2008年12月01日

もう4回目になるのだ

熊本駅から二駅で宇土。ゆっくり荷物を持って早めにホテルに入る。ホテルのお母さんも去年はライヴに来てくださった。宇土は駅前も静かで繁華街らしきところもよくわからない。「カフェ・ポケット」はそういう土地の中ですごく元気で朝から夜まで沢山のお客さんがやってくる。22年もマスター&ママと今は息子さん中心に月曜日以外フル回転しているようだ。このお店を紹介してくれたのは「紙ひこうき」という知る人ぞ知るライヴをするスペースを長い間やっている本田さんとふうさんご夫妻だった。「紙ひこうき」を紹介してくれたのは青森の高坂一潮さんだ。一潮さんが倒れた時も、そしてそれより一年前に渡さんが倒れた時も「紙ひこうき」に電話したんだった。あれから4年だ。

ポケットのマスターもママの里美さんも若々しい。そういう繋がりだからいろいろなアーティストが唄いにやってくる。お客さんはいつもの方もあるが少しずつ変わっていく。今回も新しいお客さんが多かった。用事があって聴けないからと挨拶に来てくれた人もいて嬉しかった。
川口さんが今年も私の唄う前にギターのインストルメンタルを披露。真面目な人柄そのもので優しい音だ。
エレック時代に会っていたみどりちゃんが今年も来てくれた。去年より元気そうでそれも嬉しかった。
お客さんは少し年配の人たちが多かったから選曲も考えようと思ったけれど、自然に唄うことで初めての人にも伝わっていきますようにと、そして同じ場所で回を重ねても新鮮な気持ちでいられますように、、、と唄った。
ママからお誕生日のお客さんがいるから、、と事前に聞いていたので、お祝いのコーナーあり。細かい気遣いがお店を支えているから自分も一生懸命にさせてもらえる。
手作りのご馳走で打ち上げ。でも翌日もお店は朝からだ。ママがホテルまで送ってくださる。そして翌朝はマスターが早朝に熊本駅まで送ってくださる。
熊本からまた高速バスで阿蘇を越えて宮崎へ。
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2008年11月19日

最終日はてんこ盛り

10日、月曜日。ふだんのツアーでは帰る日か移動かOffの曜日だ。でもここははずせない。心斎橋。
南の中心。雑居ビルとネオンサインと若者、おじさん、オネェサン、オニイサン、、ごったがえしている。
「パルチザン」はそんなビルの中でもかなり怪しいビルの、それも地下にある10人ちょっとで酸欠になるようなお店だ。ジョニー君というエエ奴が、昼間一生懸命バイトして、夜見せを開いている。
この日、パルチザンに行く前に、mikkoさんの書道の展覧会に出かけた。
mikkoさんとは、いつもツアーでお世話になるだけで、書家であるのは知っていたけれど、はじめて見せてもらう。「本名と違うから、私のがどれだか当てて」。。。でもすぐにわかった。谷川俊太郎の詩と、イサオ君の唄の歌詞だったし、やはり字は体を顕すのか、、そうだと思う。
mikkoさんのお母様が主催されている、そうお師匠だ。79歳。絶対見えない。私は字が綺麗でないし、とても雑に書く人間だから『書』は縁遠く感じていたのだけれど、いろいろな場面で手紙を書いたりするときに、この頃はやはり「こころ」だと、あたりまえだけれど思う。書をされる人は、物事に丁寧だと感じる。丁寧というのは心だ。
しばし79歳の先輩とお話しておミカンいただいて、パルチザンへ、いやその前に斜向いのタコヤキ屋『味穂』へわんちゃんと。
まずはビールといきたい所だけれど、神戸で大塚まさじさんに水健康法を詳しく教えてもらってから調子が良いので、ビールの前に自販機で買った水を一気飲みした。そしたら体が冷えてしまって、ビール飲めなくなってしまった。。
熱燗を頼んだのだけれども、どうもくぃ〜っと酔わない。。。飲みはわんちゃんに任せて先にパルチザンへ。斜向いっていうのに迷子になりそうになる。酔ってもいないのに、、、。アブナイ。。。。。

この夜は、ジョニーくんの提案で、高松洋子ちゃんという私の半分の年の女性と共演。洋子ちゃんはいつもパルチザンで私の唄を聴いてくれている。
でも彼女の歌を聴くのは初めてだ。
お客さん満杯!立ち見あり!
洋子ちゃんは三曲うたった。一日前に出来たという唄を最後にうたった。緊張は伝わってきたけれど、私は聴いていてとても爽やかな気持ちになった。
上手いとか、どうとか、名前とか、そういうものを超越したところで彼女はしっかり前を向いて唄っていた。媚びたり、手を抜いたりしている人がいたらきいてもらいたいと思った。正直に感動した。
最後の夜、おもいっきり弾けましょう!!と最後はみんなでYEA〜〜〜〜〜
御堂筋を渡ったほうに、お客さんを連れてライヴに来てくれた鎌倉研さんの店があって、ありがとうを言いにはじめて行ってみる。綺麗な店だった。午前3時まで奥さんと二人でやっているという、体に気をつけてね。
平田ママ、rokuさん、ゆめさん、わんちゃんとちょっとだけバーかまくらで反省会して、なんと帰りはママ経由、八巻家経由でわんちゃんがタクシーで送ってくださる。ありがとう。
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府中から亀有の旅

