「ただいま〜」とドアを開ける。
「おかえり〜」と元気デハスキーな大声の節子ママに迎えられる。
大袈裟なことはひとつもない。
コーヒーをいただきながら、お喋りをする。ママは4月4日の渡さんの生誕祭に行って来たので、その話題から、ずっと二人で話し続ける。
話し続けながら、セッティングをする。マイクをセットして音を出してみたのだけれど、なんとなく生で唄ってみたくなった。自然に唄いたかった。
セットしたけれどまたしまう。そう、この店は全部自分でステージをつくるのだ。自分の納得するやりかたでやるのだ。
本番前には必ず、ママから賄いを頂く。きちんと平らげた。食べながらもママとは話が止まらない。
お客さんがチラホラと入って来て、するとママはキリっと本番モードになる。
楽屋などない店なのにこのモードをつくってくれるために、お客さんとナァナァにならずに自分も集中できる。これは大事なことだと思う。
奇しくも4月8日はお釈迦様の誕生日で、、という書き出しのFAXが張られていた。島根の歌うお医者さん「長坂ゆきひろさん」から私宛にメッセージ。
ありがたい。
岡山市内や倉敷からも皆さん聴きに来てくださった。
今は亡きマスターと渡さんのツーショットの写真を背に、生で2時間。気持ちの良い時間の中で唄わせてもらった。
萌では打ち上げはない。翌朝早くからモーニングがあるからだ。健康的、長い年月ライヴをし続けてこれたのは、こういうケジメがあるからだし、決して有名であるとか、売れているとか、まったくおかまいなし、ただ人間としての質をテストされる場所。
だから日本中から老いも若きも唄歌い達がやってくる。スケジュールがいっぱいだ。
ママから寝酒のビールをもらって宿に帰り、お風呂にはいってもまだ12時前。嬉しいなぁ。
翌朝はもう一度、給食をいただいて出発。
曲がり角で姿が見えなくなるまで見送ってくれたママ。行ってまいります♪
神戸に移動
アコシャンの仲良しグループはこの日曜日は、鴨川の川原でお花見なのだそうで、ママもあまり寝ていないのにお花見の準備をしていた。私も誘われたけれど、この夜は神戸で唄うのだ。。それでもタクシーでみんなが集まっている処を通ったら、窓越しにビールとおつまみを投げ入れてくれた。。あ〜いいなぁ、、。
一方その頃、北大路の地下鉄駅前には、高校生の眞城家の長男ゆうすけくんが待っていてくれていた。荷物が重いだろうと、神戸の佳奈さんが息子にローディーをさせたのだ。車の送り迎えもありがたいが、こうやって電車を乗り継いで神戸から来てくれたゆうすけ、はじめてあった時は小学生だった。一緒に神戸六甲口まで花見の人ごみを掻き分けて眞城家に到着。
眞城家も玄関はいる時には「ただいま」を言いそうになる。
三宮のLAST WALTZ は、はじめてのお店。マスター吉岡さんから直接メールをいただいたて決めさせてもらった。お店は10人も入れば一杯になってしまうと言う。。そして、簡単がリハーサルが終わると、まさに10人いや正確には11人のお客さんがカウンターにぎっしり。満員御礼。
とにかく、店の名前のとおり、私くらいの世代の人たちが大好きな感じの、いや、かなりそれもマニアックな音楽が大好きな人達が集まる場所なのだ。唄い終わっても、お客さんは止まり木に腰掛けながら、マスターがビールを買い足しに出掛けていた。
神戸にまた、新しい面白い場所に出遭ってしまった。
帰宅して、眞城家の次男だいきくんに足の裏を踏んでもらう。極楽極楽。
翌日から二日間OFFなのだ。
翌日昼近くまで眠らせてもらって、子供達とテレビを観る。
関西ならではのワイドショーだ。ニュースなのにお笑い、でも、それは関西らしいユーモアであり、けっして気取らずに、物事をズバっと斬る技でもあると思う。関西魂だな。
夜は友人のりんぼうさんもやってきてみんなで野球を観ながら(阪神戦でっせ)お鍋を頂く。家族団らんに仲間入りさせてもらうだけで嬉しい嬉しい。
ゴハンが美味しい。テレビ観て笑う笑う、野球のわからない私も、あまりにも熱いテレビの前の観客に扇動されて阪神のサヨナラホームランで「ヤッター!」と叫んでいた。恐るべし。
翌日もゆったりと、だいきくんとお散歩などしたのだが、人から見たらおばあちゃんと孫の散歩か???まぁいいや、友達に年齢差はないのだ。
長男ゆうすけくんのギターが上達していて、私は彼からAのブルースのベースランを伝授してもらった。若者に教えてもらうのは大好きだ。
三日間、ゆっくりとさせてもらって、翌日4月8日はだいきくんの中学の入学式。見送ってから一人岡山の笠岡に出発。
一方その頃、北大路の地下鉄駅前には、高校生の眞城家の長男ゆうすけくんが待っていてくれていた。荷物が重いだろうと、神戸の佳奈さんが息子にローディーをさせたのだ。車の送り迎えもありがたいが、こうやって電車を乗り継いで神戸から来てくれたゆうすけ、はじめてあった時は小学生だった。一緒に神戸六甲口まで花見の人ごみを掻き分けて眞城家に到着。
眞城家も玄関はいる時には「ただいま」を言いそうになる。
三宮のLAST WALTZ は、はじめてのお店。マスター吉岡さんから直接メールをいただいたて決めさせてもらった。お店は10人も入れば一杯になってしまうと言う。。そして、簡単がリハーサルが終わると、まさに10人いや正確には11人のお客さんがカウンターにぎっしり。満員御礼。
とにかく、店の名前のとおり、私くらいの世代の人たちが大好きな感じの、いや、かなりそれもマニアックな音楽が大好きな人達が集まる場所なのだ。唄い終わっても、お客さんは止まり木に腰掛けながら、マスターがビールを買い足しに出掛けていた。
神戸にまた、新しい面白い場所に出遭ってしまった。
帰宅して、眞城家の次男だいきくんに足の裏を踏んでもらう。極楽極楽。
翌日から二日間OFFなのだ。
翌日昼近くまで眠らせてもらって、子供達とテレビを観る。
関西ならではのワイドショーだ。ニュースなのにお笑い、でも、それは関西らしいユーモアであり、けっして気取らずに、物事をズバっと斬る技でもあると思う。関西魂だな。
夜は友人のりんぼうさんもやってきてみんなで野球を観ながら(阪神戦でっせ)お鍋を頂く。家族団らんに仲間入りさせてもらうだけで嬉しい嬉しい。
ゴハンが美味しい。テレビ観て笑う笑う、野球のわからない私も、あまりにも熱いテレビの前の観客に扇動されて阪神のサヨナラホームランで「ヤッター!」と叫んでいた。恐るべし。
翌日もゆったりと、だいきくんとお散歩などしたのだが、人から見たらおばあちゃんと孫の散歩か???まぁいいや、友達に年齢差はないのだ。
長男ゆうすけくんのギターが上達していて、私は彼からAのブルースのベースランを伝授してもらった。若者に教えてもらうのは大好きだ。
三日間、ゆっくりとさせてもらって、翌日4月8日はだいきくんの中学の入学式。見送ってから一人岡山の笠岡に出発。
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記
4月の旅はやはり京都からはじまった
4月3日、早起きをして京都へ。
やきにく「いちなん」のライヴは昼過ぎからなのだ。
店主、孫恵文(けいぶんさん)は頑張りやで明るい。私の京都での大切な友人。
お店は焼肉やさんなのに、そのビルの3階には素敵なサロンがあり、屋上にはパーティーが出来るスペースと花たち。素敵だ。
くすきしんいち(しんちゃん)が今年も2曲唄った。彼のテーマソングのような「イチジョージ・オン・マイマインド」はいつ聴いても好き。アンコールでもう一曲。
毎回聞いてくださるお客さんに加えて、いつもはじめての人たちを呼んでくれれて、そしてなんと私のアルバムを買ってくださった人には、恵文さんが、
¥3000のお食事券をプレゼント!というなんとも素晴らしいおもてなし。
だから、ライヴの後は階下のお店でみんな、食事をするこになる。
必ず来てくださる地元のぼんさんとしんちゃんとゆっくりと飲んで、食事して、それから私はこれから始まる長い関西ツアーの行く先々の人たちに葉書を書いて過ごした。
翌日唄わせてもらうアコシャンのママから「銭湯終わっちゃうよ」とのメールで慌ててアコシャンの裏にある私の京都のお風呂場に行く。
桜が七部咲きの公園を横切って、しかし寒い。
お花見の京都はいつも寒い。これから10日間の旅の間に、いったいどんなことが起きるのかしら。
今年もまた京都の桜。どうしてこんなに胸が熱くて少しセツナクなるんだろう、、、桜の不思議なちからのせい?私が生まれてから、桜は確実に55回は咲いている。もちろん他の花も、作物たちも、でも、桜はことのほか様々な想い出と一緒にいる。一緒に桜並木を歩いた昔の恋人の顔が思い出せない。。。と湯上りの夜桜に急にそんなことを思い出した。思い出せないことを思い出させるんだな、、桜の奴め!
翌日、アコシャンのママがおうどんを作ってくださる。そして御昼寝。
4月4日は東京の三鷹で高田渡さんの最後の生誕会があって、京都からも出掛けている人たちがいた。
私は、それでも京都で「その日」に唄うことを決めていた。別にそんなに深い意味があってのことではなく自然にそうなった。
「巻き毛のベイビー」という曲を渡さんがこのアコシャンで亡くなる直前に弾きかけたことが、私への最後のメッセージのような気がしている。
渡さんのギターの音色が好きだ。力強く、芯のある音。
アコシャンライヴは生声、生ギターだ。叡電の線路脇のこの小さなBar、唄っている間に何度も電車が行きかう。それほど生の響きのあるつくりではないのだけれど、私はアコシャンではずっと生で唄う。マイクがないと動ける。自由だ。
まだ、アルバムもつくっていなかった7年前にはじめてうたわせてもらってから、私の京都はこの左京区の小さな町が一番なじんでしまった京都だ。
やきにく「いちなん」のライヴは昼過ぎからなのだ。
店主、孫恵文(けいぶんさん)は頑張りやで明るい。私の京都での大切な友人。
お店は焼肉やさんなのに、そのビルの3階には素敵なサロンがあり、屋上にはパーティーが出来るスペースと花たち。素敵だ。
くすきしんいち(しんちゃん)が今年も2曲唄った。彼のテーマソングのような「イチジョージ・オン・マイマインド」はいつ聴いても好き。アンコールでもう一曲。
毎回聞いてくださるお客さんに加えて、いつもはじめての人たちを呼んでくれれて、そしてなんと私のアルバムを買ってくださった人には、恵文さんが、
¥3000のお食事券をプレゼント!というなんとも素晴らしいおもてなし。
だから、ライヴの後は階下のお店でみんな、食事をするこになる。
必ず来てくださる地元のぼんさんとしんちゃんとゆっくりと飲んで、食事して、それから私はこれから始まる長い関西ツアーの行く先々の人たちに葉書を書いて過ごした。
翌日唄わせてもらうアコシャンのママから「銭湯終わっちゃうよ」とのメールで慌ててアコシャンの裏にある私の京都のお風呂場に行く。
桜が七部咲きの公園を横切って、しかし寒い。
お花見の京都はいつも寒い。これから10日間の旅の間に、いったいどんなことが起きるのかしら。
今年もまた京都の桜。どうしてこんなに胸が熱くて少しセツナクなるんだろう、、、桜の不思議なちからのせい?私が生まれてから、桜は確実に55回は咲いている。もちろん他の花も、作物たちも、でも、桜はことのほか様々な想い出と一緒にいる。一緒に桜並木を歩いた昔の恋人の顔が思い出せない。。。と湯上りの夜桜に急にそんなことを思い出した。思い出せないことを思い出させるんだな、、桜の奴め!
翌日、アコシャンのママがおうどんを作ってくださる。そして御昼寝。
4月4日は東京の三鷹で高田渡さんの最後の生誕会があって、京都からも出掛けている人たちがいた。
私は、それでも京都で「その日」に唄うことを決めていた。別にそんなに深い意味があってのことではなく自然にそうなった。
「巻き毛のベイビー」という曲を渡さんがこのアコシャンで亡くなる直前に弾きかけたことが、私への最後のメッセージのような気がしている。
渡さんのギターの音色が好きだ。力強く、芯のある音。
アコシャンライヴは生声、生ギターだ。叡電の線路脇のこの小さなBar、唄っている間に何度も電車が行きかう。それほど生の響きのあるつくりではないのだけれど、私はアコシャンではずっと生で唄う。マイクがないと動ける。自由だ。
まだ、アルバムもつくっていなかった7年前にはじめてうたわせてもらってから、私の京都はこの左京区の小さな町が一番なじんでしまった京都だ。
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記
4月1日のお祝い
デザイナーAKIくんの22歳のバースデイ・ライヴに参加させてもらった。
AKIくんとの出会いは、タイコの元ちゃんのステージをK氏に誘われて恵比寿の美味しい料理屋さんの二階に連れて行ってもらったのが最初だったかな。
AKIくんは音楽も大好きだ。この日は、斉藤哲夫さん、平安隆さん、湯川トーベンさん、もちろん元ちゃんは叩きっぱなし、そこに私もコーラス・ガールとしてお祝いさせてもらった。リハが終わるころ中川五郎さんもやってきてもう、楽屋は賑やか過ぎ!
