんや、お友達があったかいお鍋を
つくってくださってみんなで打ち上げ。前日お願いしていた本が2冊用意されていた。すこしづつ唄いに行くことの出来た土地のことも知って行きたい。
人間地理学という素晴らしい本があるけれど、難しくてなかなか読めないまま家の本棚にあるけれど、私にも易しいアイヌや北海道の歴史の本、実際に身を運んだ後に読むときちんと頭にはいるものだ。歴史を勉強しなければ私は私の唄の半分は創れない。いいかげんはダメだ。北海道という大地の歴史の数ページを捲りはじめる。
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2009年02月18日
2月5日飛行機だ〜!
私も元ちゃんも無事に羽田チェックイン。搭乗口を通過してやっとほっとする。これは毎回なのだ。前夜はツアーブルーと私は言わせてもらっているのだけれど、10日以上の長旅の前日は荷造りをしながら結構情緒不安定になる。嬉しいんだけれど、旅を重ねるごとに、体調管理の難しさや思わぬトラブルを経験していくと人間は守りの心が生まれる。これはあたりまえかもしれないし、考えようによっては、「慣れ」に陥らないための心の準備かもしれない。
釧路丹頂空港には、ここ数年お世話になっている池村さんが迎えに来てくださっていた。この日はライヴはないのだけれど、冬の北海道、余裕を持ってマエノリ。夜は池村家にて少人数の前夜祭。えっちゃんのタコはもちろん、毛蟹一人一杯づつ、タラバ何本食べたか???えっちゃんのだんなさんが採ってきてくれた魚。少し立って私に「ウララスゥエ」を教えてくれた良子さんもやってきて、遅れたのは「アイヌ語教室」の先生をしてきたからだそうで、あ〜それもいきたかった、、でもご馳走には勝てなかった、、そして池村さんの奥さんも参加してキムチ鍋!とにかく飲む飲むみんな飲む。私は池田町民還元ワインをいただきました。「譚高譚」という紫蘇の焼酎をご存知だろうか?今は全国区になったこの焼酎は白糠産。仕掛け人は池村さん。ともかく町を元気にしていくことに命を懸けている。池村さんの書く文字は本当に魂のこもった文字だ。私のライヴにも必ず唄から選んだ言葉を見事に書いて会場に飾ってくださる。宵の口からはじまったのに気がつけば午前二時の前夜祭。ただただ食べまくってしまった。初日からこんな美味しいものを頂いてしまうと問題だな。
翌日は昼過ぎまで就寝。ご飯食べてまた昼寝。これは沖縄スタイルに似ているな。
会場は「チセ」と呼ばれる集会場。「チセ」はアイヌ語で住居。大きな囲炉裏があり、西の方角には窓がある。
去年は囲炉裏の炭火で一酸化炭素中毒の一歩手前までいったから今年は気をつけた。元ちゃんも気をつけた。
リハーサルも終わり、奥では女の人たちが物凄い手際の良さで打ちあげの用意をしている。
本番まで1時間。用意された三平汁とホッキ貝の炊き込みご飯頂こうとしたその時、ステージに置かれた元ちゃんのジャンベの皮が見事に破けた!
私も夢であって欲しいとおもった瞬間だった。
いろんな友達に頼んで八方手を尽くしたけれど間に合わない。白糠にはもちろんジャンベはない、、。
池村さんが最後の手段で白糠中学金管部のコンガを運んでくれた。どんなに凄い音を出してくれる元ちゃんもコンガは辛かっただろうけれど、それでも1時間半以上ステージをやりきった。辛かったと思う、、でも聴いているお客さんは事情を知らない人が殆どで、終わってから「ひゃ〜、たいへんだったね〜」
こういうときは、なるべく永原元には近づかないことを旨としている。
美味しいお刺身やお汁頂きながら、今年も良子さんに唄を教えてもらった。今回はチョット難しいな。
凹みきってふっきれた元ちゃん、なんとか東京から代わりのジャンベの手配もできたようで、翌日は釧路のミュージッシャンの方々に借りる手はずも取れて。やっぱりおにぎり頬張ってぐいぐい飲んでいる元ちゃんに戻った(エライ)
なんともドラマティックな初日、白糠には伝説が降り積もる!