13日間のハードな移動の旅の疲れは、三日間くらい続いた。
でも15日には亀有。。。。私の家からは時間にして新横浜〜名古屋間くらいかかるかな。doobiekんこと鷲見さんの雑貨やさん。
この日は、先月山形の小国でお世話になったK氏からのお誘いで、小国からみんな来て、府中で芋煮会やっているから。。。というわけで、競馬で凄く混んだ電車でまずは府中。
みんな新米を持ち寄って、そして芋の子汁や炙ったイカの一夜干しでゴキゲン。私は30分だけおじゃまして、ハンドマイクでアドリヴの「ヤエサマネェナ」を唄って失礼したけれど、ちょうどビンゴゲームが始まるところで、商品がディープだったな、テンやキツネの毛皮もあった。
京王線、山手線、常磐線と乗り継いで亀有!
kidboxという店の名前どおり、何処を見渡してもニンマリするものばかりが陳列されている。ビートルズの絵のランチボックスやマリリンの人形、値段が書いてないのが怪しいな〜。
しかし、鷲見さんは下町っ子、あの物怖じしない普段の態度や書き込みの文章だけではわからない、繊細な人であることを、この「現場」に行って感じた。現場主義!彼もそうだな。いろんなところで会うもの。
お客さんは11人私とオーナーいれて13人。満席。
遠くは栃木から来てくださったかたや、いつも応援してくれる人たちに混じって、初めての人も、嬉しい。
差し入れのおでんとお店が用意してくれたおでんで、一杯になったテーブル。

しかし、これからのこの店のスケジュールは半端ではない。頑張って、亀有!
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今宵君と

神戸に2004年、はじめて一人で唄いに行った。まっちゃんこと松本史郎さんを紹介してくれたのは福井の南志郎さんだった。南さんはサンチャゴと呼ばれていて、この年の春に福井のイサラギ・ログハウスで村上律さんとのジョイントライヴをやってくれた。そこに神戸から小さな子供を連れてやってきていたのが眞城佳奈さんだった。神戸でまっちゃんの主催するライヴやいろいろなイベントのスッタッフをしていた(もちろんボランティア)。サンチャゴさんとはなかなか会う機会がなくなってしまったけれど、もう少ししたらきっとお互いに余裕も出来るだろうし、共作の「崩れ落ちるものを感じるかい?」は不滅だ。
そういう経緯でまっちゃんと会うことが出来て、神戸で唄わせてもらえるようになったのだった。年表をみてみると、まっちゃんが「まっちゃんライヴ」というのをはじめたのは9年前。その間に100回のライヴというのは凄いことだと思う。いつもは深夜まで忙しく仕事をして休みの日を準備や何かに費やす。店ではないのだから、儲けなど一切ないのだ。2年前にフォークジャンボリーを「月世界」というもとキャバレーでやった時など、お客さんの入りが読めずに貯金通帳をこっそり持参していたという。それを支えるスタッフの人たちも手弁当だ。そのかわり好きな人たち、聴いてみたい人たちを楽しいんで聴くライヴなのだ。
ステージでも話したけれど、若いときのまっちゃんの夢は「今宵君と」というライヴハウスをやることだったらしいけれど、お店などやっていたら、毎晩売り上げや歌い手のギャラなんかで悩みっぱなしでいただろう。そうしたらこんな温かなそして豪華なお祭りは出来なかったと思う。
「今宵君と」の出演者はまっちゃんライヴに出演した中でも多出演した人たちが中心。私はまっちゃん曰く「押しかけ」だったみたいで、それに楽屋では名前だけは知っていても話したことのない人達も沢山居て、、ちょっと最初は寂しくなってしまったけれど、ほとんどホールで先輩達の唄を聴いていた。
やっぱり関西のソウルはずっしりと根っこがあって感動する。
アンコールではまっちゃんもステージで泣いていたな。。。。。
神戸という土地に居る人たちは、あの震災以後よりいっそうの結束力と強さと優しさを育ててきたのかな。
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かんとだき

大阪の針中野というなかなか変わった地名の商店街にまたまた変わった名前「かいたにや」という酒屋さんがある。一昨年お世話になって二回目。
酒屋でライヴ?そうライヴ。細長いビルの各階は8畳くらいかしら、その三階とBarコーナーの二階が客席。唄は三階で唄う。料理も出すのだけれどキッチンは四階にあって、、そして一階は普通の酒屋さん、そして面白いのは地下に立ち飲みやがある。こうやって文章にしても良くわからないでしょう、、。
とにかくエネルギッシュな酒屋。
最近は量販店が沢山出来て、酒屋さんや薬屋さんなど、そして小さな商店街はとても苦労しているはず。
そんな中で「かいたにや」さんは大変でもふんばっている。
今の櫂谷繁樹さんは二代目。お父さんお母さんが戦後始めた店。そのお母さんが素晴らしく頑張りやさんでユーモアあって店を守り抜いた智恵のある方だと今回知った。もちろんいまの息子さんをみれば大体想像はついていたし、一昨年お邪魔した時には足の具合が良くなくて地下の立ち飲みやさんのもいらっしゃらなかった。昨年亡くなられた。
櫂谷さんからは、いろいろなものをいただいている。ワインの瓶くらいのドデカイ「エルメスソース」美味しい、しかし一人暮らしなのでなかなか減らない。熟成させよう。ビンテージ・ソースだ!
それから「ジョニ・ミッチェル」の音源。
そして今回はお母様が書かれた文集。200ページ以上ある。念願の出版だったそうだ。まだ半分までしか読んでいないけれど、決して大げさではないのだけれど、家族や家業のことなどが綴られていてスラスラとそして感動しながら読ませてもらっている。
立ち飲みやをはじめたのはこのお母さんだ。小さなお皿に酒の肴になるような煮付けや和えモンがあって、奥の鍋には「おでん」がぎっしり。関西ではおでんのことを「かんとだき」と呼ぶ。
繁樹さんが音楽好きだから、バーコーナーと共にライヴもはじまった。
智恵は受け継がれていくのだな。
音楽好きな人たちが集まってきてくれた。なにしろ美味しいお酒と肴でしょ、
お客さんはリラックスだ。
この夜もわんちゃんにハモニカ手伝ってもらう。
そしてsAinのイサオ君がPAをてつだってくれた。なおきくんもやってきてくれた。
わんちゃんには、忘れ物で新大阪〜針中野間を2往復半させてしまった、、、。今回は忘れ物多かったな〜〜〜
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2008年11月18日