AKIにプレゼントを探していた。3月の私の誕生日には「モロフォ蝶」の絵が描かれた赤いパーカーをもらった。もちろんこの当日はそれを着て行った。
大島のオアシスで、素敵な石に出会った。「アマゾナイト」の原石。なんでも人の持っている才能を引き出してくれる力がある、、という石言葉が書いてあった。でもそんなことより、その石の真ん中に走るブルーの色がモロフォ蝶とそっくりだった。
AKIに渡したら、「スゴイ、今日は石のことも描こうと思っていた」と言ってくれた。嬉しかった。
哲夫さんも、平安さんも、そしてもちろんトーベンさん、元ちゃん、集まった人達、みんなAKIが好きだ。
バンマスは他でもないAKIだったかもしれない、、。賑やかな音楽と一緒に22歳のその日の絵が完成した。
元ちゃんが沢山の人たちに呼びかけをして沢山のお客さんもユラユラ体を動かしていた、AKIは自由に描いて、唄って,踊って、笛やなんとテルミンまで操った!
AKIくんとの出会いは、タイコの元ちゃんのステージをK氏に誘われて恵比寿の美味しい料理屋さんの二階に連れて行ってもらったのが最初だったかな。
AKIくんは音楽も大好きだ。この日は、斉藤哲夫さん、平安隆さん、湯川トーベンさん、もちろん元ちゃんは叩きっぱなし、そこに私もコーラス・ガールとしてお祝いさせてもらった。リハが終わるころ中川五郎さんもやってきてもう、楽屋は賑やか過ぎ!
AKIにプレゼントを探していた。3月の私の誕生日には「モロフォ蝶」の絵が描かれた赤いパーカーをもらった。もちろんこの当日はそれを着て行った。
大島のオアシスで、素敵な石に出会った。「アマゾナイト」の原石。なんでも人の持っている才能を引き出してくれる力がある、、という石言葉が書いてあった。でもそんなことより、その石の真ん中に走るブルーの色がモロフォ蝶とそっくりだった。
AKIに渡したら、「スゴイ、今日は石のことも描こうと思っていた」と言ってくれた。嬉しかった。
哲夫さんも、平安さんも、そしてもちろんトーベンさん、元ちゃん、集まった人達、みんなAKIが好きだ。
バンマスは他でもないAKIだったかもしれない、、。賑やかな音楽と一緒に22歳のその日の絵が完成した。
元ちゃんが沢山の人たちに呼びかけをして沢山のお客さんもユラユラ体を動かしていた、AKIは自由に描いて、唄って,踊って、笛やなんとテルミンまで操った!
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記
渡るよ、渡ったよ、伊豆大島だよ!
RINCOLOのステージで目覚め、みさえさんの朝定食をしっかりいただく。卵焼き美味しい。
二人で、私が大島にわたる為に熱海港まで送ってくれる。みんなでお喋りしながら熱海はあっというまだった。
港の別れはあまり好きではないので、鴨宮からやってきたジョージさんとオジイとバトンタッチで、たかさん&みさえさんとはさようなら。さりげない。。という優しさ。
高速船で40分で伊豆大島に着いてしまう。去年お世話になった「オアシス」で今回の東海道の旅が終わるのだ。
ジョージさん、オジイと私たち三人を港で待っていたのは、トナカイ君。一足先に大島入りしていた。思えば、平塚に電車で行ったほかはずっと車で皆さんにお世話になりっぱなしだ。贅沢すぎる。
そして、オアシスでは、青山夫妻が笑顔で迎えてくださる。
去年と同じ部屋(オアシスは民宿)で、またまた御昼寝。
この夜のライヴは生声生ギター。そして若い若い青年ノブくんがサンシンを持ってきて、ボイスパーッカションもラップもやるミュージッシャンなのだそうだけれど、私のダルシマと彼のサンシンの弾き語りというサプライズを本番直前に決めた。こういうことが嬉しい。
去年、海岸で焚き火に参加してくれた人たちや、撮影でお世話になったカメラマンのHIROさん家族や、薬草茶をつくっているヒロくんや、オアシスのサロンが音と美味しいお料理とお酒とゆっくりとくつろぐ人たちで満たされた。
ママのじゅんこさんから、素晴らしいプレゼントをいただいた。ムーンストーンの大きな指輪。自慢にならないけれど、私は男の人から指輪らしきものをもらったことがない。でもこの「月の石」と言う名前の指輪、じゅんこさんがご主人に買ってもらったものだそうで、、でも大事にしまっておいたら指にあわなくなっちゃった、、のだそうで、、、。
ともかく、アリガタイ幸運を運んでくれる指輪と決めていただくことにした。
大島の明日葉の料理が大好き。湯がいてお浸しにしてもらって山盛り食べた。
島の時間はゆったりと流れる。翌日は楽しい休日!
みんな、それぞれに朝を迎え、私はトナカイ君の運転で三原山が全望出来る温泉の露天で景色を堪能させてもらった。去年はDVDの撮影でゆっくりできなかったから、あらためて三原山を眺めながら、あの「裏砂漠」での撮影のことを思い出したりした。
トナカイ君はこの日の船で帰宅。バカンスは終わった。しかし殆ど私の送り迎えに時間を費やしてもらってしまった。。。。大切な友達だ。
夕方から、ジョージさん、オジイ、ノブくん、青山パパ&ママでまずは焼き鳥屋さんへ、前夜もライヴに来てくれたよっちゃんがやっている店。
そして、やっぱり魚も食べたい、、という欲張り集団はオアシスの隣の居酒屋さんへ、でも満員。しばらくオアシスでおせんべつまみにまた飲む人たち。
ジョージさんから、私のこれからの生き方へのかなり真剣で厳しいアドバイス。肯けるところも多々あり、なかなか人はこんな風に厳しいことを本人には言わないものだ。私のこれからの数十年の心配を本気でしてくれている。
今回の東海道の旅、ジョージさんと大島に来させてもらった意味だ。
帰る朝が来た。港の温泉にもう一度はいって、オジイはそのまま島にしばらくいるらしく、私は午後の東京竹芝桟橋行きの船。ここでも、じゅんこさんやジョージさんたちに見送られるのは辛いので、さりげなく「ありがとう」を何度か言って、「行ってまいります」と別れた。
島はやっぱり時々行かせてもらわないといられない空間だ。360度海で、しかし山もあれば森もあり、あらゆる場所から人が移り住んでいて、特別な文化があり社会があり、そして時の流れはあまりにも緩やかで、豊かだ。
心が濁ってしまったかな、、と感じたとき、必ず何処かの島が呼んでくれる。
その陰に、たくさんの愛すべき人たち。 心から感謝!
二人で、私が大島にわたる為に熱海港まで送ってくれる。みんなでお喋りしながら熱海はあっというまだった。
港の別れはあまり好きではないので、鴨宮からやってきたジョージさんとオジイとバトンタッチで、たかさん&みさえさんとはさようなら。さりげない。。という優しさ。
高速船で40分で伊豆大島に着いてしまう。去年お世話になった「オアシス」で今回の東海道の旅が終わるのだ。
ジョージさん、オジイと私たち三人を港で待っていたのは、トナカイ君。一足先に大島入りしていた。思えば、平塚に電車で行ったほかはずっと車で皆さんにお世話になりっぱなしだ。贅沢すぎる。
そして、オアシスでは、青山夫妻が笑顔で迎えてくださる。
去年と同じ部屋(オアシスは民宿)で、またまた御昼寝。
この夜のライヴは生声生ギター。そして若い若い青年ノブくんがサンシンを持ってきて、ボイスパーッカションもラップもやるミュージッシャンなのだそうだけれど、私のダルシマと彼のサンシンの弾き語りというサプライズを本番直前に決めた。こういうことが嬉しい。
去年、海岸で焚き火に参加してくれた人たちや、撮影でお世話になったカメラマンのHIROさん家族や、薬草茶をつくっているヒロくんや、オアシスのサロンが音と美味しいお料理とお酒とゆっくりとくつろぐ人たちで満たされた。
ママのじゅんこさんから、素晴らしいプレゼントをいただいた。ムーンストーンの大きな指輪。自慢にならないけれど、私は男の人から指輪らしきものをもらったことがない。でもこの「月の石」と言う名前の指輪、じゅんこさんがご主人に買ってもらったものだそうで、、でも大事にしまっておいたら指にあわなくなっちゃった、、のだそうで、、、。
ともかく、アリガタイ幸運を運んでくれる指輪と決めていただくことにした。
大島の明日葉の料理が大好き。湯がいてお浸しにしてもらって山盛り食べた。
島の時間はゆったりと流れる。翌日は楽しい休日!
みんな、それぞれに朝を迎え、私はトナカイ君の運転で三原山が全望出来る温泉の露天で景色を堪能させてもらった。去年はDVDの撮影でゆっくりできなかったから、あらためて三原山を眺めながら、あの「裏砂漠」での撮影のことを思い出したりした。
トナカイ君はこの日の船で帰宅。バカンスは終わった。しかし殆ど私の送り迎えに時間を費やしてもらってしまった。。。。大切な友達だ。
夕方から、ジョージさん、オジイ、ノブくん、青山パパ&ママでまずは焼き鳥屋さんへ、前夜もライヴに来てくれたよっちゃんがやっている店。
そして、やっぱり魚も食べたい、、という欲張り集団はオアシスの隣の居酒屋さんへ、でも満員。しばらくオアシスでおせんべつまみにまた飲む人たち。
ジョージさんから、私のこれからの生き方へのかなり真剣で厳しいアドバイス。肯けるところも多々あり、なかなか人はこんな風に厳しいことを本人には言わないものだ。私のこれからの数十年の心配を本気でしてくれている。
今回の東海道の旅、ジョージさんと大島に来させてもらった意味だ。
帰る朝が来た。港の温泉にもう一度はいって、オジイはそのまま島にしばらくいるらしく、私は午後の東京竹芝桟橋行きの船。ここでも、じゅんこさんやジョージさんたちに見送られるのは辛いので、さりげなく「ありがとう」を何度か言って、「行ってまいります」と別れた。
島はやっぱり時々行かせてもらわないといられない空間だ。360度海で、しかし山もあれば森もあり、あらゆる場所から人が移り住んでいて、特別な文化があり社会があり、そして時の流れはあまりにも緩やかで、豊かだ。
心が濁ってしまったかな、、と感じたとき、必ず何処かの島が呼んでくれる。
その陰に、たくさんの愛すべき人たち。 心から感謝!
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記
御殿場RINCOLO
RINCOLOのタカさん、みさえさんが鴨宮まで迎えに来てくださる。
ありがたいこと。
前回はなんとライヴの翌日、近くの温泉に行って、そのあと我が家まで送っていただいた。
今年はもっと「ゆっくりしようね」といっていたのだけれど、前後のスケジュールでアソビは出来なかったけれど、早めに着いたお店のステージ、そう、まさにステージの上に気持ちよさそうに布団がひかれていた。RINCOLOの会場は店(飲む場所)を通って奥まった部屋が作られている。防音、そして四角い小劇場。でも、このステージの上でゆっくり眠る人たちが多いのだそうで、なるほど外の音もしない部屋で熟睡。布団の中で、でも数時間後にはここで唄うんだよね、、と自分に言い聞かせて熟睡。
2時間後、布団をたたんで、リハーサル。落ち着く音。
賄いは、みさえさん特製の「牛スジ丼」美味しい。あ〜またレシピをもらうの忘れた。
チラホラとお客さんがやってきて、カウンターのテレビでサッカー日本対バーレーン戦にみんな釘付け。もうすぐ唄うんだけれど、、。
でもサッカーは後でもわかる、ライヴはその時間にしかないのだ。
オンタイムで始まり、客席にはお馴染みの顔、初めての人たち、そしてイギリス人の私くらいの年齢のご夫婦。
楽しく唄わせてもらい、大きなアンコールもありがとう!
お客さんはみんな殆ど、ライヴが終わっても帰らずにそれぞれ楽しそうに飲んだり喋ったり、イギリス人夫妻はこの夜がRINCOLOでの最後の日だそうで、これからインドに行くのだそうだ。元気だな。
私とみさえさんとゴッチャンは、やっぱり温泉に行きたくて、途中でそ〜っと抜けて見事に温泉入り!三人で露天で「オンナバナシ」をしていたら湯あたりしそうになったので(みさえさんはラビさんと前例があるらしい)店に帰ると。。。。まだまだみんないるんだ〜
音楽大好きな人たちの夜は長い。
私は湯冷めしないように、良い子の時間におやすみなさい!
