2010年01月16日

電話で英語

爆睡!と思っていたら部屋の電話が鳴った。
RACHEL FARO からだった!
わ〜!はじめて喋った!本物だ!今までメールのやり取り<苦労したな)だけで、とりあえず今回の旅で逢える事になっていたのだ。彼女はゆっくりとした話方で、私にわかるように簡単に用件を伝えてくれた。
まだマイアミにいること。そう、彼女はスタジオや自宅はマイアミなのだ。
NYのお母さんの家でリハーサルと食事をしようということで、場所と電話番号を教えてくれた。とっても忙しいのだそうだ。でもその声は優しくて、私たちが無事にNYに着いたことをとても喜んでくれた。
ともあれ、アメリカに着いてはじめて話す長い英語もゆっくり聴いてくれた。
アメリカ上陸を更に実感して就寝。

翌日、早く目を覚ますとMちゃんも起きてコーヒーを入れていた。部屋はアナログテレビとあんまりお湯の出にくいお風呂という環境なのだけれど、コーヒーマシンだけはあって、掃除に来てくれたメイドさんにチップを奮発して、掃除はいいからコーヒーいっぱい頂戴!みたいに言ってみたら滞在中十分すぎるほどのコーヒーのパックをもらった。やったね!
とにかくホテルの食事は高いから、コーヒーを飲んで外に出る。流行っているのはスープやさんだ。10種類以上あるスープを頼むとパンがオマケで食べられる。滞在中に一番利用したな。$5ちょっと。Mちゃんは甘いものが好きなので、随分ケーキにも挑戦したけれど、これはどれも失敗だった、、、。
スーパーで買ったヤマザキパンみたいなメーカーのバナナマフィンが一番ヒットだった。
昔私が住んでいた西海岸では、ちょうど自然食ブームでなかなか美味しいくて
体にやさしい食べ物を売っているところがそこ此処にあったのに、NYのダウンタウンは安全になったこともあって、観光客用の高い店か、日本でもあるファストフード<世界的にか)が多くて、とにかく歩いて探すしかない。
街を移動してグリニッジ・ヴィレッジのほうまで行ってみた。もちろん地下鉄。昔はトークンというコインを買って乗ったのだが、今はカードになっている。カードを買うのも智恵がいる。乗り換えが難しい。。。って?日本の都会の地下鉄に比べればあまりにも単純だとMちゃん。。そうです私があまりにもわからないのです。。。よく二十歳そこそこで、あの危険な地下鉄に乗ったり、夜中の街を歩いていたもんだ。。。ぞっとするね。

グリーニッジ・ヴィレッジも観光客で溢れていた。そしてそこにある店も完全に変わっていた。でもはっきりと覚えている道の名前は変わっていなくて、どんどん歩いて南下するとそこはかつて毎晩通ったコーヒーハウスやクラブのある一角。KENNY'S CASTAWAYという小さなコーヒーハウスも健在だった。そこで私はいろんなアーティストを聴いた。エリック・アンダースンと再会したし、そしてレイチェルさんをはじめてみたのも此処だ。その日の出演者のリハが始まっていたけれど、なんとなく夜まで待つ気がしなかった。。。必死に新聞スタンドでヴィレッジプレスを探すのだけれど、どこも置いていないか売り切れなのだ。今はネットがあるからなぁ、、。どこか一軒でも音楽を聴いてもよかったのだけれど、そういう気持ちにならない空気。。どっちがかわったのか?
自分?時代と街?
でも、なんとなくあてもなく散歩するということを私たち二人とも普段していなくって、Mちゃんはハイヒールにスーツでカツカツと駆け回っているし、私は重たい荷物を担いでヒーヒー言いながら歩いているから、この抜けるような青空の異国の夏休みを「おなかすいた〜、ねむたい〜、どうしようか〜」と
言いながらブラブラするだけで物凄い贅沢だ。
雨の日が一日あって、ホテル近くの雑貨やさんで可愛いフクロウの絵がいっぱいプリントされた長靴を売っていて、Mちゃんが私にプレゼントしてくれた。
Mちゃんやっぱり可愛い傘の絵のを買って、そのままそこで履き替えて、
MOMAに絵画鑑賞に行く。けっこうみんな私達の足元を見ている。
MOMAには私のダイスキな作家の絵があるはず。アンドリューワイエスのクリスティーヌの絵だ。この近代美術館も物凄い人で溢れていて、なんともビックリしたのだけれど、随分歩いて歩いて登ったり降りたりしてやっと見つけたワイエスの一枚。もう一枚オキーフの絵も探したのだけれど、何処かに出張しているようで探せなかった。でも満足、私が確かに、この絵の前で何時間も過ごしていたことを確認しにきたのだ。

