去年の夏ごろから、胃と腸の具合が良くなかった。
確かに3〜4キロ痩せたりした。
大腸検査は去年の暮れにやった。あれはご経験ある方はおわかりだろうが、その検査自体より、その前が苦しい、、、。なにせおなかにあるもの全部綺麗にしてからでないと検査できないのだ。下剤液をこれでもかというくらい飲む。
モウアリマセン、、、となったところで病院に電話して行くのだ。このへんのところはなんとなくお産に似ている。
で、始まる内視鏡検査。内視鏡自体は痛くもかゆくもないのだが、一緒に空気を入れて腸を膨らませる、これがなんとゲップになって口からも出てくるのにはびっくり。モニターを見ながら非情なまでにシステマティックな会話しかしないセンセイで、「ひとつポリープあります。はい、今切除しました。終わりです。」その時間10分足らず。私には、どれがポリープなのかもわからず、ポリープひとつにつき2万円という手術料プラス検査費を払って三日分の流動食をもらって帰ってきた。後日の生体検査でポリープは良性ということで、でもこの病院には行きたくないと思った。人間味にかけ離れている。悪いところをとってもらっても、なんだか、かえって不安感をいただてしまいそうになる。
年が明けて、やっぱり旅をして寝不足になったり、人間関係などで悩むと、疲れとともに胃が痛くなったり、おなかの調子が狂うので、思い切って全部検査することにした。怖いとは思っていなかったけれど、ちょっと自分の事を知っておかねばならないと思っていた。ひょっとしたら胃か十二指腸になんかあるかも、、でもわかったほうが安心だし。もう少し生きているつもりだから。
今度行ったのは、いつも風邪などで御世話になっている病院で、タイミングよく私の休みが三日続く日に内視鏡の専門医が来ると言う。
その前に血液異常なし、すい臓胆のう異常なしで、あとは食道、胃、十二指腸。
このセンセイはわかり易かったな。優しかったし、そして私の体の中身がモニターに映し出される。う〜んこうなっているのか、、食道OK、、(ふと、キヨシローくんを思い浮かべた。。。辛かっただろう。。。)
胃OK,綺麗なシワが健康な証拠だとか、、顔のシワなんか心配してばっかりいたら胃が泣くな、、。
十二指腸、これまたOK.
美しい映像をみせてもらってその後診察室で、今後の生活態度をかかりつけのお医者さんと話す。
私のように、旅が多く、寝床が変わるというのは最大のストレスなのだそうだ。でも、みんなやっているものなぁ、、、。みんなキツイんだろうなぁ、、。
でも、好きなことをさせてもらっているわけで、その感謝を忘れて、必要以上にお酒飲んだり夜更かしするのが一番良くないわけだ。
結論は「感謝」だ。
そろそろ、ご報告いたしましょう。何度も失敗した禁煙、実は楽しく続いている。
今回は本気。
でも恋だって、するたびに「今度は本物!」とか言って生きてきて、いまだ一人の私だもの、何処かでタバコくわえている姿を発見された方は、YOUTUBEに流してやってください。タイトル「懲りないオンナ」。
一日2ステージの売れっ子
栃木最後の日は、朝9時から出動。
今回の全てを仕切ってくださったNさんの自宅で、ライヴには出掛けられないおばぁちゃんや、近所の方を招いてのホームライヴ。
お座布団と低い椅子が用意されて、お昼前に1時間ほど唄わせて貰う事になった。ありがたい、、そうそう、おばあちゃんも知っている歌を用意して置けばよかった。急いで「ゴンドラの唄」の歌詞を調べてもらう。昔の唄や唱歌、童謡は、知ってるつもりでも、けっこう歌詞もメロディーも難しいのだ。
おばぁちゃんたちは時間通りに集まってきた。しばし、みなさんご挨拶&世間話タイム。Nさんのお兄さんもやってきてくださったが、さすがにこの日は、「レディース」いつもはもっと冗談が出るらしいのだけれど、、とNさん。
とにかく皆さんに喜んでいただけたのは嬉しい、最後は、最近Nさんが新しく買ったマーティンのD−18で、一緒に「恋のバカンス」をハモった!
お昼をいただき、ホテルで一休み。
そして最後の場所クロスロード。
ここでは、若い人たちと一緒に唄うのだ。楽しみにしていた。
バンド名「フーチー・クーチー・メン」うん?ディープなブルースかな?と思い客席に行ってみたらなんと「神田川」を唄っていた!う〜〜〜ん、、、。
しかし、私たちも若い頃のバンド名自慢出来ないもの。。。名前は大事だけれども、バンドは楽しいのが一番だ。その後の太郎君と言う弾き語りの青年はサンダル履きだった。しかし、70年代はゲタや裸足もいたわけで。。。
私のツアー最終日のステージ、クロスロードの照明は凄く熱い。日焼けサロン(行ったことないけれど)ってこんなかも、、、でも汗かきながら唄うのもちょっと興奮する。いつも汗かかないから、、。
1時間20分と決められた時間内で、最近の曲中心に唄わせてもらい、あっとうまの小山での夜の部終了。
東京から三日間通ってくれたS氏とNさんと、居酒屋にてノンアルコール(私は少しいただきました)ささやかな打ち上げ。
充実したステージと楽しさ満点の三日間だった。
S氏と別れて、ホテルに帰り、Nさんからいただいた差し入れのビールを飲む間もなく就寝。
翌日、お茶を飲んで電車に乗るつもりだったのだが、Nさんと話しているうちに乗るつもりの電車に遅れそうだったので、行きました、温泉!