さっきまで唄っていたあのステージは、また私の寝室に変身していた。
ありがたいこと。
前回はなんとライヴの翌日、近くの温泉に行って、そのあと我が家まで送っていただいた。
今年はもっと「ゆっくりしようね」といっていたのだけれど、前後のスケジュールでアソビは出来なかったけれど、早めに着いたお店のステージ、そう、まさにステージの上に気持ちよさそうに布団がひかれていた。RINCOLOの会場は店(飲む場所)を通って奥まった部屋が作られている。防音、そして四角い小劇場。でも、このステージの上でゆっくり眠る人たちが多いのだそうで、なるほど外の音もしない部屋で熟睡。布団の中で、でも数時間後にはここで唄うんだよね、、と自分に言い聞かせて熟睡。
2時間後、布団をたたんで、リハーサル。落ち着く音。
賄いは、みさえさん特製の「牛スジ丼」美味しい。あ〜またレシピをもらうの忘れた。
チラホラとお客さんがやってきて、カウンターのテレビでサッカー日本対バーレーン戦にみんな釘付け。もうすぐ唄うんだけれど、、。
でもサッカーは後でもわかる、ライヴはその時間にしかないのだ。
オンタイムで始まり、客席にはお馴染みの顔、初めての人たち、そしてイギリス人の私くらいの年齢のご夫婦。
楽しく唄わせてもらい、大きなアンコールもありがとう!
お客さんはみんな殆ど、ライヴが終わっても帰らずにそれぞれ楽しそうに飲んだり喋ったり、イギリス人夫妻はこの夜がRINCOLOでの最後の日だそうで、これからインドに行くのだそうだ。元気だな。
私とみさえさんとゴッチャンは、やっぱり温泉に行きたくて、途中でそ〜っと抜けて見事に温泉入り!三人で露天で「オンナバナシ」をしていたら湯あたりしそうになったので(みさえさんはラビさんと前例があるらしい)店に帰ると。。。。まだまだみんないるんだ〜
音楽大好きな人たちの夜は長い。
私は湯冷めしないように、良い子の時間におやすみなさい!
さっきまで唄っていたあのステージは、また私の寝室に変身していた。
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記
2009年04月23日
ジーズ・キャフェの人たち
3月27日、ゆっくり休んで、午後は鴨宮から渋沢で用事を済ませ、なんだかもう、ジーズのロフトが我が家状態になっていて、帰ってくるとジョージさんのお父さん(みんなオジイと呼んでいる)が、採れたての鯵を大量に持ってきてくださっていた。私のことを「よっちゃん」と呼んでくれる。カッコイイ漁師さんだった人だ。
この高橋家には、ジョージさんの奥さんのヒデミさん、そして小学校5年生のルイちゃんがいる。ヒデミさんもルイちゃんもカッコイイのだ。二人とも精神的に自立している。私のほうがずっと子供っぽいかもしれないな。。。
夕方まで昼寝をして、リハーサル。あたるくんがPAをしてくれる。店の形が奥行きがあり唄う背中はガラスなので、音を作るのには難しいのだけれども、
私の去年のDVDのオープニングはこの場所のシーンからだった。
音のことなど忘れてしまう空気をジーズの人たちはつくってくれる。
金曜日の夜というのもあって、仕事で来られない人たちもいたけれど、そしてなんだかいろんなところで私の唄を聴いてくれる人たちが多かったから、新鮮が身上の私としては、選曲に悩む。
こういうときは、普段喋らないことや、曲にまつわる話をしよう。。。。
そういうライヴもあり!ゆっくりと、しかし2時間唄わせてもらいました。
賄いで、ヒデミさん、ルイちゃん、あたるくんと、オジイのおもたせの鯵ノタタキ丼をいただき、打ち上げでも私はもう一杯いただき、いつも美味しいキッシュを焼いてくださるお客さんの女性のお料理いただき、12時過ぎには解散。旅のシンガーの過酷な生活のなかで一番気をつけなければならないのが打ち上げ朝までコース。これを10年もやったらどこかをこわす。
ジーズはシンデレラタイムがあるのだ。
それが、またお客さんの体にも良いのだ。
た〜くさんの唄うたいの人達が、この店で唄って、飲んで、そしてまた旅を続けている。
いつか、なにげなく普段のジーズキャフェにゴハンを食べに、遊びに行ってみよう。お客さんとして。
ロフトの住人最後の夜。お世話になりました。
この高橋家には、ジョージさんの奥さんのヒデミさん、そして小学校5年生のルイちゃんがいる。ヒデミさんもルイちゃんもカッコイイのだ。二人とも精神的に自立している。私のほうがずっと子供っぽいかもしれないな。。。
夕方まで昼寝をして、リハーサル。あたるくんがPAをしてくれる。店の形が奥行きがあり唄う背中はガラスなので、音を作るのには難しいのだけれども、
私の去年のDVDのオープニングはこの場所のシーンからだった。
音のことなど忘れてしまう空気をジーズの人たちはつくってくれる。
金曜日の夜というのもあって、仕事で来られない人たちもいたけれど、そしてなんだかいろんなところで私の唄を聴いてくれる人たちが多かったから、新鮮が身上の私としては、選曲に悩む。
こういうときは、普段喋らないことや、曲にまつわる話をしよう。。。。
そういうライヴもあり!ゆっくりと、しかし2時間唄わせてもらいました。
賄いで、ヒデミさん、ルイちゃん、あたるくんと、オジイのおもたせの鯵ノタタキ丼をいただき、打ち上げでも私はもう一杯いただき、いつも美味しいキッシュを焼いてくださるお客さんの女性のお料理いただき、12時過ぎには解散。旅のシンガーの過酷な生活のなかで一番気をつけなければならないのが打ち上げ朝までコース。これを10年もやったらどこかをこわす。
ジーズはシンデレラタイムがあるのだ。
それが、またお客さんの体にも良いのだ。
た〜くさんの唄うたいの人達が、この店で唄って、飲んで、そしてまた旅を続けている。
いつか、なにげなく普段のジーズキャフェにゴハンを食べに、遊びに行ってみよう。お客さんとして。
ロフトの住人最後の夜。お世話になりました。
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記
BIG MOON CAFE
島田という町のことを知ったのは、このツアーが決まった時。
私が時々行く美容室の担当の青年の出身地を聞いたら「知らないと思いますけれど島田っていう町で、、、」
「えっ、其処に行くよもうすぐ」という会話をしたのが島田上陸一月前だった。
ジョージさんの車をトナカイ君が運転して2時間。ジョージさんはゆうべの飲み残しのワインを抱いて助手席でもうバケーション気分。いつもいつもジーズキャフェのカウンターとキッチンの中で奮闘しているかわりにOFFの時は「素晴らしい酔っ払い」になるのだ。トナカイくんがお酒の飲めない人であったことはこれまた素晴らしくラッキーなことなのだ。
道中、お茶畑が山の斜面の其処此処に。早々、駿河の国に入った。
島田の駅前からも大きく見える看板「Big MoonCafe」そして
出演「よしだよしこ」の名前!
階段を上がって店に入ると、カウンターとお座敷。わ〜、嬉しいじゃないこの空気。皆さんが笑顔で迎えてくださる。ジョージさんもワインからバーボンに。トナカイ君と私は美味しいお饅頭と美味しいお茶。
私のステージの前には「トホホ」という3人のバンド。マスターのトシさんはパーッカション。
だから、私の唄にもお付き合いいただいた。優しく心地よいリズム。PAはなんと中学2年生のトシさんの息子さんが頑張ってくれた。
お客さんも座敷に座る人、カウンター、そして立ち見の人、沢山!
ちょっとタイムスリップして70年代のサンフランシスコの友達の家でみんなで唄っているみたいだった。
最後はトホホ&私で「トホホのホ」というインスタントバンドで「Me&BobbyMacgee」を延々とやらかしました。
皆さん、ありがとうございました。
楽しい遠足の帰りは爆睡のジョージさんと安全運転のトナカイくんでまた鴨宮まで。
就寝AM4:00
私が時々行く美容室の担当の青年の出身地を聞いたら「知らないと思いますけれど島田っていう町で、、、」
「えっ、其処に行くよもうすぐ」という会話をしたのが島田上陸一月前だった。
ジョージさんの車をトナカイ君が運転して2時間。ジョージさんはゆうべの飲み残しのワインを抱いて助手席でもうバケーション気分。いつもいつもジーズキャフェのカウンターとキッチンの中で奮闘しているかわりにOFFの時は「素晴らしい酔っ払い」になるのだ。トナカイくんがお酒の飲めない人であったことはこれまた素晴らしくラッキーなことなのだ。
道中、お茶畑が山の斜面の其処此処に。早々、駿河の国に入った。
島田の駅前からも大きく見える看板「Big MoonCafe」そして
出演「よしだよしこ」の名前!
階段を上がって店に入ると、カウンターとお座敷。わ〜、嬉しいじゃないこの空気。皆さんが笑顔で迎えてくださる。ジョージさんもワインからバーボンに。トナカイ君と私は美味しいお饅頭と美味しいお茶。
私のステージの前には「トホホ」という3人のバンド。マスターのトシさんはパーッカション。
だから、私の唄にもお付き合いいただいた。優しく心地よいリズム。PAはなんと中学2年生のトシさんの息子さんが頑張ってくれた。
お客さんも座敷に座る人、カウンター、そして立ち見の人、沢山!
ちょっとタイムスリップして70年代のサンフランシスコの友達の家でみんなで唄っているみたいだった。
最後はトホホ&私で「トホホのホ」というインスタントバンドで「Me&BobbyMacgee」を延々とやらかしました。
皆さん、ありがとうございました。
楽しい遠足の帰りは爆睡のジョージさんと安全運転のトナカイくんでまた鴨宮まで。
就寝AM4:00
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記
2009年04月22日
3月の締めくくりは東海道と大島
暫く旅から旅の日々だった。
なかなか家で落ち着いていられなかった。日記も久しぶり。
3月25日、平塚「ハッピーマウンテン・バー」肌寒い日。平塚駅の駅前にあったその店はどっしりとしたカウンターのあるBarで、琢磨くんという若い青年が一人で仕切っていました。数年前に彼の叔父さんの後を継いでいるそうで、その叔父さんはお酒と音楽をこよなく愛していた人だそうで、琢磨くんも頑張っているのだ。後を継ぐのは苦労もあるはず。
平塚だというのに、来てくださった方々が小田原、埼玉、東京、そして神戸、
私には馴染み深い人たちばかりでした。なんだかはじめての店という空気にならなくて、、それでも後半数曲となった時にライヴを知らずに入ってくれたお客さんもいて、嬉しかったな。
きっと次回はもっと地元のお客さんも来てくれるでしょう。
小田原からトナカイ小島くんが車で迎えに来てくれて、鴨宮のジーズキャフェに送ってもらう。
ジーズの店ではマスターのジョージさんが待っていてくれた。おなかのすいた私たちを近くのファミレスに連れて行ってくれて、なんとワインのマグナム瓶が出てきた。ファミレスで「いつものやつ」と言って何事もなく飲み物と料理が出てきてしまうのか??
ジョージさんトナカイくんとのツアーの始まりだ。
ジーズキャフェのロフトの布団にもぐりこんで熟睡。
翌日は、これまた生まれててはじめて行く、静岡の島田「ビッグ・ムーン・カフェ」
なかなか家で落ち着いていられなかった。日記も久しぶり。
3月25日、平塚「ハッピーマウンテン・バー」肌寒い日。平塚駅の駅前にあったその店はどっしりとしたカウンターのあるBarで、琢磨くんという若い青年が一人で仕切っていました。数年前に彼の叔父さんの後を継いでいるそうで、その叔父さんはお酒と音楽をこよなく愛していた人だそうで、琢磨くんも頑張っているのだ。後を継ぐのは苦労もあるはず。
平塚だというのに、来てくださった方々が小田原、埼玉、東京、そして神戸、
私には馴染み深い人たちばかりでした。なんだかはじめての店という空気にならなくて、、それでも後半数曲となった時にライヴを知らずに入ってくれたお客さんもいて、嬉しかったな。
きっと次回はもっと地元のお客さんも来てくれるでしょう。
小田原からトナカイ小島くんが車で迎えに来てくれて、鴨宮のジーズキャフェに送ってもらう。
ジーズの店ではマスターのジョージさんが待っていてくれた。おなかのすいた私たちを近くのファミレスに連れて行ってくれて、なんとワインのマグナム瓶が出てきた。ファミレスで「いつものやつ」と言って何事もなく飲み物と料理が出てきてしまうのか??