打ち上げの時に、女子と男子がキッチリと席が別れていたのがおもしろかったなぁ、、、。
釧路丹頂空港には、ここ数年お世話になっている池村さんが迎えに来てくださっていた。この日はライヴはないのだけれど、冬の北海道、余裕を持ってマエノリ。夜は池村家にて少人数の前夜祭。えっちゃんのタコはもちろん、毛蟹一人一杯づつ、タラバ何本食べたか???えっちゃんのだんなさんが採ってきてくれた魚。少し立って私に「ウララスゥエ」を教えてくれた良子さんもやってきて、遅れたのは「アイヌ語教室」の先生をしてきたからだそうで、あ〜それもいきたかった、、でもご馳走には勝てなかった、、そして池村さんの奥さんも参加してキムチ鍋!とにかく飲む飲むみんな飲む。私は池田町民還元ワインをいただきました。「譚高譚」という紫蘇の焼酎をご存知だろうか?今は全国区になったこの焼酎は白糠産。仕掛け人は池村さん。ともかく町を元気にしていくことに命を懸けている。池村さんの書く文字は本当に魂のこもった文字だ。私のライヴにも必ず唄から選んだ言葉を見事に書いて会場に飾ってくださる。宵の口からはじまったのに気がつけば午前二時の前夜祭。ただただ食べまくってしまった。初日からこんな美味しいものを頂いてしまうと問題だな。
翌日は昼過ぎまで就寝。ご飯食べてまた昼寝。これは沖縄スタイルに似ているな。
会場は「チセ」と呼ばれる集会場。「チセ」はアイヌ語で住居。大きな囲炉裏があり、西の方角には窓がある。
去年は囲炉裏の炭火で一酸化炭素中毒の一歩手前までいったから今年は気をつけた。元ちゃんも気をつけた。
リハーサルも終わり、奥では女の人たちが物凄い手際の良さで打ちあげの用意をしている。
本番まで1時間。用意された三平汁とホッキ貝の炊き込みご飯頂こうとしたその時、ステージに置かれた元ちゃんのジャンベの皮が見事に破けた!
私も夢であって欲しいとおもった瞬間だった。
いろんな友達に頼んで八方手を尽くしたけれど間に合わない。白糠にはもちろんジャンベはない、、。
池村さんが最後の手段で白糠中学金管部のコンガを運んでくれた。どんなに凄い音を出してくれる元ちゃんもコンガは辛かっただろうけれど、それでも1時間半以上ステージをやりきった。辛かったと思う、、でも聴いているお客さんは事情を知らない人が殆どで、終わってから「ひゃ〜、たいへんだったね〜」
こういうときは、なるべく永原元には近づかないことを旨としている。
美味しいお刺身やお汁頂きながら、今年も良子さんに唄を教えてもらった。今回はチョット難しいな。
凹みきってふっきれた元ちゃん、なんとか東京から代わりのジャンベの手配もできたようで、翌日は釧路のミュージッシャンの方々に借りる手はずも取れて。やっぱりおにぎり頬張ってぐいぐい飲んでいる元ちゃんに戻った(エライ)
なんともドラマティックな初日、白糠には伝説が降り積もる!