大阪入り

11月6日、昼過ぎに眞城宅で佳奈さんと二人で、出前のきつねうどんを注文。「すっっごい早いよ、すぐ来るからね」と言われていたけれど、出前が5分かからずにやってきたのは初体験。電話の前にお告げでもあって作っていたのか知らん??謎の饂飩やだ。
大阪梅田には六甲道駅から新快速で行く。駅まで佳奈さんが荷物を持ってくれた。ありがたい。
梅田に着いてからが大変だった。迷子だ!そりゃそうだ、自慢じゃないが、梅田の駅は難解で、荷物の重さに加えて、わからない道を歩くことほど心身ともに疲れることはない。結局タクシーに乗ったら、運転手さんも迷子になる、、、。でもなんとか着いた。一仕事終わってしまったくらい疲れたな〜
でもこの夜は若いミュージッシャンと一緒。椿というサンシンとギターのデュオと、仲良しsAin(サイン)。リハが終わってサインのみんなと「宮本むなし」という名前の定食や行く。東京にもあるけれど名前が怪しいので入ったことがなかったけれど、安い!結局私はまた饂飩いただきました。¥380!
仕事終わって駆けつけてくれた八巻秀樹わんちゃんも一緒。お客さんが少しずつ入って来て、平田ママ、そして旧友ナオミ(久しぶりで嬉しい)ヒポポで働いていた雪子ちゃん、なんとBaby連れてきた。みんなの人生も少しずつ変わっている。ハッシンやいつも応援してくださる方々もいて、初めてのお店だったけれど安心。
椿の二人、そしてsAin〜言葉が届いてくる音になっていて嬉しかった。
私は1時間のステージにした。雨が降ると聞いていたから。でもやっぱりハッシンがアンコールって叫んでいて、わんちゃんにハープ吹いてもらってSTAY!しかし外は土砂降りだ!申し訳ない。私晴れ女なんだけれど、、とわんちゃんに言ったら、「オレ雨男ですねん」
しかし帰り道が大変だっただろうな、、。明日からお天気も真剣に祈らなければ。。店からタクシーで八巻家へ。お世話になります。

翌日は、もう3回目のペーニャ。
わんちゃんの奥さんも来てくれた。そしてビックリは赤木一孝さんあかべえがギターを抱えて店にいた!約束どおり。なんて良い人だ。リハで一緒に3曲やりましょうとなって、例のブルースカイズをあかべえさんのギターだけで、そしてチーク・トゥー・チークを一緒に(譜面を奇跡的に持っていた私)それもあかべえさんの大の友人有田純弘さんのアレンジの譜面。それからダルシマとギター。あかべえさんは、いつも「僕、緊張しいなんです、、」って言うのだけれど、「私も」ということでこの夜のユニット名は「キンチョーズ」しかしあの早弾きは人間業ではない!凄い人は約束も守る。。勉強。。ありがとうあかべえさん。アンコールはあかべえさん&わんちゃんのハモニカと一緒に豪華だった、みんなに聴いてもらいたかったな。
お客さんは少なかったけれどハマッチ、枚方の野口夫妻私の叔母、書道の個展で忙しいのに今回の大阪を仕切ってくれたmikkoさん、千晶ちゃんもきてくれたよ、私は温かい気持ちで唄えて、、そうそうリハの後に行ったのは、カレー饂飩やさん。3食饂飩だな。唄う前のカレーはやはり少しきつかったかな。。辛いカレー饂飩だった。気をつけよう。
この夜も早々に宿舎にさせてもらっている八巻家で熟睡。お風呂をいただいた。奥さんの薫さんが一生懸命お風呂掃除してくれはった。。申し訳ないでも温まって体がとても楽になる。感謝。
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2008年11月16日

神戸にやってきた

新幹線の新神戸に昼に着くと、神戸の数年のライヴですっかり友人になったりんぼうさんが車で迎えに来てくれていた。りんぼうさんは普通の土日休みでないので調度この日が休日だった。おなか空いていたので饂飩食べたいなぁ、、と二人でいろいろ探したのだけれどなんと何処も定休!りんぼうさんが和洋中なんでもあるバイキングレストランに連れて行ってくれた。饂飩もいいけれどお米も嬉しい。この頃はこういうところにも玄米があったりしてまたまた嬉しい。しかし周りを見渡すとどのテーブルにも山盛りの食べ物、それをみんな平らげてまた2往復くらいしている、、、。「よしこさん、元とれないよね、その食べ方じゃ」と言われたけれど私には菜っ葉の胡麻和えや、きんぴらや、味噌汁がありがたかった。食後まっすぐに、今夜の宿舎提供者の佳奈さん宅まで送ってもらう。仕事に行っている佳奈さん、学校に行っている子供達、だれもいない部屋で2時間ぐっすり昼寝をさせてもらう。ありがたい。子供達が帰ってきて、三人でバスに乗って三宮。長男ゆうすけが怪しい路地をスイスイと案内してくれて「シャノワール」到着。止まり木だけの小さなBarなのだけれど素敵だ。リハをそこそこに、子供達がお腹空かしてしまっていたから佳奈さんと合流して焼き鳥屋さんへ。でもここのオムライスが絶品らしい。私は唄う前だったから食べられなかったけれどちょこっといただく。神戸の食は好きだ。何処に連れて行ってもらっても美味しい。
さてさて本番まじか、シャノワールに戻ると止まり木は満席。りんぼうさんも休日、車を置いてきてお酒飲んでる。いつも車でお世話になっているからその姿うれしい。大阪から3人の女性客。なんでもはじめてみたいで、でもリクエストに「グッドナイト・アイリーン」え〜!「歌詞がわからない〜」といったらきちんと渡さんバージョンを反対に教えてくれた。唄いだしたらハモってくださる。。。ただものではない。。。嬉しかった。またきっとどこかで会えるでしょう。
こういう小さいけれど極上の音楽を流しながら、ときどきライヴをしているお店がポツンポツンとある場所、東京の下北沢や高円寺とはまた違う空気。オトナも若者も外国の人も受け入れる港の街で唄わせてもらえてよかった。
さぁ、翌日は京都。眞城佳奈邸にて熟睡。
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京都の「たぬき蕎麦」

