NYから帰って、暫く休養。ってずっと休養じゃない??と思われるかもしれないのだけれど、水面下では毎日、秋のコンサートの準備のための打ち合わせやら、後半期のスケジュールを決めたり、じっとはしていなかった。。。のだが、どうも一日中眠たい。。かなり強力な時差ボケに襲われて2週間ほど苦しんだ。
その間、博多「金太郎」にて岩切みきよしさんとのライヴ。博多には息子がいるので、到着してから息子の通う学校へ。学校の先生と息子と三者面談。
会っていないうちに彼は20歳になっていて、しかし、親子というのは面と向かうとなんてじれったいのだろう、、、。でもメールしても電話してもわからない顔色とか、目つきとか、やっぱり会う事が大事で、来年卒業の後のことを話そうと親も学校も思うのだけれど、今夜の予定のほうが彼にとってはずっと大事!
この息子という人が私のところに来てくれてから20年、どれほどいろんなことを教えてくれたことろう。。。自分の二十歳を思い出したら寒気がする。
親がそばにいなかったことを良いことに、今の彼の何十倍もアッブナ〜イことばかりやっていたのだから。。。。いまの人たちはクールな人達が多い、、
けれど、アツイおもいも心に秘めているはずで、それは母の祈りと背中にかかっているのを今回の面談でも思い知らされて、どっちが生徒なんだ?
岩切みきよしさんは、偶然にも息子の学校の院長の友人で、そして若い頃お互いにヤマハのポプコンの九州大会で素晴らしい賞を獲得して、プロを目指して東京に出てきたのだそうで。その後二人ともプロ歌手としての夢は実現できなかったのに、院長氏は音楽学校を経営するという、いわば音楽をする人たちを育てるという音楽家になり、岩切さんはなんと、福岡の市会議員となってしまい、しかし「唄う市会議員」というまったくもってころんでもただ起きないオカシナ< 本当に岩切さんのMCはオカシイ)音楽家になって、二人とも夢は現実のものになって進行中なのだ。
金太郎には、いつもの高松さんや、若いけれど私のライヴに来てくれる人や
お店の常連さんが集まって、ライヴがはじまった。
とにかくみんな九州の人は飲む! もういいんじゃない?と思うのだが、まだ飲む、、という人達を知っている。その夜もみんな電車の時間ギリギリまで飲まれて帰っていった。金太郎のマスターはギターが大好きで、かなり値打ちものもあるし、プレイもする、そして奥さんと二人、以前は着物の生地でアンティークアロハを作っていた。マスター&ママというより、音楽やファッションの話をする博多の友人のような関係で、お互いタメぐち。ただ、私は今太郎できちんとご飯を食べたことがないので(なんだかタイミングがなかっただけ)
こんどは遊びにだけ行ってもみたい。
博多から帰り、アールズアートコートにて、音響の加納厚氏、協賛というか当日のマネージャーみたいなことまでお願いしたサウンドフォルテの社長小日向さんそしてホールの横尾さんなどと10月11日の「ありがとう よしだよしこウタウ」の打ち合わせ。
こういうときに一番必要なのは、進行表とセッティング表。進行は出演者が私とレイチェルさんなのでコトバでも足りるのだが、ステージのマイクのセッティングの絵を未だに私はきちんと書けない。。。かなり心配して打ち合わせに行くと、なんと加納厚氏がキッチリと照明さんにもわかるようなものを書いてきてくれた。。。ありがたい。。。あっちゃん、もう私のことお見通しです。
予約の確認、これも自分のHPと労音とふたつでやっているし、当日の人もあるし、少ないスタッフでお客さんが気持ちよくスムーズにホールに入れるように、そして体の不自由な方も無事故であるように、、本番まで一ヶ月をきって
毎日気になることばかりが頭によぎるが、こうやってかずを重ねていくうちに学ぶことも沢山あるし、やはり一年に一度くらいは自分で企画して主催しなければ、陰で尽力してくださる人の気持ちもわからないし、なんといっても時間とお金を使って応援に、私の唄を聴きに、元気な顔を観にきてくださるお客さん友人の気持ちに感謝がうすれていくから、私には大切なコンサートなのだ。
9月19日から三重、神戸、大阪、そして最後は滋賀という丸々一週間の旅が始まる。
三重の「ええかげん」はずっと以前から存在は知っていたけれどなかなか行かせてもらうチャンスがなかった。
今回は、沢山の人たちが出るお祭りだ。3日間かかって続くのだが、私は中日に行かせてもらった。
もう目の前は津の海、そこに葦が沢山目立つ大型の海の家のような木造の建物がある。
いろいろなアーティストが唄いにきている場所だ。
この日も友人も沢山いて、はじめてでもなんだか何処かで会っているような
人たちばかりが、この入り口のドアもはっきりとしていない不思議な空間で唄い演奏し、喋り、飲んでいた。
瀬戸口修氏はお酒を控えているというのでビックリしたけれど、確かに本番の酔っ払っていない瀬戸口さんは新鮮だった!
さかうえけんいちさん、鎌倉研さん、それから私も短時間だったけれど濃密なステージをさせてもらった。いとうたかおさんもゆったりとやっていて、私は客席の畳敷きのところで寝転んで聴いていた。行儀が悪いけれど、みんなそんな感じで聴いていて、でも耳だけは厳しいオーディエンスであるのを知っている。
みんなキャンプするひともいるけれど、私はツアー初日、宿舎をとって海の家を後にしたけれど、また唄わせてもらいたい場所だ!
翌日は、四日市の駅前のフルハウス。これで3回目なのだけれど、今回はちょっと特別な四日市なのだ。
はじめて四日市でうたわせてもらったのは4年前で、それから小川あゆさんと蘭光(らんちゃん)がいつも自前で運転から宿舎<民泊多し)の手配をしてPAからあゆさんの素晴らしいMCまですっかり御世話になっていた。
あゆさんのパートナーらんちゃんが脳の病気で2008年に倒れて、それから春が来て、私は病院のらんちゃんと会った。でもこの人は大丈夫だなぁ、と思った。本人がしっかりしていたし、なんといってもあゆさんはじめ家族や周りの人達に囲まれて孤独でなかったからだ。「また来るね」と言って別れて、
まさかその年の秋にらんちゃんがライヴの客席にいてくれるとは思わなかった。凄く嬉しかった。このフルハウスのライヴがらんちゃんライヴハウスデヴューだったそうで、それも嬉しい。
民泊はドリトル氏宅。いつものメンバーがいつもの場所にいられることがとっても楽しかった。
あゆさんは少し痩せていたけれど、強い人。それを支える素敵な友人たちも素敵だ。一杯だけのビールにゴキゲンのらんちゃん、今度は一緒に演奏したいけどな、オートハープは重いし、マンドリンも大変だし、ウクレレはどうだろう?
2010年01月16日
2009年9月のこと半分
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記