午前中だったし、なんとか良い感じで汗を一杯かいて、露天で栃木の緑を眺めて。
贅沢な旅をさせてもらって、心から感謝。
小山駅でNさんと別れる。でも改札口はいつもとおりいやなので、下のエレベーターでお別れ。ありがとうございました。
上り列車も満員。行きと同じように、デッキに座る。みんな疲れているのだ。
お休みになればなったの疲れがあるのだ。
皆さんお疲れさま。
今回の全てを仕切ってくださったNさんの自宅で、ライヴには出掛けられないおばぁちゃんや、近所の方を招いてのホームライヴ。
お座布団と低い椅子が用意されて、お昼前に1時間ほど唄わせて貰う事になった。ありがたい、、そうそう、おばあちゃんも知っている歌を用意して置けばよかった。急いで「ゴンドラの唄」の歌詞を調べてもらう。昔の唄や唱歌、童謡は、知ってるつもりでも、けっこう歌詞もメロディーも難しいのだ。
おばぁちゃんたちは時間通りに集まってきた。しばし、みなさんご挨拶&世間話タイム。Nさんのお兄さんもやってきてくださったが、さすがにこの日は、「レディース」いつもはもっと冗談が出るらしいのだけれど、、とNさん。
とにかく皆さんに喜んでいただけたのは嬉しい、最後は、最近Nさんが新しく買ったマーティンのD−18で、一緒に「恋のバカンス」をハモった!
お昼をいただき、ホテルで一休み。
そして最後の場所クロスロード。
ここでは、若い人たちと一緒に唄うのだ。楽しみにしていた。
バンド名「フーチー・クーチー・メン」うん?ディープなブルースかな?と思い客席に行ってみたらなんと「神田川」を唄っていた!う〜〜〜ん、、、。
しかし、私たちも若い頃のバンド名自慢出来ないもの。。。名前は大事だけれども、バンドは楽しいのが一番だ。その後の太郎君と言う弾き語りの青年はサンダル履きだった。しかし、70年代はゲタや裸足もいたわけで。。。
私のツアー最終日のステージ、クロスロードの照明は凄く熱い。日焼けサロン(行ったことないけれど)ってこんなかも、、、でも汗かきながら唄うのもちょっと興奮する。いつも汗かかないから、、。
1時間20分と決められた時間内で、最近の曲中心に唄わせてもらい、あっとうまの小山での夜の部終了。
東京から三日間通ってくれたS氏とNさんと、居酒屋にてノンアルコール(私は少しいただきました)ささやかな打ち上げ。
充実したステージと楽しさ満点の三日間だった。
S氏と別れて、ホテルに帰り、Nさんからいただいた差し入れのビールを飲む間もなく就寝。
翌日、お茶を飲んで電車に乗るつもりだったのだが、Nさんと話しているうちに乗るつもりの電車に遅れそうだったので、行きました、温泉!
午前中だったし、なんとか良い感じで汗を一杯かいて、露天で栃木の緑を眺めて。
贅沢な旅をさせてもらって、心から感謝。
小山駅でNさんと別れる。でも改札口はいつもとおりいやなので、下のエレベーターでお別れ。ありがとうございました。
上り列車も満員。行きと同じように、デッキに座る。みんな疲れているのだ。
お休みになればなったの疲れがあるのだ。
皆さんお疲れさま。
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記
真岡って、、、
宇都宮で朝を迎え、またまたNさんの車がお迎え、、。すみません、、。
しかし、真岡の入り時間までどうしよう、、ということになって、私は絶対に昼寝をしたいのだけれどホテルは翌日を考えて小山にとってあるので、昼食をご馳走になりながら、Nさんが「カラオケボックスに行って寝ましょうよ」と言う。え〜なに?それ? しかしだ、安上がりな時間の過ごし方かもしれない。連休の昼間、きっと人々はお出かけしている、カラオケは穴場かもしれない、、というわけで行って見ると、なんと2軒とも満室。そうね、やっぱり休日にカラオケはアリだな〜〜みんな他にすることないのか?って待たされてる人はそう思っているわけで。
じゃぁ、温泉? しかしカラオケよりも危険だ。ましてや家族連れで子供が浴槽でどんなことをしているか想像できる、、べつに気にならないけれど、混んでいる温泉は気持ちが落ち着かない。車です〜っと通りすがりにマッサージの看板。岩盤浴のお店みたいだったけれど、きっと横になれる場所があるよ、、というわけで恐る恐る入ってみる。
休憩所みたいなところに「あなたの血液はサラサラですか?」というポスターが貼ってあって、通常¥2000のところ本日に限り¥1000。。。。。。
でもこのポスター今日貼ったものじゃないよね、どうみても、、。でもNさんと¥1000だよ、やってみようよ。ってわけでなにやら物々しい説明の後にチクっと手のひらから血を少しだけ採って、顕微鏡みたいのにのせて、それがモニターに映し出される。サラサラのひとの血液はまぁるい赤血球が水玉模様のように綺麗に泳いでいる。ドロドロのひとはそれがイモムシみたいに繋がっていて、、、私たち二人はおんなじくらいドロドロ一歩手前という診断だった。まぁね、ここまで生きてきたんだから、そりゃね、、。お酢は良いらしい。それから水も沢山飲んだほうが良いらしい。両方やっているよ私等。。。
と、思っていたら、その先生みたいな女性が「良いお水を飲まれるようにしてください、、こちらでも売っていますけれど、、1・5ℓで¥1500ですけれど、とても○×○×!!!!!!!」
というわけで、そろそろお時間がよろしいようで、私たちはなんだか可笑しくって女子高生のように笑い転げながらお水の誘惑から逃げ出して、ライヴ会場の「ボナール」へ。
真岡、、、ずっと昔に来たことはあった。しかしなんともいえない田園地帯だ。
そしてボナールに着いた。大きな大きな旧い旧い米蔵の中にあるレストラン。
看板だって外からは見えない。
しかし、地元の音楽好きの人たちがご飯を食べながらライヴをしているという。
Nさんもよくもまぁ見つけてくださった、、という隠れ家のような秘密基地のような場所。なんでもオムライスが美味しいらしいのだけれど、この日はもうメニューが決まっていて食べられなかった。
4〜50人入ったらぎゅうづめ、食事つきだから20人ちょっとで席は満杯。
わ〜大入り満員!