ファルーカという店は、まさに河原町の京都らしい小路にひっそりとあった。
ちいな看板にはフラメンコと書いてある。でも入ってみると確かにフラメンコを踊る女性の描かれた絵と2本のフラメンコギターがあるけれども、想像していたフラメンコっぽい空気はない。流れているのはTheBANDだ。
なんでも豊田勇造さんが時々飲みに来るという。きっとあのギター弾くんだろうな、、。京都に来ることができたのは、今年の9月藤村直樹さんやスナフくんと一緒に唄った時に、佐々木さんという方が声をかけてくださったのがきっかけ。11月に関西に行きますよ、と言ってちょうど11月5日だけが空いていて、佐々木さんも仕事が休みなのでタイミングが合った。佐々木さんとは大阪などでもお会いしていたけれど声をかけてくださったのは初めてで、とても嬉しかった。リハーサルをしていると、なんと岩手のというか旅の途中のやなぎ君がやってきた。びっくり。なんでも関西を廻っていてちょうど休みなのだと。みんな近いところですれちがっているんだな。お腹空いていたので、蕎麦好きの私のことを知っている佐々木さんが「お蕎麦でも食べてきてください」と。お友達の方と、そしてもちろん蕎麦組のやなぎ君も誘って。京都は饂飩と決めていたのだけれど、昼に神戸できつねうどんだったからな。美味しそうなお蕎麦屋さんだった。やなぎ君は迷わずつめたい蕎麦。でも私は冷たいの食べたかったけれど寒くなるので我慢、たのんだのは「たぬき」そう、知っているのだ、京都の「たぬき蕎麦」は関東とは違う。関東では揚げ玉がドッサリはいったのを「たぬき」というけれど、ここ関西では、短冊に切ったお揚げが具、そしてつゆはあんかけなのだ。関東ではお揚げがはいっていたら「きつね」でしょ。化かし合いだな。温まりました。ご馳走になってしまいました。

さぁ、ファルーカは超満員!なんとスナフ君も来てくれている。
休み時間をとったほうがいいかなぁ、、と思ったけれど、平日だし、ずっと唄い続けた。それでも1時間半過ぎてしまった。皆さんよい酔いかげんで聞いてくださる。店の名「ファルーカ」というのはどんな意味ですか?とマスターにきいたらば、フラメンコのあるリズムのことだという。どんなリズムだろう?
やなぎ君に聴いてもらうのは恥ずかしかったけれど彼の名曲も唄わせてもらった。
終わると皆さんさ〜っと店を後にしていく。佐々木さんに誘われて、もう一軒行きましょう。。。やなぎ&スナフ君も一緒。路地を抜け、え〜ともうそこまでで私のナビは壊れている。これまた細長なつくりのお店、あれ!さっきまでファルーカにいた人たちがいっぱい!満員のこの店も京都らしい、ガウチョという名前。赤ワイン一杯頂く。最初はここでのライヴを佐々木さんは考えていたようだ、でもなにせ物が一杯!昭和の香り一杯!やなぎ君たちはなにやら飲み出し、話し出している、でも賑やかで隣の人の話なんて聞こえない。
たった一晩の京都だったけれど、秋の京都は胸がキュンとなる。。。いっぱい思い出があるから。。。特に秋と春。。。
佐々木さんは、このあとなんと神戸、大阪と唄を聴いてくださった。
ありがとうございます。秋の京都に連れてきてくださって。
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2008年11月15日

岡山のモグラ

以前、私が旅を始めた頃いろんな全国のライヴハウスに電話していて、お店が広いからお客さんが心配だから、そして私にも悲しい思いをさせてしまうかもしれないから、、と出演を断られたお店のひとつ。うん、入ってみて納得。でも今回は若いミュージッシャンたちと中川五郎さんと一緒。菅田紗江さんは東京から来たそうだ。五郎さんがしきりに「カワイイ」と耳打ちしてくる。元気に唄っていた。飛登幸(ひとこ)さん、彼女もギターの弾き語り。紗江さんとは違う世界、それからガットギター2本でかなりの早弾き、そしてアドリヴの嵐のステージ金子兄弟。兄24歳、弟19歳。楽しんでいるのが良かったな。凄いなみんな、唄も上手いし、金子君達みたいなことは私には一生出来ないでしょう。松下徹さんは少し歳が離れているかな。なるべくホールの中で全員のステージを聴こう観ようと思ったのだけれど松下君の次が私の出番だったので全部は聴けなかった。
楽屋でふと思う。私が彼女彼等の歳の頃には50歳以上でおんなじステージで唄う人達はいなかった。みんなが若かった。外国のアーティストも殆どが10歳から15歳くらい年上の人たちに憧れていた。もちろん旧いルーツ音楽の人たちもいたけれど、とにかく日本にはいなかった。面白いなぁ、、これは日本ではじめての現象だ。あと20年唄えるとして、いや80歳超えても唄えるとしたら孫のような人達と一緒にいられるのだ。
奇しくも五郎さんがピートシーガーの新しいアルバム(凄いね)から一曲日本語にして唄い始めた。子供達のための唄だ。
そう、世界を、地球を、若い人たちに美しく平和に継いでいってもらうために
生きて行く〜という大きな役割が私たちにはあるんだ。