ジョージさんトナカイくんとのツアーの始まりだ。
ジーズキャフェのロフトの布団にもぐりこんで熟睡。
翌日は、これまた生まれててはじめて行く、静岡の島田「ビッグ・ムーン・カフェ」
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2009年03月24日
三重の三日間が終わり
四日市に帰るじゅんこさんの車で桑名の駅で降ろしてもらう。改札まで送ってもらう。三重ツアーは小田原のジーズカフェのジョージさんが全部紹介してくださった。素晴らしいポスターも小田原のジーズのポスターを作っている人が用意してそれぞれの店に送ってくださった。
旅は一人で大変でしょう?聞かれるし実際体を壊しそうに何度もなったし、私のようなアバウトな人間が、よくこうして動ける陰には、往く先々にまるでマネージャーのようなことまでしてくれる人達がいて、また旅をしている間も遠くからスケジュールを見守っている人たちがいてくれるわけで、一人なんかじゃない、私の体とギターとダルシマの360度に誰かがいてくれる。
桑名から名古屋まで10分少し。地下鉄で高岳まで10分少し。しかしやっぱり都会名古屋。いろんな人にぶつかりそうになりながら地下鉄の改札まで上がっていくと、「ひまわり」のとおるさんが待っていてくれた。駅からはすぎうなのだけれど、嬉しいじゃない!!
「ひまわり」は開店して二年目にはいった。街中ではないからライヴがないときはなかなかお客さんが来ないと、とおるさんは言っていた。でもこういう時代だからこそ、必要な場所や人や、そして歌があるはずなんだ。
佐渡山豊さんの新しいアルバムを聴かせてもらいながらおにぎりを食べた。とても良いアルバムだ。よいものが今沢山あってほしい。
犬山の「ふう」の小川さんも来てくださった。それからMさん、そしてはじめてのお客さんをとおるさんが一生懸命呼んでくださった。
前回は台風でお客さんが来れなくなったりしたけれど、今回は日曜日の少しはやめの時間にしてよかった。
ステージで曲のタイトルをあまり言わなかったりしていたので、この夜はきちんと言うようにした。曲にまつわる話もした。いろいろなかたちがあるし、ステージによってはテンポがあったほうがよい時もあるけれど、やはり丁寧に説明すると優しい空気になる。
お酒を飲まない人が多くて、売り上げ協力できなかったなぁ、、。
新幹線の最終に間に合うように考えていたけれど、結構ながく唄っていた。
みんなが帰って、また地下鉄の駅までとおるさんに送ってもらい、改札から階段を注意深く降りて名古屋まで。
連休最後の最終列車は満員で、みんな疲れた顔をしている人達ばかりだった。
座れなくてもと覚悟していたけれど、ちょうど車両の後ろの席に空きがあった。電車の後ろの席はシートの後ろにギターが置ける最高の場所なのだ。
みんなビール飲んでいたけれど、新横浜で寝過ごしたらいけないから旅の間持っていたスタインベック短編集を読んでいた。スタインベックも旅の人だった。
旅は一人で大変でしょう?聞かれるし実際体を壊しそうに何度もなったし、私のようなアバウトな人間が、よくこうして動ける陰には、往く先々にまるでマネージャーのようなことまでしてくれる人達がいて、また旅をしている間も遠くからスケジュールを見守っている人たちがいてくれるわけで、一人なんかじゃない、私の体とギターとダルシマの360度に誰かがいてくれる。
桑名から名古屋まで10分少し。地下鉄で高岳まで10分少し。しかしやっぱり都会名古屋。いろんな人にぶつかりそうになりながら地下鉄の改札まで上がっていくと、「ひまわり」のとおるさんが待っていてくれた。駅からはすぎうなのだけれど、嬉しいじゃない!!
「ひまわり」は開店して二年目にはいった。街中ではないからライヴがないときはなかなかお客さんが来ないと、とおるさんは言っていた。でもこういう時代だからこそ、必要な場所や人や、そして歌があるはずなんだ。
佐渡山豊さんの新しいアルバムを聴かせてもらいながらおにぎりを食べた。とても良いアルバムだ。よいものが今沢山あってほしい。
犬山の「ふう」の小川さんも来てくださった。それからMさん、そしてはじめてのお客さんをとおるさんが一生懸命呼んでくださった。
前回は台風でお客さんが来れなくなったりしたけれど、今回は日曜日の少しはやめの時間にしてよかった。
ステージで曲のタイトルをあまり言わなかったりしていたので、この夜はきちんと言うようにした。曲にまつわる話もした。いろいろなかたちがあるし、ステージによってはテンポがあったほうがよい時もあるけれど、やはり丁寧に説明すると優しい空気になる。
お酒を飲まない人が多くて、売り上げ協力できなかったなぁ、、。
新幹線の最終に間に合うように考えていたけれど、結構ながく唄っていた。
みんなが帰って、また地下鉄の駅までとおるさんに送ってもらい、改札から階段を注意深く降りて名古屋まで。
連休最後の最終列車は満員で、みんな疲れた顔をしている人達ばかりだった。
座れなくてもと覚悟していたけれど、ちょうど車両の後ろの席に空きがあった。電車の後ろの席はシートの後ろにギターが置ける最高の場所なのだ。
みんなビール飲んでいたけれど、新横浜で寝過ごしたらいけないから旅の間持っていたスタインベック短編集を読んでいた。スタインベックも旅の人だった。
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記
亀山の時間
じゅんこさんが亀山まで送ってくれると言う。三日間お世話になってしまう。
お彼岸の時はどこも道が渋滞している。30分足らずでいけるといわれたけれどやっぱり混んでいた。
景色が変わる。空気も冷たい。亀山の高台にある「月の庭」随分前から存在は知っていたけれど、なかなか行けなかった。行けないのには何か意味がある。そして行けるときにも意味がある。
先月、この「月の庭」のオーナーのまさるさんが亡くなったばかりだった。だからお会いすることもなく、どんなかただったかもわからずに、そういう時にやってきた。月の庭は表は乾物や体に良い食材や、お酒などを売っている。
オーナーのお父さんお母さん、そして奥さんや若いスタッフでお店をしている。奥さんのかおりさんは料理教室もやっているそうで、とにかくご挨拶して「大変な時に申し訳ありません」と言ったらば「もう落ち着いてきましたから」と丁寧に笑顔で答えてくださった。
奥にはレストラン「月の庭」がある。元気で笑顔が純粋な若者達が素晴らしく美味しいお料理を作っている。私達が着いた時も家族連れやいろいろな年代のお客さんが食べていた。
二階の間で唄うのだ。マイクはいらないと思った。気持ちよい響きだ。一緒に唄うのはまだ24歳の小川てつひろくん。唄うことが大好きなことがわかる。
彼が唄って、私が唄って、お客さんは若い人たちも多かったし、小さな人もいた。途中で眠っていたな。
私は亡くなったオーナーまさるさんのことを知らないけれど、うたっているうちになんとなく感じるエネルギーがあった。癌を発病してから4年間舞踏をやりつづけたという。この店もそういうエネルギーのある人がつくったから、集まってくるスタッフもそれぞれ素敵な夢を持って働いている。料理を食べればわかる。
てつひろ君とは、最後に私がダルシマを弾いて彼が「生活の柄」を唄った。この歌をこういうふうに誰かと二人だけで唄うのははじめてだった。
カリー河の筑田さんも、この店から独立した人だった。
打ち上げのお料理も玄米や美味しい野菜や黄金色に輝くお酒で若い人に囲まれて体も心もとても優しくなっていった。
じゅんこさんが車で昨夜も飲めなかったから、一緒に泊まらせてもらおうよと誘ってお酒一緒に飲めた。よかった。
宿舎はまた別にあって、小さい頃を思い出すような日本家屋だ。
じゅんこさんと、そんこに住んでいる健之助くんと炬燵で飲みなおしていたら、片づけを終わったみんなやてつひろくんが押し寄せてきて、ギターがあって、てつひろくんが唄いだす。子守唄みたいだ。私も数曲唄ってオヤスミナサイ。
翌朝、みんなは元気に厨房と店の中を動き回っていた。
ランチは見事なものだった。開店当初からあるという「キビナゲット」お漬物も沢庵なのにはじめて食べる味だった。
店長の加藤くんから聞いていた樹齢800年の銀杏の大木を見たくて、地図を描いてもらって、じゅんこさんに運転してもらって出かけることにした。
本当はもう数日ここにとどまりたいくらい気分が良かったのだけれど、これが私の旅。必ずまた時は来る。
みんなにサヨナラをして出発。
想像していた以上に銀杏の木はパワーがあった!もたれかかると暖かかった。
新しい緑の芽が一本生えていた。ずっしりと生きている!ずっと動かずに。
其処に行かねば会えないのだ。
お彼岸の時はどこも道が渋滞している。30分足らずでいけるといわれたけれどやっぱり混んでいた。
景色が変わる。空気も冷たい。亀山の高台にある「月の庭」随分前から存在は知っていたけれど、なかなか行けなかった。行けないのには何か意味がある。そして行けるときにも意味がある。
先月、この「月の庭」のオーナーのまさるさんが亡くなったばかりだった。だからお会いすることもなく、どんなかただったかもわからずに、そういう時にやってきた。月の庭は表は乾物や体に良い食材や、お酒などを売っている。
オーナーのお父さんお母さん、そして奥さんや若いスタッフでお店をしている。奥さんのかおりさんは料理教室もやっているそうで、とにかくご挨拶して「大変な時に申し訳ありません」と言ったらば「もう落ち着いてきましたから」と丁寧に笑顔で答えてくださった。
奥にはレストラン「月の庭」がある。元気で笑顔が純粋な若者達が素晴らしく美味しいお料理を作っている。私達が着いた時も家族連れやいろいろな年代のお客さんが食べていた。
二階の間で唄うのだ。マイクはいらないと思った。気持ちよい響きだ。一緒に唄うのはまだ24歳の小川てつひろくん。唄うことが大好きなことがわかる。
彼が唄って、私が唄って、お客さんは若い人たちも多かったし、小さな人もいた。途中で眠っていたな。
私は亡くなったオーナーまさるさんのことを知らないけれど、うたっているうちになんとなく感じるエネルギーがあった。癌を発病してから4年間舞踏をやりつづけたという。この店もそういうエネルギーのある人がつくったから、集まってくるスタッフもそれぞれ素敵な夢を持って働いている。料理を食べればわかる。
てつひろ君とは、最後に私がダルシマを弾いて彼が「生活の柄」を唄った。この歌をこういうふうに誰かと二人だけで唄うのははじめてだった。
カリー河の筑田さんも、この店から独立した人だった。
打ち上げのお料理も玄米や美味しい野菜や黄金色に輝くお酒で若い人に囲まれて体も心もとても優しくなっていった。
じゅんこさんが車で昨夜も飲めなかったから、一緒に泊まらせてもらおうよと誘ってお酒一緒に飲めた。よかった。
宿舎はまた別にあって、小さい頃を思い出すような日本家屋だ。
じゅんこさんと、そんこに住んでいる健之助くんと炬燵で飲みなおしていたら、片づけを終わったみんなやてつひろくんが押し寄せてきて、ギターがあって、てつひろくんが唄いだす。子守唄みたいだ。私も数曲唄ってオヤスミナサイ。
翌朝、みんなは元気に厨房と店の中を動き回っていた。
ランチは見事なものだった。開店当初からあるという「キビナゲット」お漬物も沢庵なのにはじめて食べる味だった。
店長の加藤くんから聞いていた樹齢800年の銀杏の大木を見たくて、地図を描いてもらって、じゅんこさんに運転してもらって出かけることにした。
本当はもう数日ここにとどまりたいくらい気分が良かったのだけれど、これが私の旅。必ずまた時は来る。
みんなにサヨナラをして出発。
想像していた以上に銀杏の木はパワーがあった!もたれかかると暖かかった。
新しい緑の芽が一本生えていた。ずっしりと生きている!ずっと動かずに。
其処に行かねば会えないのだ。
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記
カレラという店
白子という場所は初めてだ。でも電車や車で通り過ぎている場所だ。
「カレラ」なんとなく聞いたような名前だけれど意味はわからなかった。
お店に着くと、そこには見慣れた人たちがいた。津にいていろいろなところで会うNクン、ガスリー、それから一緒にうたうのはハーベストという二人組みなのだけれど、このリーダー格のSさんとは松阪や四日市でお会いしていた。だからなんだか知っている店のような気持ちになってしまった。
それから、沖縄ではじめて会ってその後四日市で結婚して2年前には大きなおなかでやってきてくれたあいちゃんがだんなさまと娘の心(しん)ちゃんと顔をのぞかせてくれた。おなかに入っていたベイビーはもう二歳でおしゃべりをしていた。
カレラは小さな喫茶店でお酒もいつもは置いていないようで、5〜60年代の
とても渋いJAZZのレコードがかかっている。