田植えの時期だ、田植えをしてシャワーを浴びて駆けつけてくれた人たちもいた。そしてここのママの出すお料理は半端でなく大盛りだ。
私が唄っている最中もどんどん山盛りのパスタや、モツ鍋?やら目の前を通り過ぎて行く。淡々と唄う私、談笑しながら豪快に食べるお客さん。しかしだ!
一曲唄うごとに拍手が大きい!人数の倍くらいに聴こえる。いいなぁ、、この空気。。。好きだぞ。。。
楽しんでいるんだね、時間を。素敵な人たちだった。
というわけで、唄い終わったころにはお料理はほとんどなくなっていた。
また行きたい場所になった。
しかし、真岡の入り時間までどうしよう、、ということになって、私は絶対に昼寝をしたいのだけれどホテルは翌日を考えて小山にとってあるので、昼食をご馳走になりながら、Nさんが「カラオケボックスに行って寝ましょうよ」と言う。え〜なに?それ? しかしだ、安上がりな時間の過ごし方かもしれない。連休の昼間、きっと人々はお出かけしている、カラオケは穴場かもしれない、、というわけで行って見ると、なんと2軒とも満室。そうね、やっぱり休日にカラオケはアリだな〜〜みんな他にすることないのか?って待たされてる人はそう思っているわけで。
じゃぁ、温泉? しかしカラオケよりも危険だ。ましてや家族連れで子供が浴槽でどんなことをしているか想像できる、、べつに気にならないけれど、混んでいる温泉は気持ちが落ち着かない。車です〜っと通りすがりにマッサージの看板。岩盤浴のお店みたいだったけれど、きっと横になれる場所があるよ、、というわけで恐る恐る入ってみる。
休憩所みたいなところに「あなたの血液はサラサラですか?」というポスターが貼ってあって、通常¥2000のところ本日に限り¥1000。。。。。。
でもこのポスター今日貼ったものじゃないよね、どうみても、、。でもNさんと¥1000だよ、やってみようよ。ってわけでなにやら物々しい説明の後にチクっと手のひらから血を少しだけ採って、顕微鏡みたいのにのせて、それがモニターに映し出される。サラサラのひとの血液はまぁるい赤血球が水玉模様のように綺麗に泳いでいる。ドロドロのひとはそれがイモムシみたいに繋がっていて、、、私たち二人はおんなじくらいドロドロ一歩手前という診断だった。まぁね、ここまで生きてきたんだから、そりゃね、、。お酢は良いらしい。それから水も沢山飲んだほうが良いらしい。両方やっているよ私等。。。
と、思っていたら、その先生みたいな女性が「良いお水を飲まれるようにしてください、、こちらでも売っていますけれど、、1・5ℓで¥1500ですけれど、とても○×○×!!!!!!!」
というわけで、そろそろお時間がよろしいようで、私たちはなんだか可笑しくって女子高生のように笑い転げながらお水の誘惑から逃げ出して、ライヴ会場の「ボナール」へ。
真岡、、、ずっと昔に来たことはあった。しかしなんともいえない田園地帯だ。
そしてボナールに着いた。大きな大きな旧い旧い米蔵の中にあるレストラン。
看板だって外からは見えない。
しかし、地元の音楽好きの人たちがご飯を食べながらライヴをしているという。
Nさんもよくもまぁ見つけてくださった、、という隠れ家のような秘密基地のような場所。なんでもオムライスが美味しいらしいのだけれど、この日はもうメニューが決まっていて食べられなかった。
4〜50人入ったらぎゅうづめ、食事つきだから20人ちょっとで席は満杯。
わ〜大入り満員!
田植えの時期だ、田植えをしてシャワーを浴びて駆けつけてくれた人たちもいた。そしてここのママの出すお料理は半端でなく大盛りだ。
私が唄っている最中もどんどん山盛りのパスタや、モツ鍋?やら目の前を通り過ぎて行く。淡々と唄う私、談笑しながら豪快に食べるお客さん。しかしだ!
一曲唄うごとに拍手が大きい!人数の倍くらいに聴こえる。いいなぁ、、この空気。。。好きだぞ。。。
楽しんでいるんだね、時間を。素敵な人たちだった。
というわけで、唄い終わったころにはお料理はほとんどなくなっていた。
また行きたい場所になった。
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記
2009年05月18日
5月2日 かぼちゃ亭
宇都宮に行くには、いろいろ行き方があるのだけれども、我が家からだと渋谷から湘南ラインというので行けるのだった。絶対に安い!それにグリーン車もある。いろいろ仕事をしたかったからグリーン券を¥780で買う。
わぉ、贅沢したのだ。。。しかしだ。。。連休の始まり、、なんとグリーン車も一杯でデッキにはたくさんの人が、、、。みんな途中で普通車両に乗り換えていく。後で清算出来るそうな、、。しかし私はデッキから動かず、体育座りを決め込んで化粧をした。これは決して迷惑行為ではない。荷物だけグリーン車の後ろのスペースに置いておいたし、デッキには誰もいなくなったし、
¥780できっちりとステージの支度をさせてもらった。ありがとうねグリーン車さん。
宇都宮の駅ではNさんが車で待っていてくださる。初めてのお店「かぼちゃ亭」 マスターは私と同年で、もともとはギタリストであるそうだ。もちろん聴いてきた音楽にも共通点がたくさんあってしばらくは談笑。
そうこうしているうちに、この日の共演の野沢亨司さんが到着。野沢さんとこうして二人きりでのライヴはこの日が始めてだ。なんといっても、すばらしいギター演奏家、そしてカバー曲も完全野沢色で、尊敬する人。だからとっても嬉しかった。
なんでも野沢さんは引越しをしたらしく、以前の整体の仕事をやめて、畑を始めるらしい、、。今は、毎日大工仕事や生コンと格闘しているそうだ。
先見の明があるなぁ。。。これからは自分の食べ物は自分で作る人が強い!