打ち上げは、光市のフォークジャンボリーからお世話になった尾崎さんはじめスタッフの方、赤べーさん、若者兄弟、主催者松下さん、そして素敵なイタリアンレストランに連れて行ってくださった方、お店が貸切になり、ワインの瓶がどんどん空いていく。私は深夜のお酒を極力控えているので(これは今回のツアーで心に決めたのだ)みんなの話がお酒の変わり。
ごちそうさま!!
流石にジャンボリーから3日間、遠足のような日々、たった3日間とは思えない。五郎さんの肝臓に敬服。その他大勢の皆さんも。

翌朝、ホテルで五郎さんと別れることに。私は神戸へ、五郎さんは自宅へ。
朝まで赤べーさんと起きていたという尾崎さんが、ご丁寧に車で駅まで送ってくださると言ってホテルまで。五郎さんは飛行機の時間まで古着屋まわり、そうそう岡山には良い古着屋さんあり、私のステージ衣装はかなりこの岡山で仕入れている。でも出来るだけ早く神戸に行って、一休みをすることに決めていたので五郎さんとはお別れ。尾崎さん最後までありがたかったです。
新幹線で30分なのに、高いなJR。
でもおかげで夕方までお昼ね出来た。旅の間の昼寝はとても大切。
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2008年11月12日

山口、山口、そして岡山

10月30日、ツアーのはじまり。今回のツアーは今年一番大変かなぁ、、と思っていた。日数では夏に25日という南の島々から九州までというものがあったが、それは休みながらゆっくりの旅だった。今回は最初の山口での2日を除いてずっと移動し続けるのだ。夏からの疲れが出る頃、荷物もコートやセーターで重い。正直な不安。不安に勝つには勇気。自分の選んだことだ。
新しい唄もある。会いたい人たちも沢山いる。はじめての場所もある。唄の旅が始まってまだ5年だ。

山口宇部空港からバスで小郡、そして山口線で湯田温泉。小郡で切符を買おうと券売機のところで路線表を見上げていると、私より少し年配の男性が声をかけてきた「おい!湯田までいくらだよ!」一瞬耳を疑う。230円なのはわかっていたのでそう言うと私より先に券売機でさっさと切符を買って去っていく。こういうときは一言言わなくては、、「あの、その聞き方はないのでは?」でも4個の荷物、オッサンに追いつかない、山口線のホームは駅の一番奥、、、。やっとの思いでホームに降りると、車掌さんが「荷物持ちましょう」あぁ、怒りが消えた。ありがとう車掌さん。

湯田の「カフェ・ド・ダダ」私が旅を始めた最初の頃に受け入れてくれたのがこの社長の香原さんだ。その頃はラグタイムという名前だった店、いまでも面白い人たちが唄いに集まっている。エリック・カズ、エリックアンダースン、そんな人たちもこの小さな温泉街の場所で唄っている。
それから5年。沢山の友達が出来た。「べすぱ」というデュオであり夫婦であるかおりんとミッチー、今年瀬戸ちゃんというベイビーが生まれた。生まれるのは嬉しい。
3年前に亡くなった若林純夫さんの追悼コンサートがフォークジャンボリーになった。時間が早い。
女だけでコンサートを!という企画で3年前に誘っていただいた企画運営をしきった小澤さんとその仲間の女性達。元気だ。

今回は、ダダで一番「尖がったライヴだった」と香原氏や小澤さんから言われた。飛行機に乗ったその直後のライヴは耳が調子悪いのだけれど、だから声も大きかったかな、、いや、切符売り場のオッサンのせいか?
でも平日の夜に20人近くのお客さん、ありがたい。

小澤邸にお世話になる。旧い日本家屋。山口でも湯田は山に近いから寒い。それにこの立派なお屋敷はもう炬燵が用意されている。
お風呂をいただき、熱燗ちょっぴりいただきおやすみなさい。
翌日はお休み。小澤さんと小さな町の公設市場に買い物に行く。そうそう、その前に、旧県庁を見学させてもらう。大正時代に建てられたアールデコっぽい素晴らしい建物。議会場の自然なエコー、ここでコンサートもするという。いいなぁ。
市場で夜に二人で食べる鍋の材料物色。瀬戸内やもちろん玄界灘のフグも、あぁ魚が安い!偶然べすぱのかおりんとベビーカーに乗った瀬戸ちゃんに会う。
夕方、小澤さんお勧めの温泉にゆっくり入り、休日の夜は女二人鍋。食べきれないよ〜。残りはきっちりと翌朝ご飯になりました。
小郡まで小澤さんに来るまで送ってもらって、光市へ。