そして猫が二匹!フワフワのヒマラヤンは名前がドルフィー、サックス奏者のエリック・ドルフィーからつけたのだそうだ、もう一匹は私と一緒に住んでいたチャタロウとそっくりで!嬉しかったな。それから淡い色の油絵が数枚飾ってあって、それはみんな此処の店の主、きょうこさんが描いたものだそうだ。
まだ30歳代のきょうこさんが朝早くからランチも凄い手際の早さで切り盛りしているのだ。カリー河とはまた違った人たちが集まってくださった。
津にある「ええかげん」といううたう場所のご主人夫妻も、そして四日市のじゅんこさんの職場の同僚の女性集団が沢山!若い人も、男性も嬉しいけれど、女の人に聴いてもらうのもとても嬉しいのだ。
はじめてきてくださった人たちにはやはり選曲もアルバムに入っている自作の唄を中心にしようと想うのだけれど、カレラのJAZZにも敬意を、、と旧いJAZZを一曲。でも久しぶりだったからコードを間違えてしまった。それもJAZZ!って言いながら〈笑)
女性軍にはKASABUTA。
賑やかな夜になった。
お酒はないお店だから、持ち込んでくださったビールや焼酎と焼きソバとおにぎりの打ち上げ。でも楽しかったな。
みんなが喋っている間に、きょうこさんは翌朝の仕込みをささっと済ましていた。
翌朝、いやお昼にじゅんこさんが車で迎えに来てくれた。お昼ごはんにもう一度カレラに行った。ランチにドライカレー、二日連続カレー。
カレラってどんな意味?ときょうこさんに聞いたら「ポルシェのカレラ」と。
あぁそうだった、そうだった、さすがに鈴鹿らしい。
「カレラ」なんとなく聞いたような名前だけれど意味はわからなかった。
お店に着くと、そこには見慣れた人たちがいた。津にいていろいろなところで会うNクン、ガスリー、それから一緒にうたうのはハーベストという二人組みなのだけれど、このリーダー格のSさんとは松阪や四日市でお会いしていた。だからなんだか知っている店のような気持ちになってしまった。
それから、沖縄ではじめて会ってその後四日市で結婚して2年前には大きなおなかでやってきてくれたあいちゃんがだんなさまと娘の心(しん)ちゃんと顔をのぞかせてくれた。おなかに入っていたベイビーはもう二歳でおしゃべりをしていた。
カレラは小さな喫茶店でお酒もいつもは置いていないようで、5〜60年代の
とても渋いJAZZのレコードがかかっている。
そして猫が二匹!フワフワのヒマラヤンは名前がドルフィー、サックス奏者のエリック・ドルフィーからつけたのだそうだ、もう一匹は私と一緒に住んでいたチャタロウとそっくりで!嬉しかったな。それから淡い色の油絵が数枚飾ってあって、それはみんな此処の店の主、きょうこさんが描いたものだそうだ。
まだ30歳代のきょうこさんが朝早くからランチも凄い手際の早さで切り盛りしているのだ。カリー河とはまた違った人たちが集まってくださった。
津にある「ええかげん」といううたう場所のご主人夫妻も、そして四日市のじゅんこさんの職場の同僚の女性集団が沢山!若い人も、男性も嬉しいけれど、女の人に聴いてもらうのもとても嬉しいのだ。
はじめてきてくださった人たちにはやはり選曲もアルバムに入っている自作の唄を中心にしようと想うのだけれど、カレラのJAZZにも敬意を、、と旧いJAZZを一曲。でも久しぶりだったからコードを間違えてしまった。それもJAZZ!って言いながら〈笑)
女性軍にはKASABUTA。
賑やかな夜になった。
お酒はないお店だから、持ち込んでくださったビールや焼酎と焼きソバとおにぎりの打ち上げ。でも楽しかったな。
みんなが喋っている間に、きょうこさんは翌朝の仕込みをささっと済ましていた。
翌朝、いやお昼にじゅんこさんが車で迎えに来てくれた。お昼ごはんにもう一度カレラに行った。ランチにドライカレー、二日連続カレー。
カレラってどんな意味?ときょうこさんに聞いたら「ポルシェのカレラ」と。
あぁそうだった、そうだった、さすがに鈴鹿らしい。
2009年03月19日
3月19日四日市
新幹線名古屋からJRで四日市。四日市には近鉄も通っているけれど、私はJRの四日市しか知らない。名古屋からJRの普通列車(ワンマンカー)で40分。JRの駅はとても寂しい風景だそうだが、私はそこしか知らない。だから四日市の全貌を良くわかっていない。駅前にある「フルハウス」という喫茶店で2回唄わせてもらった。今回は違う場所だけれど、降り立った目の前にあるからマスターに挨拶した。突然だったからマスターも咄嗟には誰だか思い出せないでいる。よ〜くわかるよ、その感じ。私など旅をしていると顔だけは覚えているのだけれど、、、ということばかりだもの。こういうときは自分から名前を言うのが一番スッキリする。挨拶だけで店を出て、タクシーで四日市私立病院に行く。3時の約束だったけれど早く着いてしまったのでリハビリルームに行くと、家族以外は入れないと言われたので病棟の面会室で待っていると、
小川あゆさんが、いつもの笑顔で飛んできた。少し痩せていたけれど、それは当たり前だ。ご主人の蘭光(らんちゃん)が蜘蛛膜下出血で倒れてから4ヶ月。5回の手術のたびにどんどん良くなっていっていることや、食欲があることや、笑い話のような日々のことをあゆさんからは電話やメールで聞いていたけれど、一日もあゆさんとらんちゃんに会いたかった。
リハビリが終わるまで、あゆさんの話を聞く。沢山聞いてあげたかった。お見舞いの人が来るたびにおんなじ話をするのだろうが、やっぱり聞いてあげたかった。明るいカップルだったから殆ど笑い話みたいだけれど、毎日病院通いをしながら仕事をしているあゆさんはどんなに疲れているだろう。
らんちゃんが、息子さんに車椅子を押してもらって登場。可愛いニット帽をかぶり、お馴染みの丸めがねで、私は思わず「ガンジーみたいだよ!」といって
握手した。手も動く、足も一生懸命動かしていた。ゆっくりゆっくり話す。
もともと、らんちゃんは聞き役で、あゆさんが話し役だったから、なんだか倒れる前とあまり違和感がない。失礼かもしれないけれど「かわいい」
1時間少し、一緒にお菓子を食べたり(ほとんどらんちゃんが食べた)二人の漫才のようなやり取りを聴いていた。
もう少し時間はかかるかもしれないけれど、必ず以前より元気になる。
病院玄関までみんなで見送ってもらった。
二人には三重、滋賀のツアーでいままで沢山お世話になった。あゆさんの立て板に水のMC,らんちゃんはPAから全行程の運転から、泊まるところから、それに一緒にオートハープを弾いてくれた。二人のおかげで沢山友達も出来た。
これからは二人の一家の新しいLIFEだ。らんちゃんの生命力の強さとユーモアとあゆさんの潔さで私が励まされいる。
人はいろいろな姿になって人を元気にするチカラがあるんだ。
病院前に「カリー河」のマスター筑田さんが車で迎えに来てくれた。車のドァが開いた瞬間にカレーのスパイスの匂いがした。大好きな匂いだ。
開店して間もない店、居心地の良い木の床と漆喰の壁、内装は手作りなのだ。
初めてのお店は少し緊張するのだけれど、リハーサルが終わっていただいたカレーはとても美味しくて、お米も良くて、申し分なしで、そして一緒に歌うことになっている胡池マキコちゃんの歌声はとても澄み切っていて、道中の荷物の重さはすっかり忘れていた。
お客さんは、遠くは和歌山、そしてなんだか男性が9割という景色。マキコちゃんはちょっと本番緊張しました、、と言っていたけれど、そう、これだけ男性ばかりに見つめられたらなぁ、、。私も少し緊張、でも初めてのお客さんとそれから今回の旅を陰で支えてくれている人たちの一人であるじゅんこさん、それからあゆさんも病院から家に帰ってご飯の支度して駆けつけてくれた。
いつもうたう予定のリストを書いて足元に置くのだけれど、毎回毎回、それはすこしずつ変わる。この夜も予定外の唄をうたった。突然久しぶりの唄をうたうと間違えてしまうこもあるけれど、間違えたらまたきちんとやり直すようにしている。歌詞をごまかしてしまうのは嫌なこと。
気がつくと2時間近く。気持ちよく唄わせてもらった。ありがとう♪
宿泊は店の二階の和室で、と筑田さんに言われたけれど、そこは筑田さんが家族の待つ家に帰れない〈仕込みが早いから)ときに寝ている場所で、「筑田さん、どこで寝るの?」と聞いたら「店で」、、それは申し訳ない。
お客さんで来てくれたN氏宅にあゆさんと、和歌山から来てくれたNさんと一緒にお世話になることになった。N氏は獣医さんで、でも広い居間にはいろんなものがあって、なんとビールサーバーまであって美味しい生が飲めるのだが、私はN氏のリンパマッサージを受ける。なんでも使うクリームは馬用のマッサージクリームで凄く効くのだ。優しいね申し訳ないね〜
翌朝、和歌山のNさんは明け方帰って、それぞれにやることがあって、あゆさんと隣にある中華料理やさんでご飯を食べる。ちょうどWBC日本対韓国戦の真っ最中で、でも私もあゆさんも野球を良く知らなくて、後ろで食べ終わっても席を立たずにテレビを観ているおばちゃんに教えてもらいながらマーボ丼を食べた。お客さんが入ってくるのにみんな食べ終わっても野球が終わるまでは動こうとしないのだ。お店の人も「勝つの見てからでいいよ」と言う。
あゆさんは、そのままらんちゃんの待つ病院へ、私は筑田さんが次なる場所鈴鹿の白子(しろこ)のカレラと言う店まで送ってくださることになり、最後までありがたい四日市。そういえば、最初に筑田さんの車に乗ったときに感じた強烈なスパイスの匂いは二回目には感じなかった。慣れてしまったのだ。臭覚の慣れは早い。
小川あゆさんが、いつもの笑顔で飛んできた。少し痩せていたけれど、それは当たり前だ。ご主人の蘭光(らんちゃん)が蜘蛛膜下出血で倒れてから4ヶ月。5回の手術のたびにどんどん良くなっていっていることや、食欲があることや、笑い話のような日々のことをあゆさんからは電話やメールで聞いていたけれど、一日もあゆさんとらんちゃんに会いたかった。
リハビリが終わるまで、あゆさんの話を聞く。沢山聞いてあげたかった。お見舞いの人が来るたびにおんなじ話をするのだろうが、やっぱり聞いてあげたかった。明るいカップルだったから殆ど笑い話みたいだけれど、毎日病院通いをしながら仕事をしているあゆさんはどんなに疲れているだろう。
らんちゃんが、息子さんに車椅子を押してもらって登場。可愛いニット帽をかぶり、お馴染みの丸めがねで、私は思わず「ガンジーみたいだよ!」といって
握手した。手も動く、足も一生懸命動かしていた。ゆっくりゆっくり話す。
もともと、らんちゃんは聞き役で、あゆさんが話し役だったから、なんだか倒れる前とあまり違和感がない。失礼かもしれないけれど「かわいい」
1時間少し、一緒にお菓子を食べたり(ほとんどらんちゃんが食べた)二人の漫才のようなやり取りを聴いていた。
もう少し時間はかかるかもしれないけれど、必ず以前より元気になる。
病院玄関までみんなで見送ってもらった。
二人には三重、滋賀のツアーでいままで沢山お世話になった。あゆさんの立て板に水のMC,らんちゃんはPAから全行程の運転から、泊まるところから、それに一緒にオートハープを弾いてくれた。二人のおかげで沢山友達も出来た。
これからは二人の一家の新しいLIFEだ。らんちゃんの生命力の強さとユーモアとあゆさんの潔さで私が励まされいる。
人はいろいろな姿になって人を元気にするチカラがあるんだ。
病院前に「カリー河」のマスター筑田さんが車で迎えに来てくれた。車のドァが開いた瞬間にカレーのスパイスの匂いがした。大好きな匂いだ。
開店して間もない店、居心地の良い木の床と漆喰の壁、内装は手作りなのだ。
初めてのお店は少し緊張するのだけれど、リハーサルが終わっていただいたカレーはとても美味しくて、お米も良くて、申し分なしで、そして一緒に歌うことになっている胡池マキコちゃんの歌声はとても澄み切っていて、道中の荷物の重さはすっかり忘れていた。
お客さんは、遠くは和歌山、そしてなんだか男性が9割という景色。マキコちゃんはちょっと本番緊張しました、、と言っていたけれど、そう、これだけ男性ばかりに見つめられたらなぁ、、。私も少し緊張、でも初めてのお客さんとそれから今回の旅を陰で支えてくれている人たちの一人であるじゅんこさん、それからあゆさんも病院から家に帰ってご飯の支度して駆けつけてくれた。
いつもうたう予定のリストを書いて足元に置くのだけれど、毎回毎回、それはすこしずつ変わる。この夜も予定外の唄をうたった。突然久しぶりの唄をうたうと間違えてしまうこもあるけれど、間違えたらまたきちんとやり直すようにしている。歌詞をごまかしてしまうのは嫌なこと。
気がつくと2時間近く。気持ちよく唄わせてもらった。ありがとう♪
宿泊は店の二階の和室で、と筑田さんに言われたけれど、そこは筑田さんが家族の待つ家に帰れない〈仕込みが早いから)ときに寝ている場所で、「筑田さん、どこで寝るの?」と聞いたら「店で」、、それは申し訳ない。