それに自然とともに生きていくと、きっと音楽も変わってくるのだろうなぁ。
まず、野沢さんのステージ。やっぱり田舎の暮らしが醸し出す懐の大きい響きの美しいギターと唄。聞き惚れます。そしてMCもあの訛りはなんと安心できるイントネーションでしょうね。
私のステージもそんな野沢さんのゴキゲンな笑顔に安心してゆったりと唄わせてもらいました。
最後は一緒に、TheBAND風「生活の柄」! マスターも年代もののストラトキャスターで参加、スペシャルなステージ、これだけで一枚DVDが出来そう。。。なんて。
栃木第一日目、皆さんと楽しく楽しく過ごさせてもらったのでした。
わぉ、贅沢したのだ。。。しかしだ。。。連休の始まり、、なんとグリーン車も一杯でデッキにはたくさんの人が、、、。みんな途中で普通車両に乗り換えていく。後で清算出来るそうな、、。しかし私はデッキから動かず、体育座りを決め込んで化粧をした。これは決して迷惑行為ではない。荷物だけグリーン車の後ろのスペースに置いておいたし、デッキには誰もいなくなったし、
¥780できっちりとステージの支度をさせてもらった。ありがとうねグリーン車さん。
宇都宮の駅ではNさんが車で待っていてくださる。初めてのお店「かぼちゃ亭」 マスターは私と同年で、もともとはギタリストであるそうだ。もちろん聴いてきた音楽にも共通点がたくさんあってしばらくは談笑。
そうこうしているうちに、この日の共演の野沢亨司さんが到着。野沢さんとこうして二人きりでのライヴはこの日が始めてだ。なんといっても、すばらしいギター演奏家、そしてカバー曲も完全野沢色で、尊敬する人。だからとっても嬉しかった。
なんでも野沢さんは引越しをしたらしく、以前の整体の仕事をやめて、畑を始めるらしい、、。今は、毎日大工仕事や生コンと格闘しているそうだ。
先見の明があるなぁ。。。これからは自分の食べ物は自分で作る人が強い!
それに自然とともに生きていくと、きっと音楽も変わってくるのだろうなぁ。
まず、野沢さんのステージ。やっぱり田舎の暮らしが醸し出す懐の大きい響きの美しいギターと唄。聞き惚れます。そしてMCもあの訛りはなんと安心できるイントネーションでしょうね。
私のステージもそんな野沢さんのゴキゲンな笑顔に安心してゆったりと唄わせてもらいました。
最後は一緒に、TheBAND風「生活の柄」! マスターも年代もののストラトキャスターで参加、スペシャルなステージ、これだけで一枚DVDが出来そう。。。なんて。
栃木第一日目、皆さんと楽しく楽しく過ごさせてもらったのでした。
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記
2009年05月17日
黄金週間のはじまり
5月にはいって、いよいよ気忙しくなってきた。
6月に入ったらすぐに新しい唄たちの録音をすることを決めたから。
頭の中では、選曲、アレンジ、スケジュール、そしてその他諸々の細かい事柄、、、もう何度も経験しているのに、やっぱり悩む。しかし、何回もやっているから学んだこともたくさんある。一番大事なのは、人間関係に尽きる。
もちろんお金がなくては創れないものだけれど、音は人間が創る。ジャケットやそのほかの作業も人間がする。
一番気持ちのよいかたちでやることだ。
それには、私がブレないことだ。
そんなことを考えながら、五月の連休二日の日から栃木の三日間のツアーが始まった。
呼んでくださったのは、Nさん。私より少しだけ若い、きれいな女性。
今年、亀有で出会って、そのすぐ後に栃木の地元でライヴを企画してくださった。
それなのに、また三日間も!
私にとっては、またとない旅行!だって世間はみんなお出かけなんだもの!
Nさんとは、それはそれは笑って喋って、食べて、、、いやもちろんきっちりとステージは演らせていただきました。
その内容は、また後日。
とにかく、私の黄金週間は充実しきっていたのだ。
6月に入ったらすぐに新しい唄たちの録音をすることを決めたから。
頭の中では、選曲、アレンジ、スケジュール、そしてその他諸々の細かい事柄、、、もう何度も経験しているのに、やっぱり悩む。しかし、何回もやっているから学んだこともたくさんある。一番大事なのは、人間関係に尽きる。
もちろんお金がなくては創れないものだけれど、音は人間が創る。ジャケットやそのほかの作業も人間がする。
一番気持ちのよいかたちでやることだ。
それには、私がブレないことだ。
そんなことを考えながら、五月の連休二日の日から栃木の三日間のツアーが始まった。
呼んでくださったのは、Nさん。私より少しだけ若い、きれいな女性。
今年、亀有で出会って、そのすぐ後に栃木の地元でライヴを企画してくださった。
それなのに、また三日間も!
私にとっては、またとない旅行!だって世間はみんなお出かけなんだもの!