「伊保木村 憲法9条フォークジャンボリー」これは野外コンサート。しかも上田達生さんという陶芸家の裏庭(村の皆さんが総出で作った広場)ステージも仲間の人たちの手作り。笠木透さんが中心になって続いているコンサート。沢山の人たちが出演する。東京から中川五郎さん、関西から赤木一孝さん、沖縄のジョニー宜野湾さん、それからパギヤンこと趙博さん、岡山の尾崎ユニット、フーテナニーと題してみんな一曲ずつの人たちも、一人ひとり紹介できなくて申し訳ないけれど、総勢19組!人形劇もあり、昼前から始まったコンサートも最後の笠木透と雑花塾の時間になった頃はもう薄暗くなっていたけれどかえる人はあまりいない。
私も自分の唄う時間以外は殆どブルーシートに寝転んだりしながらみんなの唄を楽しむ。素晴らしかったのは、なんと屋久島から10人で(子供や奥さんなども)船とバスでやってきたというビッグストーンというバンド。
彼らの歌っていた「オー!ガンジー」という唄にガッツーンとやられました。
また会いたい。
それからとても嬉しかったのは、去年岡山でやった「憲法9条フォークジャンボリー」の時に初めて会った赤木一孝さんアカベーさんが、あの時楽屋で私のレパートリーのブルースカイズのコードで悩んでいると言ったらば、なんと素晴らしい譜面(コードのかたち)を丁寧に書いて持ってきてくれていたこと!
その場限りの出会いの中でまた温かい心を教えてもらう。
打ち上げは海辺に面した焼肉や、その名も灯台で総勢わからな〜いくらいの老若男女!!!肉が山盛り運ばれてもすぐに消えて行く。子供も、若者も、オジサンオバサンも元気だ!
今回のステージと自宅を提供してくださった上田さんの作品は繊細だけれど温かい、「どれで何を飲んでも食べてもいいよ」とひとつひとつが喋っているみたいだ。息子さんも焼き物作家だ。
そうそう、縁というか、山口の小澤邸にも上田さんの焼いたお雛様があった。
それでいて、米も野菜も作っている。しっかり地元に根をはって、でもちょっと変わった人たちが出入りする上田家。
翌朝の別れはなかなか終わらない。終わりたくないんだ。でもお祭りの終わり。きっとまた始まるんだろうな。
蔭で沢山ご馳走つくっていた女性の皆さん、出店を出していた皆さん、力仕事から細々とした連絡や進行をした皆さんおつかれさま!そして声をかけていただけたことに感謝。

尾崎ツトムさんの車で五郎サン、アカベーさんと岡山へ。
やはり岡山のジャンボリーのときに声をかけてくれた松下さんという女性が企画してくださり、五郎さんと私と地元のわかいミュージッシャンとのコンサートをすることになった。
さて、少し長くなったので続きはまた〜
だって酔っ払いさんたちの話に突入しそうだから〜♪
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2008年10月28日

珈琲音

人の繋がりというのは予期しない形となって発展することが、今回の佐野「珈琲音」に行かせてもらって改めて思う。
5年前、佐野の長谷川さん夫妻の「風の子保育園」に行かせてもらった。それは松島よしおさんという音楽活動を沢山の人間関係を生かして続けている方に
連れて行ってもらったのだが、その翌年保育園で私が唄わせてもらうことになり、その時にお客さんで来ていたのが「珈琲音」というコーヒーやさんのマスター奥澤さんだ。さりげなく煎りたてのコーヒー豆をいただいた。
3年前、フォークジャンボリーで石巻に行かせてもらたときに、嶋村さんという男性とその息子さんの一歩君と始めて会った。奥さんが亡くなられるまでは、いろいろなフォークシンガーを自宅に招いていたという話は聞いていた。いまでも大塚まさじさんや、いとうたかおさんが嶋村家に行って唄っている。
あるとき息子の一歩くんと東京で再会した。なんと佐野のコーヒーやさんで修行をしているという。それが珈琲音(かひあん)だった。
今年になって一歩君から電話があり佐野の店で唄わせてもらえることになった。彼は修行をしていつか実家に喫茶店、それも音楽の出来る店を持ちたいために頑張っている。入店2年で店長。27歳。夢は力だ。
珈琲音という店の名前、どうして音という字が入っているかというと、マスターの奥澤さんが音楽をこよなく愛している、そして若者をこよなく愛している。スタッフは何人いるのかしら?男女合わせて5人以上?店の2階は寮だ。今時珍しいと思う。賄いも順番にこの若いスタッフがまかされているそうだ。マスターが抱っこしている赤ちゃん、どうみてもお孫さんと思ったら、スタッフの息子さんだった。でも似ていたな。

ゆっくりと店でコーヒーをいただき、リハーサルして(音がいい)本番までみんな忙しくしていて私は久しぶりに出番の前の一人の時間を楽しんだ。
このところ本番前の時間が慌しかったからな。
お客さんは40人ちょっと?小さな町外れの店にこれだけの人。殆どが常連のお客さんだという。中には宇都宮あたりからコーヒー飲むために句碑ともいるという。嬉しかったのは親子連れのおきゃくさんもいたこと。若い人にも聴いてもらえる。休みなしで1時間45分くらい?
途中でこの日誕生日というお客さん、なんでも24年前に開店する前からの付き合いらしい初出さん。みんなでハッピーバースディを唄う。
舘林からは、今年の夏にもお世話になった津布工さんもスーツ姿で駆けつけてくれた。嬉しい。
お客さんが帰る頃、外は激しい雷雨でそれが申し訳なかった。
皆さん無事に帰れたかな。

打ち上げは、店の奥のまさに『茶の間』で。美味しい栗ご飯、胡麻豆腐、お刺身、、。本来の打ち上げは、蔭で働いていた人たちの為のものだ。次々に自分の仕事を終えた若いスタッフの面々が集まって、マスター&ママ中心に静かに談笑。でもこのままでは終わらない。だってギターとベースがあるのだもの!
みんなで唄う。一歩くんのハナレグミの唄よかった。それからマスターは斉藤哲夫さんの唄、「さのっこ」というユニットの女の子はオリジナルうたってくれた。みんなの唄が子守唄みたいで凄く眠くなってきた。

お土産がすごかった!
私が、コーヒーミルを持っていないことをチラっと言ってしまったら、なんと優れものの手動のセラミックのミルと、サーバーセット一式いただいてしまった。もちろん豆つき。申し訳ないけれど、ありがたくありがたくいただいた。

再来年、また唄わせてもらう約束をした。1年ってあっというまだから。
2年後には、ここにいる若者達はどんなふうになっているだろう?
私や奥澤さんの何倍ものスピードで成長するんだろうなぁ、、。
奥澤さんの、愛は厳しくそして自由だと思った。
それはかなりのエネルギーと忍耐が必要なはず。

今度一歩君のお父さんに会ったら、どんなふうに彼の生活を報告しようかな?