打ち上げの時に、女子と男子がキッチリと席が別れていたのがおもしろかったなぁ、、、。
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記
2009年02月05日
2009年01月20日
今年の初旅は栃木の小山
小山までは、渋谷から湘南ラインで1時間20分程度。しかし渋谷まで家からは1時間。荷物を持って東京の街を歩き電車の乗り降りの階段は久々の体にはなかなかキツイ。。。でも人並みをよけながら「あ〜はじまったな」と気合も入る。
どうやったってぶつかるんだよな〜、、もちろんそのたびに「ごめんなさい」
「すみません、降りま〜す」と言うのだが、相手からぶつかってくる事だってあるのだ、一言ぐらい何か言ってよ〜エクスキューズミー〜〜〜
オバサンだって頑張ってるんだからさ!
というわけで小山駅に到着。
今回のライヴを企画してくださったのは、星野直美さんという私より少し年下(しかしお子さんはうちより大きい)の女性。去年佐野の珈琲音という喫茶店ではじめて私を聞いてくださって、その後東京にも来てくださって、誘ってもらった。嬉しかった。こういう出会いが一番嬉しいのだ。自分というよりもこれは「唄」のおかげだ。ライヴにきて唄を聴いてくださる一人ひとりのお客さんには、その人だけの心の部屋がいくつもあって、そのどこかひとつの部屋の中にす〜っと潜り込んでいくコトバやメロディーがあるはずなのだ。
「良かった」とか「癒されました」とかそんな簡単なコトバでは顕せないその人だけの受け止め方があるのだ。きっと。
星野さんとの出会いもそういうことかもしれない。
会場は「たから園」というギャラリーで、若手作家の益子焼や絵画が飾られている。ここのご主人夫妻も優しい方々だ。けっこう作品は売れているのだそうで、何より入ったとたんに「ここは良い音がするぞ」と感じた。思ったとおりマイクをとおしても響きが素晴らしい。モニターなどは無用。若い青年二人がPAを手伝っていて、音樹くんと大介くんありがとう。
星野さんのご主人は外で寒いのに駐車場の整理をしてくださった。
お客さんは私くらいの年齢、若い人、年配のかた。地元の方々が20数名じっとじっと静かに2時間聴いてくださった。
ライヴにくることもないような方々もあったと思う、、、「イェィ!」なんてない。そのかわり一曲一曲唄い終わると、どこからともなく「ふ〜っ」という溜息があって、少しおくれて拍手をいただく。美しい空気だ。本当に私も体の力を抜いて唄えた。新春にこんな気持ちの良い夜をありがとう。
翌日、星野さんとお茶をして改札口まで送ってもらう。改札まできてもらうのはやっぱりぎこちなくて少しさみしくなる。旅の寂しい瞬間だ。
そして、はじまったな、今年も!
どうやったってぶつかるんだよな〜、、もちろんそのたびに「ごめんなさい」
「すみません、降りま〜す」と言うのだが、相手からぶつかってくる事だってあるのだ、一言ぐらい何か言ってよ〜エクスキューズミー〜〜〜
オバサンだって頑張ってるんだからさ!
というわけで小山駅に到着。
今回のライヴを企画してくださったのは、星野直美さんという私より少し年下(しかしお子さんはうちより大きい)の女性。去年佐野の珈琲音という喫茶店ではじめて私を聞いてくださって、その後東京にも来てくださって、誘ってもらった。嬉しかった。こういう出会いが一番嬉しいのだ。自分というよりもこれは「唄」のおかげだ。ライヴにきて唄を聴いてくださる一人ひとりのお客さんには、その人だけの心の部屋がいくつもあって、そのどこかひとつの部屋の中にす〜っと潜り込んでいくコトバやメロディーがあるはずなのだ。
「良かった」とか「癒されました」とかそんな簡単なコトバでは顕せないその人だけの受け止め方があるのだ。きっと。
星野さんとの出会いもそういうことかもしれない。
会場は「たから園」というギャラリーで、若手作家の益子焼や絵画が飾られている。ここのご主人夫妻も優しい方々だ。けっこう作品は売れているのだそうで、何より入ったとたんに「ここは良い音がするぞ」と感じた。思ったとおりマイクをとおしても響きが素晴らしい。モニターなどは無用。若い青年二人がPAを手伝っていて、音樹くんと大介くんありがとう。
星野さんのご主人は外で寒いのに駐車場の整理をしてくださった。
お客さんは私くらいの年齢、若い人、年配のかた。地元の方々が20数名じっとじっと静かに2時間聴いてくださった。
ライヴにくることもないような方々もあったと思う、、、「イェィ!」なんてない。そのかわり一曲一曲唄い終わると、どこからともなく「ふ〜っ」という溜息があって、少しおくれて拍手をいただく。美しい空気だ。本当に私も体の力を抜いて唄えた。新春にこんな気持ちの良い夜をありがとう。
翌日、星野さんとお茶をして改札口まで送ってもらう。改札まできてもらうのはやっぱりぎこちなくて少しさみしくなる。旅の寂しい瞬間だ。
そして、はじまったな、今年も!