お客さんで来てくれたN氏宅にあゆさんと、和歌山から来てくれたNさんと一緒にお世話になることになった。N氏は獣医さんで、でも広い居間にはいろんなものがあって、なんとビールサーバーまであって美味しい生が飲めるのだが、私はN氏のリンパマッサージを受ける。なんでも使うクリームは馬用のマッサージクリームで凄く効くのだ。優しいね申し訳ないね〜
翌朝、和歌山のNさんは明け方帰って、それぞれにやることがあって、あゆさんと隣にある中華料理やさんでご飯を食べる。ちょうどWBC日本対韓国戦の真っ最中で、でも私もあゆさんも野球を良く知らなくて、後ろで食べ終わっても席を立たずにテレビを観ているおばちゃんに教えてもらいながらマーボ丼を食べた。お客さんが入ってくるのにみんな食べ終わっても野球が終わるまでは動こうとしないのだ。お店の人も「勝つの見てからでいいよ」と言う。
あゆさんは、そのままらんちゃんの待つ病院へ、私は筑田さんが次なる場所鈴鹿の白子(しろこ)のカレラと言う店まで送ってくださることになり、最後までありがたい四日市。そういえば、最初に筑田さんの車に乗ったときに感じた強烈なスパイスの匂いは二回目には感じなかった。慣れてしまったのだ。臭覚の慣れは早い。
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記
2009年03月13日
夢と希望の19歳
一泊の小旅行。は、は、は、今回はギターはないのよJALさん。
息子や先生と雑談。良い学校に行けて良かった、、。極貧生活のわが息子はお正月よりもずっと明るい表情。同じバンドをやっている友達と3人で食事。
「今、何に挑戦している?」
ベースマンのY君は「16ビートですね〜、あと再来年にはバークリーに行くから英語の勉強」ふむふむ、そうね、16ビートと英語ね。将来は母校で音楽の講師になりたいのだそうだ。
ところで君は「細かいリズムをなるべく大きくとる練習。いつかスタジオつくりたい、ずっとスタジオ代で苦労しているから、これからの奴に気持ちよく安くあたたかい場所つくりたい」
なるほどね。19歳の現実的なしかし大きな夢だ。そんなこと語りながら二人とも遠く家を離れ、頑張っている。
夢を聴いてあげる事は大切だな、瞳がキラキラしている。
私は先に眠ってしまったが、息子はちょっと散歩と言って出かけた。
「彼女んとこだろ~?」と言ったら
「違うよ、海行って来る。海でぼーっとしてくる」
ほんとうだったみたいだ。夜中過ぎ潮の匂いの冷たい風が狭いアパートに吹き込んできた。
息子や先生と雑談。良い学校に行けて良かった、、。極貧生活のわが息子はお正月よりもずっと明るい表情。同じバンドをやっている友達と3人で食事。
「今、何に挑戦している?」
ベースマンのY君は「16ビートですね〜、あと再来年にはバークリーに行くから英語の勉強」ふむふむ、そうね、16ビートと英語ね。将来は母校で音楽の講師になりたいのだそうだ。
ところで君は「細かいリズムをなるべく大きくとる練習。いつかスタジオつくりたい、ずっとスタジオ代で苦労しているから、これからの奴に気持ちよく安くあたたかい場所つくりたい」
なるほどね。19歳の現実的なしかし大きな夢だ。そんなこと語りながら二人とも遠く家を離れ、頑張っている。
夢を聴いてあげる事は大切だな、瞳がキラキラしている。
私は先に眠ってしまったが、息子はちょっと散歩と言って出かけた。
「彼女んとこだろ~?」と言ったら
「違うよ、海行って来る。海でぼーっとしてくる」
ほんとうだったみたいだ。夜中過ぎ潮の匂いの冷たい風が狭いアパートに吹き込んできた。
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記
2009年03月10日
緊張とダラダラ
群馬榛東の「まほろば」現代詩資料館。でも喫茶店。それはそうだ詩の本を置いているだけではお金は入ってこない。富沢さんも詩人だけれども、喫茶店をはじめるまではいろいろ仕事をしていたそうだし、奥さんは去年まで中学校の先生だった。前にも書いたし、私の去年つくったDVDでも話しているけれど、この場所に来ると「唄」が生まれる。不思議だけれど。数え切れないほどの有名無名問わずしまわれている詩人達のエネルギーに思いを馳せると、いてもたってもいられなくなるのだ。なにダラダラシテイルンダヨ?といろんな本棚から声が聞こえてくるのだ。
いつだって唄のテーマを考えている、でも旅の最中は歌うことと移動とそれだけで何日も過ぎて行く。帰れば帰ったで疲れてダラダラとして何日も過ぎて行く。でも唄はいつでも抱えている。緊張とダラダラの繰り返しで1年なんてあっというまに過ぎていくことがわかる。「まほろば」の古書独特の匂いのする奥の和室の炬燵に入って今年もちょっとだけ自分を遠くから近くから覗くような「コトバ」を走り書きした。唄になるのはいつかしら。
「虫の音」いい名前。赤城山のふもとに出来たばかりのお店。
チエちゃんにはじめて会ったのはもう6年前、佐野の「風の子保育園」で。そのときは「ユキとチエ」というユニットで、ユキちゃんはバイオリン、ギター
チエちゃんはアコーデイオンや三線なども弾いていた。私は大好きになって、そのあともいろんなところで一緒になった。彼女達はアルバイトをして溜まったお金で日本中を旅して街角やライヴハウスや、とにかく凄まじく元気で明るくて大好きだった。去年、ユキちゃんは以前からやっていた焼き物を沖縄の読谷村で本格的にやっている。去年の12月にも会えた。楽しい仲間と一緒だった。チエちゃんから「お店をはじめました」というメールが来たのは、もう半年以上前で、内心「旅が出来なくなって大変だなぁ、、」と思っていた。ライヴを主催する大変さも想像できた。でもチエちゃんの頑張りは知っていたから再会が楽しみだった。喫茶店兼ライヴハウスをするには少し淋しい場所だけれど、良いものを提供すれば人は集まるはずだ。こういう厳しい時代になって、良いものだけでは通用しない社会になってしまっているのは、私自身人事でなく感じる日々。でもまだまだ若い女の子が「エイヤ」とはじめたのだ。応援するのはオジサンオバサンの役目だ。ダメになったらまた何かやればいいのだ。
時間があるというのは素敵なこと。そういう人達と持ちつ持たれつの繋がりに感謝だ。
まほろばも虫の音も 食べものが美味しい! それは手作りの味200%!
いつだって唄のテーマを考えている、でも旅の最中は歌うことと移動とそれだけで何日も過ぎて行く。帰れば帰ったで疲れてダラダラとして何日も過ぎて行く。でも唄はいつでも抱えている。緊張とダラダラの繰り返しで1年なんてあっというまに過ぎていくことがわかる。「まほろば」の古書独特の匂いのする奥の和室の炬燵に入って今年もちょっとだけ自分を遠くから近くから覗くような「コトバ」を走り書きした。唄になるのはいつかしら。
「虫の音」いい名前。赤城山のふもとに出来たばかりのお店。
チエちゃんにはじめて会ったのはもう6年前、佐野の「風の子保育園」で。そのときは「ユキとチエ」というユニットで、ユキちゃんはバイオリン、ギター
チエちゃんはアコーデイオンや三線なども弾いていた。私は大好きになって、そのあともいろんなところで一緒になった。彼女達はアルバイトをして溜まったお金で日本中を旅して街角やライヴハウスや、とにかく凄まじく元気で明るくて大好きだった。去年、ユキちゃんは以前からやっていた焼き物を沖縄の読谷村で本格的にやっている。去年の12月にも会えた。楽しい仲間と一緒だった。チエちゃんから「お店をはじめました」というメールが来たのは、もう半年以上前で、内心「旅が出来なくなって大変だなぁ、、」と思っていた。ライヴを主催する大変さも想像できた。でもチエちゃんの頑張りは知っていたから再会が楽しみだった。喫茶店兼ライヴハウスをするには少し淋しい場所だけれど、良いものを提供すれば人は集まるはずだ。こういう厳しい時代になって、良いものだけでは通用しない社会になってしまっているのは、私自身人事でなく感じる日々。でもまだまだ若い女の子が「エイヤ」とはじめたのだ。応援するのはオジサンオバサンの役目だ。ダメになったらまた何かやればいいのだ。
時間があるというのは素敵なこと。そういう人達と持ちつ持たれつの繋がりに感謝だ。
まほろばも虫の音も 食べものが美味しい! それは手作りの味200%!
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記
2009年03月06日
騙されるシアワセ
3日前に、永原くんから「5日空いてますか?」の電話。誕生日を過ごす私を気遣ってのコトバであることはわかったけれど、、。風邪気味の私、遠出はしたくないよ、、と言ったらば、家まで車で迎えに来てくれると言う。元ちゃんと二人かい???う〜ん、どこか面白いところに連れていってくれるのかな、でも元ちゃんにご飯ご馳走してもらうのは忍びないしな、、。
そんなことを考えながら風邪がひどくならないように今日はお迎えが来るまで寝ていた。
元ちゃん、まず渋谷のタワレコの前で路駐。待っているとプレゼント!サミー・ディビス.ジュニアのCD。自分では買わないであろう渋い趣味。アリガト。元ちゃんからのプレゼントらしくてうれしい。
ところで、これから何処へ? しかしそういうことにあまり神経を使わない私、流れるままに着いたのは高円寺。どこかでなんか面白いライヴ?ずんずん歩く元ちゃんの後をにくっついて地下にある沖縄料理のライヴハウスに降りて行く。奥に10人ほどのお客さん。え〜!!!どうしたの!!!なんで!!!
まさえさん、よりこちゃん、ラルクさん、スミくん、ふくちゃん、usagiさん、久我さん、さゆみちゃん、え〜AKIとパパも! やられた〜〜〜あの嘘の下手な元ちゃんにやられた〜〜そしてこんなに沢山の大好きな人たちが待っていてくれた。少しして加代子ママもやってきて、みんなそれぞれに心こもったプレゼント、ケーキまで。
嬉しくて、びっくりして、しばらくはぼ〜っとしていた。密かに連絡を取って集まってくれて、そう、来れなくて残念といってくださるかたがたもあったとか。でもこの10人というくらいのパーティーは一番楽しい。みんなライヴでは会っていても直接話す機会もない人たちもみんなで話せる。
プレゼントもその人らしいもので、私はプレゼントを選んだり包んだり悩んだりしているその人を想像するのが大好きだ
。AKIからは真っ赤なパーカー。胸に青い蝶が真横に飛んでいる〈モロフォチョウという名前だそうだ)絵を描いてくれて、私のイメージだそうだ。
こんな素敵な時間、宝物。
唄っていなかったら、こういう人たちに囲まれていない。ちょっと前の私には想像できない時間。
真心には「元気で唄う」ことで応える。
ちっぽけな自分を偉大な真心がいつも支えていてくれていることを、一瞬でも忘れない。いま、涙溢れています。
そんなことを考えながら風邪がひどくならないように今日はお迎えが来るまで寝ていた。
元ちゃん、まず渋谷のタワレコの前で路駐。待っているとプレゼント!サミー・ディビス.ジュニアのCD。自分では買わないであろう渋い趣味。アリガト。元ちゃんからのプレゼントらしくてうれしい。
ところで、これから何処へ? しかしそういうことにあまり神経を使わない私、流れるままに着いたのは高円寺。どこかでなんか面白いライヴ?ずんずん歩く元ちゃんの後をにくっついて地下にある沖縄料理のライヴハウスに降りて行く。奥に10人ほどのお客さん。え〜!!!どうしたの!!!なんで!!!
まさえさん、よりこちゃん、ラルクさん、スミくん、ふくちゃん、usagiさん、久我さん、さゆみちゃん、え〜AKIとパパも! やられた〜〜〜あの嘘の下手な元ちゃんにやられた〜〜そしてこんなに沢山の大好きな人たちが待っていてくれた。少しして加代子ママもやってきて、みんなそれぞれに心こもったプレゼント、ケーキまで。
嬉しくて、びっくりして、しばらくはぼ〜っとしていた。密かに連絡を取って集まってくれて、そう、来れなくて残念といってくださるかたがたもあったとか。でもこの10人というくらいのパーティーは一番楽しい。みんなライヴでは会っていても直接話す機会もない人たちもみんなで話せる。
プレゼントもその人らしいもので、私はプレゼントを選んだり包んだり悩んだりしているその人を想像するのが大好きだ
。AKIからは真っ赤なパーカー。胸に青い蝶が真横に飛んでいる〈モロフォチョウという名前だそうだ)絵を描いてくれて、私のイメージだそうだ。
こんな素敵な時間、宝物。
唄っていなかったら、こういう人たちに囲まれていない。ちょっと前の私には想像できない時間。
真心には「元気で唄う」ことで応える。
ちっぽけな自分を偉大な真心がいつも支えていてくれていることを、一瞬でも忘れない。いま、涙溢れています。
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記
2009年03月04日
最後になるといつもそうだ
出かける前とまったく違う世界にいる。途中で疲れてくるとあと何日、、、?