ありがとう、芳しい香織に包まれた一夜。今年100回目のステージ。感謝。
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両国

増幸亭は、友人のよりこちゃんの小学校の同級生である清水家の1階にある小さなホール。普段はマスコさんという方が、事務所として、そして時々落語を中心にイベントをしている場所。小さな空間、しかしかなり高さのある高座がしつらえてある。落語だからな、この高さは普通。でも私が唄うには高すぎる。急遽高座にセッティングしてもらったマイクを客席に下ろしてもらう。
お客さんの大半はよりこちゃんが通っていた両国の小学校の幼馴染。そして私のライヴにいつも来てくださる方々。親子で来てくださった方もあったが、殆どが50歳以上。でもみんな元気で若い!世代の話はあまりしたくないし、しないようにしているけれどやっぱり歳が近いと会話がスムーズだ。まずカラダのはなし、みんなどこかしら病気を体験していたりする。そして親と子供の話。しょうがないそういう年代だ。
さてライヴ。なんとなくみんな緊張しているのか静か。。。でもその静けさをいただいて、す〜っと唄いだす。今年のアルバムの曲を中心に、そして最近つくった唄も。最後は虹の王国でコール&レスポンス、やっぱり応えてもらえた。嬉しい。
このライヴは打ち上げが豪華だ。みんなが手作りでお料理やお酒を持ち寄ったから。テーブルに乗り切らないほどの料理。学級委員だったという女子さんはサラダをなんと一人ずつパックして、それから炊飯器ごと炊き込みご飯をセットして炊きたての牡蠣ご飯まで登場。面白かったのは、私の音楽を支えてくれている近藤達郎くんの中学の同級生が二人もいた。縁とはいえ不思議。よりこちゃんはすし屋の娘だったから嫁入り道具にオモイオモイ銅の卵焼き鍋を持っていて、特別のイベントのときに凄まじく旨い「ギョク」を焼いてくれる。卵8個で特製だしがたっぷりはいっていて、江戸前のアマ〜イふわふわの。2枚焼いてクタクタだったろうな。
いつも私のライヴのあとに座をもりあげてくれるベニーちゃんは新作披露。カラオケつきだ。骨折して退院したてのSさん、まさえさん、ラルクさんもいっぱい食べていて嬉しかった。
ライヴ途中で帰ってしまったK氏にも味わって欲しかった時間だ。
みんなご近所だから普段着で、三々五々と帰って行くのだけれど、幼馴染は賑やかだ。
企画してみんなに声をかけてくれたよりこちゃん、清水家のみなさん、笑顔がたえない両国の昔子供だったみなさん、そしてアウェィなのにすっかりなじんでいた皆さんも、本当にありがとうございました。
この夜は私は、清水家の2階の生前おばあちゃんのお部屋だったところに一人ゆっくり休ませてもらい、翌日の佐野に向うのに、昨夜の仲間の一人ガッチャンがタクシーをつかまえてくれてホームまで荷物を持って送ってくれた。
下町は優しい。また行きたいな〜。。。。よりちゃん。。。

今年99回目のステージでありました。
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2008年10月26日

アメリカ

今日は、いや昨日土曜日は家から一歩も出ずに映画鑑賞。

一本目、「Missing in America」
雨ばかり降る山深い場所にひっそりと隠遁している、ベトナム戦争帰還兵の物語だ。こういう形で心を閉ざして今も傷を癒されずに居る人たちがあるのだ。

2本目、ダイスキなスパイク・リーの「25時」。時代設定は同じなのに、なんてアメリカは広いのだろう。それなのに、2本とも、とてつもなく小さな個人個人の抱えている問題を抉り出そうとする。
出しても出してもどんどん溢れてくる悲しさ。
リー監督が、9・11後につくったからには、、という凄まじい想いで録ったグラウンドゼロのポッカリと巨大な空き地の風景。いまだに遺体のDNAを掘り出す作業員と主人公達の生の現実。

2本観たら、おなかがいっぱいになった。

主題のきっぱりとした芸術が一流だ。私たちはそこに、いつも自分をさがしているのだから。
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2008年10月23日

小さな優しさ、オオキナヤサシサ

その時には、理解できないことが、年月経て、ガッツ〜ンと気がつくことがたくさんある。気がつくのではない、気づかせてもらうのだ。
なんで、あのときあの人は私にあんなに厳しかったのか、、、。ちょっと手を貸してくれてもいいじゃないの。。。
でも今になって「あれがあのひとの大きなヤサシサ」だったのだ。

いつも蔭で、人が見ていようと見ていまいと黙々と誰かのために働いている人は、見抜く眼を持っている。

その時ばかりの優しさに、ヘイコラしない人だ。

大きなヤサシサを抱えるには、大きな勇気と忍耐がいる。
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2008年10月20日