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記
2009年01月10日
子供達の世界
たった二日間だったけれど、息子に会いに行く。今年で20歳だ。なんということだ!この時間のスピードは!
離れて暮らし始めて4年になろうとしている。
その間私は旅の日々がはじまった。
息子も離れた土地でのはじめての旅だった。
お互いに、離れていると殆どが自分のことで精一杯だ。正直なところそうだ。
でも親だからな、「ヨウイク」。。。はさせてもらっているわけで、それは私の唄を聴いてくださる方たちのおかげで出来たのだ。
だから休むことは出来なかったわけだ。おかげさまだ。
私の人生の一番の財産はやっぱりこの息子ということになるのか。。。
少なくともこれまでは。。。だからなんとか、まさに「一生懸命。。。上手に生きてこれなくっても」
何処に向って歩いていくのか???若い人たちが好きだ。頼りなく見えても好きだ。
自分の子供となるとなかなか客観視出来なくなるが、母親というのは死ぬまで楽観主義らしいと思う。自分の子供でありながら、これは未来そのものだ。
世界中の子供達とお母さんはそういう絆でつながっている。
子供達のためはイーコール未来だ。
私は未来が暗く悲しいものだとは思ってもいない。
ありがとう子供達。
世界中の子供達。
離れて暮らし始めて4年になろうとしている。
その間私は旅の日々がはじまった。
息子も離れた土地でのはじめての旅だった。
お互いに、離れていると殆どが自分のことで精一杯だ。正直なところそうだ。
でも親だからな、「ヨウイク」。。。はさせてもらっているわけで、それは私の唄を聴いてくださる方たちのおかげで出来たのだ。
だから休むことは出来なかったわけだ。おかげさまだ。
私の人生の一番の財産はやっぱりこの息子ということになるのか。。。
少なくともこれまでは。。。だからなんとか、まさに「一生懸命。。。上手に生きてこれなくっても」
何処に向って歩いていくのか???若い人たちが好きだ。頼りなく見えても好きだ。
自分の子供となるとなかなか客観視出来なくなるが、母親というのは死ぬまで楽観主義らしいと思う。自分の子供でありながら、これは未来そのものだ。
世界中の子供達とお母さんはそういう絆でつながっている。
子供達のためはイーコール未来だ。
私は未来が暗く悲しいものだとは思ってもいない。
ありがとう子供達。
世界中の子供達。
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記
2009年01月04日
相変わらずはいけない
強くなろう
勝てない時があっても、負けない、そう自分に。
「ありがとう」は無敵の心だ。
この瞬間(とき)に生きていられることに
ありがとう!だ!
勝てない時があっても、負けない、そう自分に。
「ありがとう」は無敵の心だ。
この瞬間(とき)に生きていられることに
ありがとう!だ!