Nさんとは、それはそれは笑って喋って、食べて、、、いやもちろんきっちりとステージは演らせていただきました。
その内容は、また後日。
とにかく、私の黄金週間は充実しきっていたのだ。
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記
2009年04月29日
四月の締めくくりは金沢
どういうわけか、4月の半ば頃に金沢に行くようになってしまった。
「もっきりや」という店は私の20歳頃の魔法のような日々の中に登場する場所。金沢には本当によく行った。仕事でなくても遊びに行った。でも、その頃の「もっきりや」はJAZZのお店という敷居の高い雰囲気があったけれど、それでも何かと打ち上げの時に連れて行ってもらっていた。
時が流れて、またこうやって金沢に来れるようになって、昔の友達に沢山会えるようになって5年。
その間に、大切な友人が亡くなってしまったり、4年前の4月18日、はじめて「もっきりや」で唄う日の朝、渡さんの訃報が届いたり、大好きな街は私にこんなに年月をかけても木っても切れない処にさせようとしているみたいだ。
小杉由美子ちゃん(元マザーグース)には、行くたびにお世話になる。
今回は彼女の都合で、ジョイントは出来なかった。みんなこの歳になると、親のことや、子供のこと、自分だけの都合で動けなくなってしまう。由美ちゃんも忙しい中、駅まで迎えに来てくれて、もっきりやではお客さんになってくれて、、、。 いつか彼女とは短くてもいいからツアーをしてみたいね、、と話している。
土砂降りの雨だったけれど、唄い始めたら雨がやんだ。しかしお客さんは少なくって、でもそれがまたなんとも贅沢(唄うほうも、聴くほうも)な時間で。マスターの平賀さんも真正面の客席で一曲一曲うなずいたりしながら楽しんでもらえた。
私のことを小学5年生の頃知って、「泉谷しげる登場」という泉谷さんのデビューアルバムでギターを弾いていた私を覚えていたという人もいたりで、やっぱり金沢は私のふるさとのひとつ。
「もっきりや」という店は私の20歳頃の魔法のような日々の中に登場する場所。金沢には本当によく行った。仕事でなくても遊びに行った。でも、その頃の「もっきりや」はJAZZのお店という敷居の高い雰囲気があったけれど、それでも何かと打ち上げの時に連れて行ってもらっていた。
時が流れて、またこうやって金沢に来れるようになって、昔の友達に沢山会えるようになって5年。
その間に、大切な友人が亡くなってしまったり、4年前の4月18日、はじめて「もっきりや」で唄う日の朝、渡さんの訃報が届いたり、大好きな街は私にこんなに年月をかけても木っても切れない処にさせようとしているみたいだ。
小杉由美子ちゃん(元マザーグース)には、行くたびにお世話になる。
今回は彼女の都合で、ジョイントは出来なかった。みんなこの歳になると、親のことや、子供のこと、自分だけの都合で動けなくなってしまう。由美ちゃんも忙しい中、駅まで迎えに来てくれて、もっきりやではお客さんになってくれて、、、。 いつか彼女とは短くてもいいからツアーをしてみたいね、、と話している。
土砂降りの雨だったけれど、唄い始めたら雨がやんだ。しかしお客さんは少なくって、でもそれがまたなんとも贅沢(唄うほうも、聴くほうも)な時間で。マスターの平賀さんも真正面の客席で一曲一曲うなずいたりしながら楽しんでもらえた。
私のことを小学5年生の頃知って、「泉谷しげる登場」という泉谷さんのデビューアルバムでギターを弾いていた私を覚えていたという人もいたりで、やっぱり金沢は私のふるさとのひとつ。
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記
2009年04月28日
飯田「ふぉの」
中津川の三日目の朝、それぞれがホテルからそれぞれの場所にと解散していく。
たぐちおさむさんが私を飯田まで送ってくださる。車だと4〜50分なのだという。
たぐちさんと車の中でいろいろな話をしていて、たぐちさんが出版しようとしてもうすぐ完成する、オキナワの片手の三線弾きの金城繁さんのCDブックのことも聞いた。
旅終わって昨日、その完成品が家に届けられた。まだお礼を言っていない。もう少しちゃんと読んで、観てから。
さておき、たぐちさんと飯田でお茶を飲み、お別れをして。
飯田の町を歩きながら、35年前、ピピ&コットでやってきて、泊まった旅館、もうやっていないんだ。高速のインターが出来てから飯田の駅周辺は寂しくなったようだ。
しかし「ふぉの」は頑張っている。今でも素晴らしいアーティストがやってくる。確かにお客さんはいつも一杯じゃないけれど、音楽が大好き、自分も歌う、プレイする人たちが根強くいる。
だからこそ、昔、私たちもこの飯田に来られたのだ。
マスターの小島さんは平常心の人だ。お酒も飲まない。でも善い音を作ってくれる。というかあまり音をいじっていないんだな。自然。
ポスターを作ってくださった中山さんが声をかけてくださり楽しい人たちが集まってくださった。もちろん35年前に私たちを呼んでくださった方も来てくださったし、名前は気になっていたけれど、やっと聴けてよかった、という女性の方もいて嬉しい。
2時間唄って、ちょこっと地味な打ち上げ。ふぉのの打ち上げも好きだ。マスターの漬けた漬物とかね。最後の合言葉はみんなで長生きしようだった!
たぐちおさむさんが私を飯田まで送ってくださる。車だと4〜50分なのだという。
たぐちさんと車の中でいろいろな話をしていて、たぐちさんが出版しようとしてもうすぐ完成する、オキナワの片手の三線弾きの金城繁さんのCDブックのことも聞いた。
旅終わって昨日、その完成品が家に届けられた。まだお礼を言っていない。もう少しちゃんと読んで、観てから。
さておき、たぐちさんと飯田でお茶を飲み、お別れをして。
飯田の町を歩きながら、35年前、ピピ&コットでやってきて、泊まった旅館、もうやっていないんだ。高速のインターが出来てから飯田の駅周辺は寂しくなったようだ。
しかし「ふぉの」は頑張っている。今でも素晴らしいアーティストがやってくる。確かにお客さんはいつも一杯じゃないけれど、音楽が大好き、自分も歌う、プレイする人たちが根強くいる。
だからこそ、昔、私たちもこの飯田に来られたのだ。
マスターの小島さんは平常心の人だ。お酒も飲まない。でも善い音を作ってくれる。というかあまり音をいじっていないんだな。自然。
ポスターを作ってくださった中山さんが声をかけてくださり楽しい人たちが集まってくださった。もちろん35年前に私たちを呼んでくださった方も来てくださったし、名前は気になっていたけれど、やっと聴けてよかった、という女性の方もいて嬉しい。
2時間唄って、ちょこっと地味な打ち上げ。ふぉのの打ち上げも好きだ。マスターの漬けた漬物とかね。最後の合言葉はみんなで長生きしようだった!