などと数えてしまうくせに、今夜がツアー最後となると、唄うにつれて「まだまだうたいたいよ〜かえりたくないよ〜」と我儘な私が心で叫んでいる。充実したステージの連続だった今回の北海道ツアーの最終日は札幌「アフターダークカフェ」マスターもママも喜んで迎えてくれる。地元元ちゃんの友人も来てくれて、17曲唄いましたよ!外はまた雪が降り出して、そんな中日曜日の夜出かけてくださった皆さんに心から感謝。唄いながらこの12日間の出来事がフィルムのラッシュのように頭の中で廻っている。
旅は凄い。とてもキツイ。とんでもないトラブルだってある。
しかし、やはり待っていてくれる人と新しい出会いに支えられている。
それから何より、「考える時間」をもらえる。これは家では味わえない「考える時間」ただボーっとしている時間とは違うんだ。変わる景色、距離、人、食べもの、寝床、ライヴの一曲一曲、マイクの向こう側にいる人たちの息遣い。それらが私に「考える時間」を与えてくれる。
唄を唄うものには「旅」がなければいけない。
生きている間に、あと何回此処に立てるのだろうか?永遠の一瞬。
アフターダークカフェの前日にも来てくれたちずるさんが、私の首と肩を触ってヒーリングしてくれた。体は疲れていたけれど、心地よい夜だった。ワインを2杯マスターからご馳走になる、ママからもお土産。
ちずるさんがホテルでマッサージしてくれるというので雪降る道、荷物を抱えて歩く。一番都会な札幌で一番旅芸人らしい帰り方をした。
ちずるさんにオイルで肩と首をマッサージしてもらってそのまま最後の夜は終わった。
翌朝、元ちゃんはまだ寝ている時間、一人千歳空港へ。
元ちゃんが失くした彼の帰りのチケットの紛失届けをして〈忘れんぼ大将にかけては勝負はどっこいどっこいだ)まぁ、実家でつかの間の親孝行してくれれば嬉しい。お母さんは死ぬまでお母さんだ。
「ライヴは家に着くまでがライヴです」が口癖の私。
最後に羽田空港で大トラブル、きっとJALのブラックリストに載っているかな。私のギターが壊れていた。30センチのクラック!!!!!!
羽田から直接リペアをお願いしている楽器店に送った。
旅の疲れもとれないまま、JALとのなが〜いなが〜い電話での「話し合い」が4日間続いた。詳しくは書かないが、世の中、血の通わぬ話しか出来ない人たちが多すぎる。大きな組織のシステムの大変さは理解できるけれど、人の命を預かる組織だ。先週末、ワープロ書きの詫び状が組織から届いた。サインくらいしてよ。
などと数えてしまうくせに、今夜がツアー最後となると、唄うにつれて「まだまだうたいたいよ〜かえりたくないよ〜」と我儘な私が心で叫んでいる。充実したステージの連続だった今回の北海道ツアーの最終日は札幌「アフターダークカフェ」マスターもママも喜んで迎えてくれる。地元元ちゃんの友人も来てくれて、17曲唄いましたよ!外はまた雪が降り出して、そんな中日曜日の夜出かけてくださった皆さんに心から感謝。唄いながらこの12日間の出来事がフィルムのラッシュのように頭の中で廻っている。
旅は凄い。とてもキツイ。とんでもないトラブルだってある。
しかし、やはり待っていてくれる人と新しい出会いに支えられている。
それから何より、「考える時間」をもらえる。これは家では味わえない「考える時間」ただボーっとしている時間とは違うんだ。変わる景色、距離、人、食べもの、寝床、ライヴの一曲一曲、マイクの向こう側にいる人たちの息遣い。それらが私に「考える時間」を与えてくれる。
唄を唄うものには「旅」がなければいけない。
生きている間に、あと何回此処に立てるのだろうか?永遠の一瞬。
アフターダークカフェの前日にも来てくれたちずるさんが、私の首と肩を触ってヒーリングしてくれた。体は疲れていたけれど、心地よい夜だった。ワインを2杯マスターからご馳走になる、ママからもお土産。
ちずるさんがホテルでマッサージしてくれるというので雪降る道、荷物を抱えて歩く。一番都会な札幌で一番旅芸人らしい帰り方をした。
ちずるさんにオイルで肩と首をマッサージしてもらってそのまま最後の夜は終わった。
翌朝、元ちゃんはまだ寝ている時間、一人千歳空港へ。
元ちゃんが失くした彼の帰りのチケットの紛失届けをして〈忘れんぼ大将にかけては勝負はどっこいどっこいだ)まぁ、実家でつかの間の親孝行してくれれば嬉しい。お母さんは死ぬまでお母さんだ。
「ライヴは家に着くまでがライヴです」が口癖の私。
最後に羽田空港で大トラブル、きっとJALのブラックリストに載っているかな。私のギターが壊れていた。30センチのクラック!!!!!!
羽田から直接リペアをお願いしている楽器店に送った。
旅の疲れもとれないまま、JALとのなが〜いなが〜い電話での「話し合い」が4日間続いた。詳しくは書かないが、世の中、血の通わぬ話しか出来ない人たちが多すぎる。大きな組織のシステムの大変さは理解できるけれど、人の命を預かる組織だ。先週末、ワープロ書きの詫び状が組織から届いた。サインくらいしてよ。
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2009年03月02日
横断する、そして最終地
幕別、前夜の雪は見事に上がって晴れている。これから山脈をひとつ越えて札幌まで。去年と違うのは新しい道が出来ていて札幌まで少し早く行けるようになったこと。鉄道も不便な北海道ではやはり道路つくりは大切なのだ。しかし道路というのは一番難しい問題を抱えている仕事。本当に必要な場所に正しい道をつくって欲しい。日本全国、本当に日本は道路が立派だ。こんなところまで道があるんだなぁ、、とびっくりする。
山越えの途中、雨が降る、向かいの山、十勝あたりの晴れた雲間に大きな虹!それもトンネルを抜けると虹は二重になって現れた。追いかける、追いかける、そしてまたトンネルをいくつかくぐる頃には虹は消えていた。自然の現象の中でダイスキが「虹」「流れ星」。旅をしていてこの二つのことに出遭うと、もうそれだけで幸せになる。幸せになれることに感謝する。すべてがうまくいくように思えるのだ。ありがとう大きなアーチ。
札幌に着いたのは、朝出発してから6時間ちかく。幕別でお客さんに頂いた美味しいパンを車中で食べただけで食事もせずに走った。そう、札幌でラーメンを食べることになっていたのだ。元ちゃんに連れて行ってもらったのは札幌でも古くからやっている「サッポロラーメン」らしい味噌ラーメン。でも何処が一番なのかなんて誰も決められない。いくら美味しくても、その時の体調にもよるし、それはつくっている人にも当てはまるし。ライヴもまさにおんなじだな。好みは人それぞれだ。しかしラーメン、少し値段が高いと思うこの頃。せめて¥500代にして欲しい食べ物だ。
ホテルでつかの間の昼寝。才谷屋に6時過ぎに。オーナーのもーりーも元気だ。音楽ダイスキな愛媛出身、坂本竜馬大好きなもーりー。ススキノという激戦区で立派なビル〈ススキノではひとつのビルに何十件という店が詰まっている)で頑張って美味しい食べ物とお酒と音楽を大切に頑張っている。ビルの入り口に入ると地下にある店のチラシが目に入る。「加奈崎芳太郎ライヴ」
あれ〜、そういえば加奈崎さんは北海道出身だったな。随分前から長野にいるけれど。まさかこんな雪の夜に同じビルの地下と三階で、偶然だ。
リハーサルが終わってから地下に挨拶にいく。ドアを開けたらちょうど加奈崎産、歌う直前の挨拶の状態。空気を読みきれない私「お久しぶりです」
「よしこ?オマエなにやってんの?」というわけで「あとでね」と言いながらドアを閉めて。才谷屋さんライヴはじまりはじまり!狭いステージだからお客さんにも私たち演奏者にも生の音が届く。それが暖かい。
わざわざ蟹大好きな私のためにタラバの足を沢山差し入れしてくださったかたもあり、モーリーは私の新曲嬉しそうに聴いてくれていて、打ち上げはトンシャブとカニ〜〜〜!本当はすぐに地下のセンパイに再度ご挨拶市に行かねばと思いながらテーブルを離れられない。だって美味しいんだもの。
しかし、そこは旅での再会、地下に降りて加奈崎さんにもう一度ご挨拶。そこでも打ち上げしていたけれど鍋もカニもなかったな(そういうお店ではありません)ご機嫌そう、お元気そう、「オマエ、あの頃セーラー服でエレックに来てたよな」あまりにも旧い話。でもそうです。5歳先輩は一生続くのだ。でもこうして旅を続けている先輩、エレックのアーティストでは珍しいのだ。元気で唄っていることを確認してお別れ。
雪はかなり降っている、元ちゃんは行くところがた〜くさんあるようで、私はいつも聴きに来てくださる古木さんに車でホテルまで送ってもらう。歩いてもすぐなのだけれど、楽器2台を持って今度の旅でも3回は転んだ。助かります。若い女の子はパンプスで闊歩しているのに、ゴム長の私なのに。
山越えの途中、雨が降る、向かいの山、十勝あたりの晴れた雲間に大きな虹!それもトンネルを抜けると虹は二重になって現れた。追いかける、追いかける、そしてまたトンネルをいくつかくぐる頃には虹は消えていた。自然の現象の中でダイスキが「虹」「流れ星」。旅をしていてこの二つのことに出遭うと、もうそれだけで幸せになる。幸せになれることに感謝する。すべてがうまくいくように思えるのだ。ありがとう大きなアーチ。
札幌に着いたのは、朝出発してから6時間ちかく。幕別でお客さんに頂いた美味しいパンを車中で食べただけで食事もせずに走った。そう、札幌でラーメンを食べることになっていたのだ。元ちゃんに連れて行ってもらったのは札幌でも古くからやっている「サッポロラーメン」らしい味噌ラーメン。でも何処が一番なのかなんて誰も決められない。いくら美味しくても、その時の体調にもよるし、それはつくっている人にも当てはまるし。ライヴもまさにおんなじだな。好みは人それぞれだ。しかしラーメン、少し値段が高いと思うこの頃。せめて¥500代にして欲しい食べ物だ。
ホテルでつかの間の昼寝。才谷屋に6時過ぎに。オーナーのもーりーも元気だ。音楽ダイスキな愛媛出身、坂本竜馬大好きなもーりー。ススキノという激戦区で立派なビル〈ススキノではひとつのビルに何十件という店が詰まっている)で頑張って美味しい食べ物とお酒と音楽を大切に頑張っている。ビルの入り口に入ると地下にある店のチラシが目に入る。「加奈崎芳太郎ライヴ」
あれ〜、そういえば加奈崎さんは北海道出身だったな。随分前から長野にいるけれど。まさかこんな雪の夜に同じビルの地下と三階で、偶然だ。
リハーサルが終わってから地下に挨拶にいく。ドアを開けたらちょうど加奈崎産、歌う直前の挨拶の状態。空気を読みきれない私「お久しぶりです」
「よしこ?オマエなにやってんの?」というわけで「あとでね」と言いながらドアを閉めて。才谷屋さんライヴはじまりはじまり!狭いステージだからお客さんにも私たち演奏者にも生の音が届く。それが暖かい。
わざわざ蟹大好きな私のためにタラバの足を沢山差し入れしてくださったかたもあり、モーリーは私の新曲嬉しそうに聴いてくれていて、打ち上げはトンシャブとカニ〜〜〜!本当はすぐに地下のセンパイに再度ご挨拶市に行かねばと思いながらテーブルを離れられない。だって美味しいんだもの。
しかし、そこは旅での再会、地下に降りて加奈崎さんにもう一度ご挨拶。そこでも打ち上げしていたけれど鍋もカニもなかったな(そういうお店ではありません)ご機嫌そう、お元気そう、「オマエ、あの頃セーラー服でエレックに来てたよな」あまりにも旧い話。でもそうです。5歳先輩は一生続くのだ。でもこうして旅を続けている先輩、エレックのアーティストでは珍しいのだ。元気で唄っていることを確認してお別れ。
雪はかなり降っている、元ちゃんは行くところがた〜くさんあるようで、私はいつも聴きに来てくださる古木さんに車でホテルまで送ってもらう。歩いてもすぐなのだけれど、楽器2台を持って今度の旅でも3回は転んだ。助かります。若い女の子はパンプスで闊歩しているのに、ゴム長の私なのに。
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記
2009年02月28日
幕別へロングドライヴ〜そして
2月12日はこの旅の2回目の休日、夜ライヴがないというだけで休日というより長いドライヴだ。
寒さが前夜よりもやわらいでいる。
北海道の形が好きだ、不思議な生き物の頭みたいに見える。地図の上では。
しかし、助手席でなんだかんだと元ちゃんに気ままに話しかけている私の頭には地図はない。ただお気楽に飴をなめたり、トイレ〜!と叫んでコンビニに止めてもらったり、、。
「さぁ、よしこさん、やってきましたよ!降りましょう」
「うん?どこ?もう着いたの?え〜!これは足寄、、だ」
足寄の道の駅は立派だ。なんと松山千春氏のミュージアムや、ムネオさんグッズの売店もある。入り口に等身大の千春氏がラワン蕗の畑の中で笑っているパネルの前で元ちゃんのリクエストにより蕗の精になってしまった私。。千春氏との見事な2ショットだ。もっと偉そうな顔しておくんだったな。
ラワン蕗といえば(巨大な蕗です、茎の太さはふといものでは親指と人差し指で丸をつくったくらい)3年前に友達のY子ちゃんとアシリ・レラさんの家に行ったことを思い出す。レラさんも凄まじくエネルギーのある人だったな〜
お土産にラワン蕗をダンボール一杯にもらって、レラさんの家から宅急便で自宅に送って、私もY子ちゃんも旅が終わってからお互いに台所で巨大蕗の料理に悪戦苦闘した。
そんなことを思い出しながら、やっぱり私の唄の旅の形は変わっていない。行くといったら行く!!!!!のだな。
通称「ムネオロード」といわれる高速道路を走った。幕別に着いたのは夕暮れ過ぎてご飯時。この夜はオーバードライヴの阿蘇さんや内輪の方々とのゴージャスなディナーなのだ。去年、元ちゃんの少し遅い誕生日〈いつも車だから一緒に飲めるのはこういう日だけだもの)と言って私がお酒の安いコンビニ、セオコマートで\500のシャンパンを買って、やはり同じ状況で乾杯したのだが、なんでも私はすっかり忘れているのだったが、そのお祝いのシャンパンを殆ど私が飲んでしまった、、と元ちゃんに言われ、、そうそう酒、食べものの恨みはやられた人しか覚えていないものなのだ。
今回は失礼しましたと言うことでおんなじセイコマートでリベンジのシャンパンを買って、会場である「翔」という居酒屋へ。
ここのラムの焼肉は絶品で、肉を好まない私でも食べられる。オーナーである
木綿さんのこだわり。今回は鹿肉もあり、唸ったな〜!