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2008年12月31日
オキナワツアー最後の3日間
与那国〜石垣経由〜那覇空港、あ〜都会だ!1時間遅れでやってくる元ちゃんを空港のソファでタイツに刺さってしまった与那国の思い出を一本一本抜いて待っていたら、目の前のイスにギターを持ってじっとしている少年。なんと石垣のブルーズ・ボーイ五郎だった!「五郎!」と声をかけるとびっくりしていたけれど、東京で撮影があるのだと言う。そうか、那覇も石垣に比べたら都会だけれど東京か。。。デビューのための準備だという。その頑固で諂わず繕わない君の音楽を楽しみにしているよ♪
この夜は国際通りのすぐ近くの宿に泊まるだけ。とりあえず元ちゃんとご飯を食べて私は自室へ、元ちゃんは友人のやっている店にタイコをかかえて出かけた。
翌日、NaturalToneのノリさん&はっちゃんとランチをご馳走になる。本島二日間は、この二人の尽力で決まった。いつもお客さんとしてきてくれていたけれど、一緒に唄えることが何より嬉しい。やっぱり音楽をやっている人間は自分もやらなくっちゃつまらないもの。
一日目、宿の近く「FavoriteCafe」それほど大きな店ではないけれど、若い人たちが集まるカフェだ。はっちゃんの友人で弾き語りをするりかさんもコーラスで参加してNaturalToneのステージから始まった。店の奥でゆっくり聴かせてもらった。曲は全部ギターののりさんが創るらしい。のりさんらしい優しい唄ばかりだ。いつかはっちゃんも創るともっとおもしろくなるかもしれない、、忙しい仕事をしながら週末に音楽を楽しんでいるのだ。
翌日もあるので、全員早寝。
元ちゃんはめずらしく翌朝早起きしてレンタカーを借りて南部へ探検。北谷出発ギリギリに駅から走って帰ってきた。走る元ちゃんというのも珍しい。
というわけで、北谷(チャタン)にあるモッズへ。モッズは3年前までコザにあった。はじめて一人で本島を旅して唄わせてもらったのは3年以上たっているのか、、。北谷は若者が沢山集まるどこかグアムあたりにあるようなプレイスポットだ。観覧車もあるのだ。新しいモッズは前より広くて、さぁ、お客さんどうなるかな〜、、マスターの喜屋武(きゃん)さんは相変わらず音に凝っていて気持ちよいリハ。
そして心配をよそにお客さんがほぼ満員だ!もちろんはっちゃん&のりさん&りかさんがお客さんを呼んでくださった。そして私の友達も友達連れて随分来てくれた。殆どが私の唄を聴いてくれるのははじめてのお客さんだ。
ギターの応援に与那覇春樹さんも来てくれていて、というかりかさん、NaturalToneとのユニットという豪華なステージだった。
私のステージでは、ダルシマの伴奏ではっちゃんにTimeAfterTimeを唄ってもらった。そして元ちゃんのタイコのソロコーナーもあり、その後私は最後の曲でギターの弦を切ってしまうほど弾けていた。自分でもビックリ!そして最後は出演者全員で私もはっちゃんもりかさんもハンドマイクで「STAY」!ビッグバンドだ!