早起き

前夜は、頑張って終電で帰って、急いで荷造りして、よりこちゃんに風に吹かれてで携帯の目覚ましアラームをセットしてもらったので7時にバット起きて。。。東京駅からMAXに乗って新潟経由山形の小国まで。
東京駅で久我さんの娘さんの彩子さんと同席。彼女はしっかりものさんで出発から助かったし、小国駅にはお客さんで来ているはずのベニーちゃんが迎えに来ているし、もうこれは到着前からそわそわしている一人の男性の顔が目に浮かぶ。
『音祭り」これは久我さんという一人の男性が、たった一人で考えて半年以上前から小国に通い続けて、町や鶴岡市の人達と一対一で交流をして実現したお祭り。経緯はそのつど久我さんから聞いていたけれど、楯山荘という小国の旧小学校についた時には驚きました。自治会の方々が迎えてくださり。コシヒカリの新米とステーキみたいな鮭とイクラや赤カブ漬けでお昼。私ははじめ久我さんがこの町の出身だったのかと思っていたのだけれど、まったく違い、なのにこんなにみんなと仲良くなって!
東京や、いろいろ遠くからも車にのりあってチケットは200枚も売れた!
楯山荘の隣は旧い神社があり、樹齢何百年はするのかしら杉の大木、苔むした石段、マイナスイオンいっぱいいただく。この静けさはなんだ〜!ここに200人の人がどうやって集まるんだ〜?
夕方近く、車の元ちゃんが迷いながらやってくる。リハーサル、学校の講堂はナチュラルエコー〜〜〜〜〜ウワ〜ン!地元のバンドの人達もたくさん歌うのでリハーサルそこそこ、ロビーには近所からおばあちゃんや、主婦の人たちが早々とマイ座布団をかかえて待っている。
イベントの始まりは小国の青年団の団歌をみんなで斉唱。昔青年団であった私より少し年上の方々が唄っている。
私は元ちゃんと1時間半のステージをまかされた。心配していた音の反響はお客さんがみんな吸い込んでくださったからなかなか良い気持ちの音になる。大成功!人間力だ!飛び入りでちっちゃな女の子が元ちゃんのジャンベを叩く。でもすぐあきちゃったみたい、あっというまのステージ、でもみんな年代を超えてじっくり聴いてくださった。もう少しおばあちゃん達も知っている歌増やせばよかった、ニコニコ聴いてくれていたのだもの。
鶴岡市の副市長がご挨拶。久我さんどこまで宣伝に歩いたのだ?

打ち上げ、山盛りの甘エビの刺身(指がクワンクワンになるほどの思いで殻むいてくださったんだ)鮭、芋のこ汁、そしてお酒、60人以上の大宴会、もう隣の人の話も聞こえないくらいの賑やかさ。そしてさすがにお酒の注ぎかたがはんぱじゃないぞ、気をつけたな〜わんこそば状態何だもの。
でも私と元ちゃんは久我さんの配慮で民宿に移動させてもらう。
帰り際に厨房でベニーちゃんがおばちゃんたちを楽しませていた。優しい。
あとかたずけも大変だったろうな。本当にご馳走様、お疲れさま。
無償の塊。

翌日は、もとJJの阿波崎夫妻、べニーちゃん、サクマくん、元ちゃんと久我さんお勧めのおすし屋さんで贅沢!良いのか?こんな美味しくて。

この海辺のすし屋で解散。

帰りの車中、それぞれが楽しかったこと、おかしかったこと、感動したこと話し出す。

私は小国という自分ひとりでは行かないであろうそ、その一生懸命で純朴で、元気な人たちにであえたことと、そこに連れて行ってくださるために、自分流でやりきった久我さんとの出会いを思ってあらためてふ〜っと風を感じる。

久我さんが以前、私のコンサートのチケットを20枚近く見ず知らずの人にも売ってくださったこと、山形行きの前日に埼玉から私の家まで荷物を取りに来てくれたこと、美味しかったウナギ、新米、塩辛。すべてさりげなかった。

シアワセをいただいたらば、今度は自分が誰かにお返しするんだ。
これをしなくてはいられない!
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風に吹かれて〜還暦パーティー

17日金曜日、生田敬太郎さんのお誕生日、60回目。
この日は「風に吹かれて」の金谷オーナーが全力でお客さんと、仲間に集合をかけた。満員御礼。予約なしの人たちは立ち見。歌い手仲間の人たちもたくさんだ。司会は鎌倉研さん。しかしいつものようなネタのカマケンじゃないんだ、凄く控えめでそして粛々と進行をしていく。気持ちがいい。瀬戸口修さん、マジくんそして龍くん、とみたいちろうくん、カツドンの中島田鶴雄さん、私、斉藤哲夫さん、みんな一曲きりなのですが、殆ど敬太郎さんはステージに座ったままサポートのギターやハモニカを演奏続ける。歌い手たちも思いがあって、敬太郎さんのことを好きな人たちが会費もはらって集まってきたんだ。だからステージは本当に気持ちいい。飛び入りの大阪から仕事終えてハモニカもってきたわんちゃんや、三重からも中俣くんそのほかにも遠くから駆けつけて人たちもたくさん、そして客席には以前は音楽を演じていて今はプロデューサーになってるひとや、いわゆる業界のひとが敬太郎さんファンと一緒の席で彼の唄を聴いている。エレックレコードってすぐになくなっちゃったから、みんなそれぞれレコード会社を変えたり、私のように唄うことすらやめたりした人もたくさんあって、そしてなんといっても関西の拠点URC系の人たちとは何かと色分けされたりもあったし、、、。でもね、この夜は柔らかかったよ。唄う敬太郎さんもほかのアーティストの人達も、この数年何度かいろいろな人たちのお祝いライヴにいかせてもらったけれど、こんなに穏やかで気持ちよいお祝い会は初めてだ!昨夜ご丁寧に敬太郎さんから「アリガトね」の電話。すっごく嬉しかったって。敬太郎さん末永くよろしくね、私の尊敬するアーティストでありダイスキな人だ。
そう、風に吹かれての金谷くんは凄い。この柔らかさは彼がみんなとつくった。私は彼の口から、大げさなことや、人の悪口を今まで一度も聞いたことがない。それは偉大だ!
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