そうそう、大事なシャンパン、乾杯をして、その後、、、「よしこさん、何の見ます?」と聴かれ、「ア、私、このシャンパンがいいのよね」あ〜、だから元ちゃんずっとレモンチュウハイ飲んでたのね。ごめんねまたやってしまった〜
しかも飲み残しがもったいないと私はボトルに栓までしてもらってホテルにお持ち帰りしてしまったのだな〜〜〜
楽しい美味しいご飯の後は、ホテルの大浴場で温泉につかる。嬉しい!
阿蘇さん今年も忙しい中、宴を作ってくださってごちそうさま、ありがとう!
来年はシャンパンは2本買おう。と反省を少しだけして眠る。
早朝、ホテルのマネージャーがドカドカと部屋に入ってくる。優しいオジサンなのだが、男性だ。私は2泊の連泊の2日目は部屋を替わらなくてはならなかったのだ。浴衣が寝起きにどう状態になっているかご想像におまかせするが、大急ぎでコートを羽織り、オジサンに抱きかかえられながら部屋替えをした。
温泉ホテルのドアには「オコサナイデクダサイ」の札はないのだ。でもオジサンとなんとなく仲良くなって後でいいこともあった。とにかく昼過ぎまで寝なくては!寝た。
その後遅い昼食は「インディアンカレー」というカレーやさんの「ハンバーグカレー」阿蘇さんと三人で。阿蘇さんの食べるスピードが半端でない。
「カレーは飲み込むものですから」。。。これには早食いの元ちゃんは負けた。負けず嫌いな彼はかなり悔しがっていた。
旅の最中ではじめての本格的な雪が降る13日の金曜日。ライヴは3回目のオーバードライヴ。元ちゃんはセッティングがあるからと言って、私は一度オーバードライヴからホテルに帰ることになったのだが、真っ白い真っ白い世界、どんどん降る雪。ホテルの看板が見えているのに私のナビは壊れた。
なんとか辿り着いて化粧をしてギターを持って、会場に行かねばならない、、
イヤダ!絶対ダメダ!ギターが雪に埋まる〜
ふとロビーのフロントに目をやると、あのマネージャーのオジサンが、、。
なんとホテルのクラウンで通常徒歩3分の目的地に優しく送ってくださった。
ありがたい、、。
オーバードライヴ、今回は、主人阿蘇さんのバンド「はじめにんげんぴーとるず」といつもきてくださるバンド「白い鳥」が最初に。みんな選曲がいい。北海道らしく中島みゆき作品などもあるけれど、やはり懐かしくなる名曲を披露していた。
私と元ちゃんのステージ、途中で私のギターのシールドの調子が良くなくて音が消え、白い鳥の方にステージ上で変えてもらう。そんな中で元ちゃんのソロコーナーもあり、満員に近いおきゃくさんのリクエストでかなり遅くまでのライヴになった。「今夜私は台所を棄てた」などもどんどん形が決まってきて嬉しかった。やはり本番の力は凄い。
しかしこのスペース、外は大雪にもかかわらずこれだけの音楽好きな人たちがやってくる。もちろん殆ど車。ということはお酒を飲まないで朝まで遊ぶ。でもみんな飲んでいるの?というくらい賑やかだ。
私は去年約束したミネストローネを頂いて美味しかった、覚えていてくれたんだ〜お抱え料理人さん。しかし食べもの安すぎ。
そして早めのホテル。だってドラムがセットされて、ギターが出てきて、もうわかるでしょ、その後のことは、、。
オーバードライヴに集ってくださる皆さんありがとう!
寒さが前夜よりもやわらいでいる。
北海道の形が好きだ、不思議な生き物の頭みたいに見える。地図の上では。
しかし、助手席でなんだかんだと元ちゃんに気ままに話しかけている私の頭には地図はない。ただお気楽に飴をなめたり、トイレ〜!と叫んでコンビニに止めてもらったり、、。
「さぁ、よしこさん、やってきましたよ!降りましょう」
「うん?どこ?もう着いたの?え〜!これは足寄、、だ」
足寄の道の駅は立派だ。なんと松山千春氏のミュージアムや、ムネオさんグッズの売店もある。入り口に等身大の千春氏がラワン蕗の畑の中で笑っているパネルの前で元ちゃんのリクエストにより蕗の精になってしまった私。。千春氏との見事な2ショットだ。もっと偉そうな顔しておくんだったな。
ラワン蕗といえば(巨大な蕗です、茎の太さはふといものでは親指と人差し指で丸をつくったくらい)3年前に友達のY子ちゃんとアシリ・レラさんの家に行ったことを思い出す。レラさんも凄まじくエネルギーのある人だったな〜
お土産にラワン蕗をダンボール一杯にもらって、レラさんの家から宅急便で自宅に送って、私もY子ちゃんも旅が終わってからお互いに台所で巨大蕗の料理に悪戦苦闘した。
そんなことを思い出しながら、やっぱり私の唄の旅の形は変わっていない。行くといったら行く!!!!!のだな。
通称「ムネオロード」といわれる高速道路を走った。幕別に着いたのは夕暮れ過ぎてご飯時。この夜はオーバードライヴの阿蘇さんや内輪の方々とのゴージャスなディナーなのだ。去年、元ちゃんの少し遅い誕生日〈いつも車だから一緒に飲めるのはこういう日だけだもの)と言って私がお酒の安いコンビニ、セオコマートで\500のシャンパンを買って、やはり同じ状況で乾杯したのだが、なんでも私はすっかり忘れているのだったが、そのお祝いのシャンパンを殆ど私が飲んでしまった、、と元ちゃんに言われ、、そうそう酒、食べものの恨みはやられた人しか覚えていないものなのだ。
今回は失礼しましたと言うことでおんなじセイコマートでリベンジのシャンパンを買って、会場である「翔」という居酒屋へ。
ここのラムの焼肉は絶品で、肉を好まない私でも食べられる。オーナーである
木綿さんのこだわり。今回は鹿肉もあり、唸ったな〜!
そうそう、大事なシャンパン、乾杯をして、その後、、、「よしこさん、何の見ます?」と聴かれ、「ア、私、このシャンパンがいいのよね」あ〜、だから元ちゃんずっとレモンチュウハイ飲んでたのね。ごめんねまたやってしまった〜
しかも飲み残しがもったいないと私はボトルに栓までしてもらってホテルにお持ち帰りしてしまったのだな〜〜〜
楽しい美味しいご飯の後は、ホテルの大浴場で温泉につかる。嬉しい!
阿蘇さん今年も忙しい中、宴を作ってくださってごちそうさま、ありがとう!
来年はシャンパンは2本買おう。と反省を少しだけして眠る。
早朝、ホテルのマネージャーがドカドカと部屋に入ってくる。優しいオジサンなのだが、男性だ。私は2泊の連泊の2日目は部屋を替わらなくてはならなかったのだ。浴衣が寝起きにどう状態になっているかご想像におまかせするが、大急ぎでコートを羽織り、オジサンに抱きかかえられながら部屋替えをした。
温泉ホテルのドアには「オコサナイデクダサイ」の札はないのだ。でもオジサンとなんとなく仲良くなって後でいいこともあった。とにかく昼過ぎまで寝なくては!寝た。
その後遅い昼食は「インディアンカレー」というカレーやさんの「ハンバーグカレー」阿蘇さんと三人で。阿蘇さんの食べるスピードが半端でない。
「カレーは飲み込むものですから」。。。これには早食いの元ちゃんは負けた。負けず嫌いな彼はかなり悔しがっていた。
旅の最中ではじめての本格的な雪が降る13日の金曜日。ライヴは3回目のオーバードライヴ。元ちゃんはセッティングがあるからと言って、私は一度オーバードライヴからホテルに帰ることになったのだが、真っ白い真っ白い世界、どんどん降る雪。ホテルの看板が見えているのに私のナビは壊れた。
なんとか辿り着いて化粧をしてギターを持って、会場に行かねばならない、、
イヤダ!絶対ダメダ!ギターが雪に埋まる〜
ふとロビーのフロントに目をやると、あのマネージャーのオジサンが、、。
なんとホテルのクラウンで通常徒歩3分の目的地に優しく送ってくださった。
ありがたい、、。
オーバードライヴ、今回は、主人阿蘇さんのバンド「はじめにんげんぴーとるず」といつもきてくださるバンド「白い鳥」が最初に。みんな選曲がいい。北海道らしく中島みゆき作品などもあるけれど、やはり懐かしくなる名曲を披露していた。
私と元ちゃんのステージ、途中で私のギターのシールドの調子が良くなくて音が消え、白い鳥の方にステージ上で変えてもらう。そんな中で元ちゃんのソロコーナーもあり、満員に近いおきゃくさんのリクエストでかなり遅くまでのライヴになった。「今夜私は台所を棄てた」などもどんどん形が決まってきて嬉しかった。やはり本番の力は凄い。
しかしこのスペース、外は大雪にもかかわらずこれだけの音楽好きな人たちがやってくる。もちろん殆ど車。ということはお酒を飲まないで朝まで遊ぶ。でもみんな飲んでいるの?というくらい賑やかだ。
私は去年約束したミネストローネを頂いて美味しかった、覚えていてくれたんだ〜お抱え料理人さん。しかし食べもの安すぎ。
そして早めのホテル。だってドラムがセットされて、ギターが出てきて、もうわかるでしょ、その後のことは、、。
オーバードライヴに集ってくださる皆さんありがとう!
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記
2009年02月27日
北海道から帰ってから
もう、10日も経っているのに、なかなか進まぬ私の旅日記。
許してね。今週は忙しかった〜!
旅の日記は正確に書きたいから、気持ちも大切にして。
と、いうわけで、明日からまた書き出そう。
そういえば、釧路で池村さんに特別に頂いた〈そう、札幌では買えないの)
「花畑牧場生キャラメル」大人気らしく、東京などの友人にプレゼントしてしまったら、昨日やっぱり北海道ツアーに行っていた河口修三さんがひとつくださる。修ちゃんアリガト。だから私の冷蔵庫には再び生キャラメルがいるのだ。
明日で2月も終わり。早いぞ時間!
許してね。今週は忙しかった〜!
旅の日記は正確に書きたいから、気持ちも大切にして。
と、いうわけで、明日からまた書き出そう。
そういえば、釧路で池村さんに特別に頂いた〈そう、札幌では買えないの)
「花畑牧場生キャラメル」大人気らしく、東京などの友人にプレゼントしてしまったら、昨日やっぱり北海道ツアーに行っていた河口修三さんがひとつくださる。修ちゃんアリガト。だから私の冷蔵庫には再び生キャラメルがいるのだ。
明日で2月も終わり。早いぞ時間!
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記