あ〜終わりたくないよ〜帰りたくないよ〜オキナワ〜と叫んでいた。
しかし、終わりはあるのだ。次の出会いまで。
のりさんに那覇まで送ってもらう。お世話になりっぱなしだ。
最後にアクシデント。元ちゃんが店にリュックを忘れてしまったと言う。
結局今度ははっちゃん&りかさんが那覇まで。。。。
う〜ん、私たちは今度のツアーでどれだけの人たちにお世話になってしまったのでしょう、、、。
出会ったすべての島々の人たちに感謝。なた来年も元気に唄ったり、語ったり、食べたり飲んだり、出来るように、オキナワは柔らかいけれど、私などが簡単に語ってはいけないほどの歴史と現実を抱えて、それでもしなやかに私たちを迎えてくれた。
この夜は国際通りのすぐ近くの宿に泊まるだけ。とりあえず元ちゃんとご飯を食べて私は自室へ、元ちゃんは友人のやっている店にタイコをかかえて出かけた。
翌日、NaturalToneのノリさん&はっちゃんとランチをご馳走になる。本島二日間は、この二人の尽力で決まった。いつもお客さんとしてきてくれていたけれど、一緒に唄えることが何より嬉しい。やっぱり音楽をやっている人間は自分もやらなくっちゃつまらないもの。
一日目、宿の近く「FavoriteCafe」それほど大きな店ではないけれど、若い人たちが集まるカフェだ。はっちゃんの友人で弾き語りをするりかさんもコーラスで参加してNaturalToneのステージから始まった。店の奥でゆっくり聴かせてもらった。曲は全部ギターののりさんが創るらしい。のりさんらしい優しい唄ばかりだ。いつかはっちゃんも創るともっとおもしろくなるかもしれない、、忙しい仕事をしながら週末に音楽を楽しんでいるのだ。
翌日もあるので、全員早寝。
元ちゃんはめずらしく翌朝早起きしてレンタカーを借りて南部へ探検。北谷出発ギリギリに駅から走って帰ってきた。走る元ちゃんというのも珍しい。
というわけで、北谷(チャタン)にあるモッズへ。モッズは3年前までコザにあった。はじめて一人で本島を旅して唄わせてもらったのは3年以上たっているのか、、。北谷は若者が沢山集まるどこかグアムあたりにあるようなプレイスポットだ。観覧車もあるのだ。新しいモッズは前より広くて、さぁ、お客さんどうなるかな〜、、マスターの喜屋武(きゃん)さんは相変わらず音に凝っていて気持ちよいリハ。
そして心配をよそにお客さんがほぼ満員だ!もちろんはっちゃん&のりさん&りかさんがお客さんを呼んでくださった。そして私の友達も友達連れて随分来てくれた。殆どが私の唄を聴いてくれるのははじめてのお客さんだ。
ギターの応援に与那覇春樹さんも来てくれていて、というかりかさん、NaturalToneとのユニットという豪華なステージだった。
私のステージでは、ダルシマの伴奏ではっちゃんにTimeAfterTimeを唄ってもらった。そして元ちゃんのタイコのソロコーナーもあり、その後私は最後の曲でギターの弦を切ってしまうほど弾けていた。自分でもビックリ!そして最後は出演者全員で私もはっちゃんもりかさんもハンドマイクで「STAY」!ビッグバンドだ!
あ〜終わりたくないよ〜帰りたくないよ〜オキナワ〜と叫んでいた。
しかし、終わりはあるのだ。次の出会いまで。
のりさんに那覇まで送ってもらう。お世話になりっぱなしだ。
最後にアクシデント。元ちゃんが店にリュックを忘れてしまったと言う。
結局今度ははっちゃん&りかさんが那覇まで。。。。
う〜ん、私たちは今度のツアーでどれだけの人たちにお世話になってしまったのでしょう、、、。
出会ったすべての島々の人たちに感謝。なた来年も元気に唄ったり、語ったり、食べたり飲んだり、出来るように、オキナワは柔らかいけれど、私などが簡単に語ってはいけないほどの歴史と現実を抱えて、それでもしなやかに私たちを迎えてくれた。
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記
2008年12月27日
はじめての与那国という国
今年の夏、ほんとうは与那国に行けるはずだった。しかし土壇場でキャンセルになった。だからこのツアーでの一番のワクワクは与那国島だった。しかしだ!そうしかし!またもやドタキャンになったのは出発間近一週間くらいの時。。。しかし、しかしだ!もう飛行機のチケットは買ってあるし、どうしても行く!と決めた。しかし、しかしだ!誰に?何処に?連絡したら行って唄えるの?私も元ちゃんも八方手を尽くして、、というか宝探しみたいにいろいろ調べた。元ちゃんなどはネットで民謡居酒屋まで調べていた。彼が言うには「カレーやさんのユキさんち」というところでやっていた人たちがいたという。さっそくユキさんちに電話してみると「最近は近隣への音の配慮でライヴをしていない」という、、でももしかしたら、、といって松田さんという役所にいる人の電話番号を教えてくれた。ビンゴ!だった。松田さんは私たちの受け入れを頼まれていたのだけれど、私用で島にいない時期なので断っていたのだった。しかしだ!そこをなんとか、「どんなところでも唄います」というかなりの強行オファーをしたら、「どうにかしましょうね〜」という返事!