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記
We are stardust We are golden ♪
中津川という地名を耳にするとその後に「フォークジャンボリー」という言葉がついてくるくらい、その時代に生きてきた人たちの一人である私。当時高校1年生だった私。あれから40年が過ぎて、一度も足を向けたことのない場所
「中津川」に新宿からバスに乗り出掛けた。
ピースジャンボリーという名前のコンサート。テーマは「FOLK」は
「PEACE」へと変化するという実行委員会からのメッセージだった。
「Folk」とは民衆。民衆が汗水流して働いて世界の経済があるのに、「Peace」とは真反対の戦争のために大事な民衆そのものとその汗と血でつくりあげた暮らしも大地も悲鳴をあげている。
このコンサートの中心になっていたのは、地元に住み、そして72歳になられても精力的に全国を廻ってまた地元で地域活動をしている笠木透さんと雑花塾の皆さんだ。
前日に会場に入り、夕方からいるひちたちのリハーサル。笠木さんは私の新曲でローザ・パークスのことを唄ったうたを聴いていたようで、楽屋に帰ってから、「いいね、でも日本には彼女のことをよく知らない人もいるから、もう一箇所くらいフルネームでローザ・パークスといれたら?」と声をかけてくださる。こういうイベントのようなところでそんなふうにアドバイスをしてくれる先輩はなかなかいないと思う。
小さな世界だ、それもフォークシンガーたちの世界。人の噂や悪口は聞いても
これからの人たちを育てようという人たちが増えていかなければ本当の
「FOLK」でもなければ{PEACE」でもないわけで、それ以上の会話をしたわけではなかったが、笠木さんの優しいお節介に感謝したし尊敬もした。
当日には、地元のダンス、土着民、が夢土下座というバンドの方々(名前だけ知っていました)田中三と言う方の朗読。
そして久々に会うパギヤンこと趙博さん、三上寛さん、素晴らしいパフォーマンスで笑って元気にしてくれた松元ヒロさん、またなんと40年ぶりにステージを生でみる高石ともやさん(お元気だったな、走っていたよ)
そしてまた地元の子供達とお母さんの合唱。
5時間のコンサート、私は殆ど舞台のソデで聴かせてもらい、それぞれのメッセージに込められた「平和、シアワセ」へのオモイに胸打たれたり、力強いステージングにあらためて感動したりで朝から夜までたっぷりとたのしませてもらい、外に出ると、山の湿った空気が心地よく、声をかけてくださった責任者のたぐちおさむさんにも心から感謝した。
打ち上げの2次会は、出演者の数人と、岡山から車でやってきた尾崎ツトムさんご一行(お元気!)山口の伊保木の上田さん、それぞれが、一言一言何か話すのだけれども、どういうものか、私はこういうときに話したいことをポロっと忘れて、なんだかおかしなことを話すことが多い。でも話は短いに越したことがなく、やっぱり「ありがとうございました」なのだ。
21世紀になって、そう、1960年、70年代にはなかったはじめての現象がこれだ、ギターを持って唄い続けている50,60,70歳代の少年少女たちだ。
「中津川」に新宿からバスに乗り出掛けた。
ピースジャンボリーという名前のコンサート。テーマは「FOLK」は
「PEACE」へと変化するという実行委員会からのメッセージだった。
「Folk」とは民衆。民衆が汗水流して働いて世界の経済があるのに、「Peace」とは真反対の戦争のために大事な民衆そのものとその汗と血でつくりあげた暮らしも大地も悲鳴をあげている。
このコンサートの中心になっていたのは、地元に住み、そして72歳になられても精力的に全国を廻ってまた地元で地域活動をしている笠木透さんと雑花塾の皆さんだ。
前日に会場に入り、夕方からいるひちたちのリハーサル。笠木さんは私の新曲でローザ・パークスのことを唄ったうたを聴いていたようで、楽屋に帰ってから、「いいね、でも日本には彼女のことをよく知らない人もいるから、もう一箇所くらいフルネームでローザ・パークスといれたら?」と声をかけてくださる。こういうイベントのようなところでそんなふうにアドバイスをしてくれる先輩はなかなかいないと思う。
小さな世界だ、それもフォークシンガーたちの世界。人の噂や悪口は聞いても
これからの人たちを育てようという人たちが増えていかなければ本当の
「FOLK」でもなければ{PEACE」でもないわけで、それ以上の会話をしたわけではなかったが、笠木さんの優しいお節介に感謝したし尊敬もした。
当日には、地元のダンス、土着民、が夢土下座というバンドの方々(名前だけ知っていました)田中三と言う方の朗読。
そして久々に会うパギヤンこと趙博さん、三上寛さん、素晴らしいパフォーマンスで笑って元気にしてくれた松元ヒロさん、またなんと40年ぶりにステージを生でみる高石ともやさん(お元気だったな、走っていたよ)
そしてまた地元の子供達とお母さんの合唱。
5時間のコンサート、私は殆ど舞台のソデで聴かせてもらい、それぞれのメッセージに込められた「平和、シアワセ」へのオモイに胸打たれたり、力強いステージングにあらためて感動したりで朝から夜までたっぷりとたのしませてもらい、外に出ると、山の湿った空気が心地よく、声をかけてくださった責任者のたぐちおさむさんにも心から感謝した。
打ち上げの2次会は、出演者の数人と、岡山から車でやってきた尾崎ツトムさんご一行(お元気!)山口の伊保木の上田さん、それぞれが、一言一言何か話すのだけれども、どういうものか、私はこういうときに話したいことをポロっと忘れて、なんだかおかしなことを話すことが多い。でも話は短いに越したことがなく、やっぱり「ありがとうございました」なのだ。