羽田出発3日前に与那国行きは決まった。
石垣から与那国までの飛行時間は25分。しかしだ!そこは今まで行った島々とはまったく違う風が吹いていた。東シナ海の風だ。
松田さんは、東京に親戚の結婚式に行く予定を私たちのために取りやめてくださっていたことを迎えてくれた車の中で知った。なんということだ!申し訳なくて「すみません、わがままでした」と言うと、「2000キロも遠くから唄いたいとやってきてくれるんだから」と言われた。島を半周して放牧地や断崖絶壁の荒い海を見せてくれた。
ところで今夜唄わせてもらうところは?と聞こうと思っていたら、松田さんから「島で知り合いは?」と反対に聞かれた。
元ちゃんが「ヨモちゃんっていう女性が与那国のひとで、東京で友達になって、今は結婚してスイス?スエーデン?かな、、」
松田さん「え〜!今夜お借りする家は、そのヨモちゃんの実家だよ!」
これには元ちゃんびっくり!私も一緒にビックリ!そんな偶然が日本最西端で起こるのか???
まずは電話でお世話になった「ユキさんち」にて美味しいカレーをご馳走になる。そして民宿さきはら荘へ。そこにもヘルパーで働いていてつい最近まで波照間で働いていた女の子がいて彼女が波照間で私のCDを聴いていて、、という嬉しい偶然もあった。
会場は田頭(たがみ)さん宅。立派な民家だ。玄関先には子供達のための読みきかせの本が並んでいて、件のヨモ(四方)ちゃんの妹さんのルツちゃんは洋服のリフォームなどをしている。田頭ご夫妻に元ちゃんと四方ちゃんの話をしたらやっぱり驚かれたが、もっと私が驚いたのは、スエーデンにいるヨモちゃんにネット電話(テレビ電話だ!)で元ちゃんが彼女の実家にいることを連絡してスエーデンにもビックリが飛んでいったことだ。
気持ちの良い空間で窓も出入り口も開け放して唄い出す。島の人たちが静かに聴いてくれる。本当に気持ちよい時間だった。
台所ではささやかな、しかしご馳走だったな〜打ち上げを用意してくださった。なんとこのライヴが決まったのは前日だったらしい。
ヨモちゃんのお父さんもお母さんも優しい、そして島の唄を勉強している青年とお父さんの横笛で一曲。これは元ちゃんのリクエストで、子猫のことを唄ったものだ。島では伝承していく人達が減っているという。
突然嵐のようにやってきた私たちに、一宿一飯、手厚いおもてなしだった。
翌日は飛行機が夕方なので、松田さんの車でまた島を廻る。途中で松田さんは仕事に、車を借りて島探検。気になるスポットへ。しかし踏み込んだとたんにジャングルになった。私のタイツには花のトゲトゲがハリセンボンみたいに刺さって痛い!しかしだ!ズンズンと分け入っていく元ちゃんの後を死に物狂いで追いかけて行く。もともと私はこういうの好きなんだな〜でも若者にはかなわないな〜、、そしてかなりパワーを感じる場所まで行ったが、それ以上はやめた。島にはやたらに入ってはいけない場所があるものなのだ。それを感じたので短い探検は終わった。元ちゃんから「まさかよしこさんついてくると思わなかった」と言われ「ふ、ふ、ふ、アナドルナヨ」というわけで、私は一足先に那覇まで。たった一泊二日の与那国は優しい人たちとの出会いと、自然の不思議厳しさ(台風は悲惨だ)のなかでスクっと存在する王国だった。
また会えるな、みんなに。感謝。
羽田出発3日前に与那国行きは決まった。