21世紀になって、そう、1960年、70年代にはなかったはじめての現象がこれだ、ギターを持って唄い続けている50,60,70歳代の少年少女たちだ。
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記
神戸の温かさ
今回のツアーの最終日は4月12日、神戸のまっちゃんライヴ。舞子のコズミック。
まっちゃんこと松本さんとは、5年前敦賀の南志郎さんの主催する「ひつじカンパニー」のライヴにやってきた眞城佳奈さんつながりで出遭うことになった。初めてあったのは「春一番コンサート」の芝生でかな、、。
それから、沢山お世話になった。フォークジャンボリーでは無理なお願いも聞いてくれた。まっちゃんや沢山の素敵な人たちが神戸の音楽シーンを支えている。震災前の神戸をよくは知らない私は、その後の神戸に通うにつれて、同じ関西でもまた違う空気をこの兵庫県の街に感じてきた。
港町というのは、それだけで特別な文化があると思う。私の住む神奈川も港横浜があって、やっぱりそこは自由の香がする。
まっちゃんは自分の好きなミュージッシャンのライヴを無理のないペースで淡々と、しかし100回以上やり続けている。
コズミックでやらせてもらうのは二回目。美味しいご飯もあるし、マスター夫妻もミュージッシャンだ。
今回は八巻くんにも唄ってもらうことにした。彼はずっと忙しく仕事をしていたので、練習する暇もないと言っていたけれど、やっぱり本番は関西魂だった。特にハーモニカの音は会うごとに素敵になっている。
私も、これが千秋楽だ〜〜〜とばかりに2ステージ20曲唄わせてもらう。拍手の厚みを感じながら、この温かさはやはり、震災という出来事から産まれた一体感のひとつなのかなと感じる。
打ち上げは美味しいご馳走でいっぱい。みんな楽しんでいる。でもひどく騒ぐ人がいるわけでもなく、次の日はみんな仕事。
余ってしまったご馳走はそれぞれパックに入れて持ち帰る。さりげないけれど大切な心根だな。
港町が培ったセンスと辛かったときを乗り越えた強さがこういう後味に良い夜に繋がっているのかもしれない。。。。
善い人たちに出会えることは幸福だ。
長いツアーだったけれど、ひとつひとつの出来事は写真よりも鮮明に私の心に焼き付けた。
みなさん、ありがとう♪
まっちゃんこと松本さんとは、5年前敦賀の南志郎さんの主催する「ひつじカンパニー」のライヴにやってきた眞城佳奈さんつながりで出遭うことになった。初めてあったのは「春一番コンサート」の芝生でかな、、。
それから、沢山お世話になった。フォークジャンボリーでは無理なお願いも聞いてくれた。まっちゃんや沢山の素敵な人たちが神戸の音楽シーンを支えている。震災前の神戸をよくは知らない私は、その後の神戸に通うにつれて、同じ関西でもまた違う空気をこの兵庫県の街に感じてきた。
港町というのは、それだけで特別な文化があると思う。私の住む神奈川も港横浜があって、やっぱりそこは自由の香がする。
まっちゃんは自分の好きなミュージッシャンのライヴを無理のないペースで淡々と、しかし100回以上やり続けている。
コズミックでやらせてもらうのは二回目。美味しいご飯もあるし、マスター夫妻もミュージッシャンだ。
今回は八巻くんにも唄ってもらうことにした。彼はずっと忙しく仕事をしていたので、練習する暇もないと言っていたけれど、やっぱり本番は関西魂だった。特にハーモニカの音は会うごとに素敵になっている。
私も、これが千秋楽だ〜〜〜とばかりに2ステージ20曲唄わせてもらう。拍手の厚みを感じながら、この温かさはやはり、震災という出来事から産まれた一体感のひとつなのかなと感じる。
打ち上げは美味しいご馳走でいっぱい。みんな楽しんでいる。でもひどく騒ぐ人がいるわけでもなく、次の日はみんな仕事。
余ってしまったご馳走はそれぞれパックに入れて持ち帰る。さりげないけれど大切な心根だな。
港町が培ったセンスと辛かったときを乗り越えた強さがこういう後味に良い夜に繋がっているのかもしれない。。。。
善い人たちに出会えることは幸福だ。
長いツアーだったけれど、ひとつひとつの出来事は写真よりも鮮明に私の心に焼き付けた。
みなさん、ありがとう♪
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大阪のエネルギー
新大阪に八巻くん、通称わんちゃんが迎えに来てくれた。八巻夫妻の家は新大阪からすぐなのだ。なんと便利な、、、というわけでこの数年大阪というとこの八巻宅にお世話になっている。共働きで忙しいのに、本当に申し訳ないほど好きにさせてもらっている。奥さんの薫さんは私がいるだけで厄介だろうに、ライヴにまでお客さんで来てくれる。
到着の日はOFFなので、三人で近所の居酒屋でゴハン。お目当てのドテ焼きが品切れだったけれど、安い!安いのに旨いのは文句なしに嬉しい。
夫婦の会話はやっぱり関西だなぁ、、と思う。テンポがいいな。私がひとつ話しておるうちに、話題がもう転換している。そうでなくても私はゆっくりしか喋れないのだから。。。
翌日は、久々のヒポポタマス。店に行く前に萌のママから聞いた「ながいようさんが骨折して入院している」の情報を確認(本人に電話したらすぐ近くの病院だった)八巻くんとお見舞い。
顔色はとってもよく、そりゃお酒も飲んでないし、規則正しい生活。でもやはり早く退院したいだろうなぁ、、。こういう歳になってからの骨折は辛いと思う。お見舞いに懐かしき「ルービックキューブ」をプレゼント。いつごろ流行ったかも忘れたけれど、私は一面すら一色に出来なかった。八巻くんはすごい速さで前面綺麗に揃えられる。ながいさんも退院とルービックキューブ完成とどちらが早いかな。
ヒポポタマスに行くと、店先にホットドッグの出店が出来ていた。さっちゃんという女の子が仕切っている。そしてステージにはなんともレトロなアンプ!
ヒポポ大王の手作り。ほんの少し前まではミシンで洋服つくっていた大王、じっとしてないんだな〜いつまでも少年。
去年は宮崎勝之さんとのジョイントで、私が宮崎さんのマンドリンに必死にギターで挑戦?している映像はYOU TUBEで今でも流れている。。。。
観るたびに冷や汗だ。
ヒポポタマスがまだ今の場所に引っ越す前に、そう、だから京都のアコシャンの次に行ったのが始まりだった。あの時は凄く緊張していたな〜
一年に一度でもそういう場所(原点みたいな)で唄わせてもらうのは修行だな。
お客さんも変わっていくけれど、最初から聴いている人もいる。途中から毎回聴いている人もいる。
毎回、新鮮な気持ちで、楽しんでもらえるようにと祈ってステージに立つ。
客席はライトであまりよく見えないのだけれど、一曲ごとに頂く拍手と気配が
すぐに伝わる不思議な場所のひとつ。
平田ママが、恒例のキムチとチジミを差し入れてくださり、あっというまに反省会でみんなが平らげた。ビールおかわりに貢献したなぁ。
帰りは、途中で銭湯に寄ってさっぱりと。わんちゃん運転ありがとうね。
翌日は枚方で夕方早い時間からのライヴ。というか「チャリティー・コンサート」枚方市の野村いくよさんが主催して、収益金の一部をペシャワール会に寄付するというコンサートで唄わせてもらえることになった。
野村珊瑚夫妻とは去年、平田ママの紹介でお会いして、お洒落なイタリアンレストランで唄わせてもらった。
今回は、地元の教職員組合の建物の中の一室。全て手作り。でもみんな楽しそうに準備をしていて気持ちが良い。
野村さんは今は枚方市の市議であるけれど、その前は教師をしていらしたという。選挙は必ず4年に一回は来るわけで、それはそれは大変な毎日の積み重ねだと思う。
私のような、名も知れぬ唄うたいを敢えて呼んでくださり、そして日曜日の夕方にささやかなコンサートを開くという心の豊かさは、見習うべきものだと思った。野村さんの笑顔も豊かな笑顔だ。
打ち上げは陰で活躍したスタッフの方々と。賑やか!政治の話など出ない、しかし庶民の話だ。
大阪のエネルギーは本当に元気にさせてもらえる。
到着の日はOFFなので、三人で近所の居酒屋でゴハン。お目当てのドテ焼きが品切れだったけれど、安い!安いのに旨いのは文句なしに嬉しい。
夫婦の会話はやっぱり関西だなぁ、、と思う。テンポがいいな。私がひとつ話しておるうちに、話題がもう転換している。そうでなくても私はゆっくりしか喋れないのだから。。。
翌日は、久々のヒポポタマス。店に行く前に萌のママから聞いた「ながいようさんが骨折して入院している」の情報を確認(本人に電話したらすぐ近くの病院だった)八巻くんとお見舞い。
顔色はとってもよく、そりゃお酒も飲んでないし、規則正しい生活。でもやはり早く退院したいだろうなぁ、、。こういう歳になってからの骨折は辛いと思う。お見舞いに懐かしき「ルービックキューブ」をプレゼント。いつごろ流行ったかも忘れたけれど、私は一面すら一色に出来なかった。八巻くんはすごい速さで前面綺麗に揃えられる。ながいさんも退院とルービックキューブ完成とどちらが早いかな。
ヒポポタマスに行くと、店先にホットドッグの出店が出来ていた。さっちゃんという女の子が仕切っている。そしてステージにはなんともレトロなアンプ!
ヒポポ大王の手作り。ほんの少し前まではミシンで洋服つくっていた大王、じっとしてないんだな〜いつまでも少年。
去年は宮崎勝之さんとのジョイントで、私が宮崎さんのマンドリンに必死にギターで挑戦?している映像はYOU TUBEで今でも流れている。。。。
観るたびに冷や汗だ。
ヒポポタマスがまだ今の場所に引っ越す前に、そう、だから京都のアコシャンの次に行ったのが始まりだった。あの時は凄く緊張していたな〜
一年に一度でもそういう場所(原点みたいな)で唄わせてもらうのは修行だな。
お客さんも変わっていくけれど、最初から聴いている人もいる。途中から毎回聴いている人もいる。
毎回、新鮮な気持ちで、楽しんでもらえるようにと祈ってステージに立つ。
客席はライトであまりよく見えないのだけれど、一曲ごとに頂く拍手と気配が
すぐに伝わる不思議な場所のひとつ。
平田ママが、恒例のキムチとチジミを差し入れてくださり、あっというまに反省会でみんなが平らげた。ビールおかわりに貢献したなぁ。
帰りは、途中で銭湯に寄ってさっぱりと。わんちゃん運転ありがとうね。
翌日は枚方で夕方早い時間からのライヴ。というか「チャリティー・コンサート」枚方市の野村いくよさんが主催して、収益金の一部をペシャワール会に寄付するというコンサートで唄わせてもらえることになった。
野村珊瑚夫妻とは去年、平田ママの紹介でお会いして、お洒落なイタリアンレストランで唄わせてもらった。
今回は、地元の教職員組合の建物の中の一室。全て手作り。でもみんな楽しそうに準備をしていて気持ちが良い。
野村さんは今は枚方市の市議であるけれど、その前は教師をしていらしたという。選挙は必ず4年に一回は来るわけで、それはそれは大変な毎日の積み重ねだと思う。
私のような、名も知れぬ唄うたいを敢えて呼んでくださり、そして日曜日の夕方にささやかなコンサートを開くという心の豊かさは、見習うべきものだと思った。野村さんの笑顔も豊かな笑顔だ。
打ち上げは陰で活躍したスタッフの方々と。賑やか!政治の話など出ない、しかし庶民の話だ。
大阪のエネルギーは本当に元気にさせてもらえる。
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記