石垣から与那国までの飛行時間は25分。しかしだ!そこは今まで行った島々とはまったく違う風が吹いていた。東シナ海の風だ。
松田さんは、東京に親戚の結婚式に行く予定を私たちのために取りやめてくださっていたことを迎えてくれた車の中で知った。なんということだ!申し訳なくて「すみません、わがままでした」と言うと、「2000キロも遠くから唄いたいとやってきてくれるんだから」と言われた。島を半周して放牧地や断崖絶壁の荒い海を見せてくれた。
ところで今夜唄わせてもらうところは?と聞こうと思っていたら、松田さんから「島で知り合いは?」と反対に聞かれた。
元ちゃんが「ヨモちゃんっていう女性が与那国のひとで、東京で友達になって、今は結婚してスイス?スエーデン?かな、、」
松田さん「え〜!今夜お借りする家は、そのヨモちゃんの実家だよ!」
これには元ちゃんびっくり!私も一緒にビックリ!そんな偶然が日本最西端で起こるのか???
まずは電話でお世話になった「ユキさんち」にて美味しいカレーをご馳走になる。そして民宿さきはら荘へ。そこにもヘルパーで働いていてつい最近まで波照間で働いていた女の子がいて彼女が波照間で私のCDを聴いていて、、という嬉しい偶然もあった。
会場は田頭(たがみ)さん宅。立派な民家だ。玄関先には子供達のための読みきかせの本が並んでいて、件のヨモ(四方)ちゃんの妹さんのルツちゃんは洋服のリフォームなどをしている。田頭ご夫妻に元ちゃんと四方ちゃんの話をしたらやっぱり驚かれたが、もっと私が驚いたのは、スエーデンにいるヨモちゃんにネット電話(テレビ電話だ!)で元ちゃんが彼女の実家にいることを連絡してスエーデンにもビックリが飛んでいったことだ。
気持ちの良い空間で窓も出入り口も開け放して唄い出す。島の人たちが静かに聴いてくれる。本当に気持ちよい時間だった。
台所ではささやかな、しかしご馳走だったな〜打ち上げを用意してくださった。なんとこのライヴが決まったのは前日だったらしい。
ヨモちゃんのお父さんもお母さんも優しい、そして島の唄を勉強している青年とお父さんの横笛で一曲。これは元ちゃんのリクエストで、子猫のことを唄ったものだ。島では伝承していく人達が減っているという。
突然嵐のようにやってきた私たちに、一宿一飯、手厚いおもてなしだった。
翌日は飛行機が夕方なので、松田さんの車でまた島を廻る。途中で松田さんは仕事に、車を借りて島探検。気になるスポットへ。しかし踏み込んだとたんにジャングルになった。私のタイツには花のトゲトゲがハリセンボンみたいに刺さって痛い!しかしだ!ズンズンと分け入っていく元ちゃんの後を死に物狂いで追いかけて行く。もともと私はこういうの好きなんだな〜でも若者にはかなわないな〜、、そしてかなりパワーを感じる場所まで行ったが、それ以上はやめた。島にはやたらに入ってはいけない場所があるものなのだ。それを感じたので短い探検は終わった。元ちゃんから「まさかよしこさんついてくると思わなかった」と言われ「ふ、ふ、ふ、アナドルナヨ」というわけで、私は一足先に那覇まで。たった一泊二日の与那国は優しい人たちとの出会いと、自然の不思議厳しさ(台風は悲惨だ)のなかでスクっと存在する王国だった。
また会えるな、みんなに。感謝。
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記