雨が二日続いたけれど、ホテルで休んでは外に出たり、食べてはまた昼ねしたりで週末を過ごし、翌日日曜日、いよいよレイチェルさんと逢うのだ。
お母さんの家というのはマンハッタンのずっと北の非常に高級な場所で、お店も歩いている人たちもちょっと違う。観光客もいない。
説明どおりにバスを乗り継いで行く。私でもわかるNYの道は嬉しい。とにかく道の名前が住所のようになっているから迷子にはならない。
着いてビックリ!すっごく高級なそれも威厳さえ感じる大きなアパートメントで、入り口にはガードマンがいて、何処に行くのかたずねられたけれど、お母さんの名前を知らない、、やっと通じて三越本店みたいなエレベーターで部屋の前に。レイチェルさんが迎えに出てきてくれた。髪の毛は写真で見るよりすっと長くてストレートになっていて、ていねいにお辞儀の挨拶をして招きいれてくれた。まるで集合住宅とは思えない大きな部屋がいくつもあって、一番奥の日当たりの良いリビングに通されて、、、でもお互いになんだか微笑み会うばかりで、、変な感じ、、おかしいけれどしばらくそうだった。
Mちゃんも英語は話せるか?とレイチェルに聴かれて、イヤソノ〜エヘヘ〜みたいなことをどうやって英語で話すのか、、、。
しかし、お土産に持っていったお箸とお箸袋を渡した頃から空気和らぐ。
なんでも、彼女は翌日からカナダのサスカチュアンのチベット仏教の道場のセッションに参加するのに箸が必要だったそうで、この流行のエコ箸は大いに役に立ったようで、お母さんのニーナさんにも渡して大喜びしていた。ニーナさんはクラシックの歌手だったそうだ。
まずは、10月のコンサートの内容と条件の確認。特にホテルのこと、そして費用のこと、なんと電卓まで出てきてシビアな社長会談になった。全て私が招待するわけだけれど、私だったら「お任せします」で終わるのだが、飛行機会社やホテルやその他細々と注文があって「はい、わかりました」という、、。
人間、お互いにこういう真剣な事柄になると、なんとか会話できるものだ。
ひとまずお話終わりで、本題のリハーサルなのだけれど、これは超簡単だったし、なんと彼女のダルシマはちょっと壊れていた。でも一緒に「道端でおぼえた唄」〜DaggarDance」を交互に歌ったときはお互いにちょっと涙が溢れてきた。彼女の心の中はわからないけれど、私がこの場所でこんな風にレイチェルと唄っていることも、これから日本でツアーをすることも想像だにしていなかったのだから、もっと感激してもいいくらいなのだけれど、あまりにも自然の成り行きのように思ったし、レイチェルも何度も信じられないと言いながらも、ずっと昔からの知り合いのようにそばにいた。
翌日早朝にカナダに行くという彼女は荷造りで忙しく、私とMちゃんは、お母さんや従兄弟や若い友人などと簡単にチキンやおつまみでキッチンパーティーになった。
レイチェルが疲れるといけないので、早めに失礼したけれど、帰り際に
「凄いおうちですね」と言ったら、自分も呆れてるみたいなことを言っていて、彼女は一人で子供も育てながら、プロデューサーという仕事もして、マイアミの暮らしはよくわからないけれど、きっと質素な生活なのだろうと想像した。音楽で大金持ちになるのは一握りの人たちだし、一緒に唄っていて、そういう匂いを感じたのだ。もっと深い話ができればわかることもあるだろうけれど、とにもかくにも、このNYでの一番大切なやるべきことをして、豪華アパートのガードマンさんたちにオヤスミナサイを言って、帰りは地下鉄でセントラルパークまで。
残された二日間でなにをしよう?
やっぱりグラウンド・ゼロに行こう!
地下鉄の駅名は「ワールドトレードセンター」まさにビジネス街だ。お昼時に着いたので、多くの人たちがランチを食べに外に出ていた。その街に広大な工事現場がある。外からは何も見えない。フェンスで囲まれているそこには、これからあの出来事を忘れないための大掛かりな施設建物が建設されるのだそうだ。
観光客がいたのは、その近くにある教会の中の展示室。主にそのときの消防士の人達の功績を讃えているものや、日本からの千羽鶴などもあったけれど、とても小さな場所で、きっとこれからつくられる建物はどういうものなのだろうか? 長い時間いたい場所ではなかった。人々は忙しそうだったし、工事の音と車の音がいやに大きく聴こえる場所。

最後の休日、快晴! もう一度グリーニッジヴィレッジやSOHOのほうに行って見ようよ、というわけで、慣れた感じで地下鉄に乗る。
最後にMちゃんにも何かプレゼント、、と思って、路上のアクセサリーやさんで、ピンクの石の指輪を値切って、しかも半分だけカンパというケチくさいプレゼントになっちゃったけれど、喜んでくれて、、すまぬ、、、。
メキシコ料理を食べていなかった!そうそう、アメリカで美味しいのはメキシコ料理で次がチャイニーズだった。ということで、うれしいマンハッタンの南のお洒落な通りに面したメキシコ屋でタコスとエンティラーダを頼んでワインも飲んで、沢山歩いた。
ブロードウェイのミュージカルもブルーノートのライヴも行かなかったけれど
Mちゃんが、カーネギーホールの入り口で笑顔で挨拶するポーズの私の写真を撮ってくれたし、なんといっても良く寝てよく食べ、よく歩き、話して笑って
こんなに体に良いことをしたのはお互いに久しぶりだったのだから、凄く充実していたのだ。
最後のディナーは、ヴェトナム料理屋をみつけたので、チャーハンとを一皿と生春巻き一皿を食べて乾杯。滞在中一番美味しい食事で安くて、だいたい物事はこうやって終わり頃にイイコトがやってくるものだ。

帰りの日。成田の時みたいに座席が変わったらいいね〜なんて話していたけれど、帰りはしっかりエコノミーで、それでもJALのエコノミーはまだまだ捨てたものではない、、。行きよりも短く感じたのは、楽しかった日々の証拠。
お昼過ぎにケネディイ空港を発ったのに、到着はその日の夕方で、時空を飛び越えてちょっと沖縄から帰ったような、、成田から家までのほうがずっと長く感じる。
久しぶりに美味しい玄米のオニギリをいただく。迎えに来てくれたKくんが私達のために作ってくれていたのを成田エキスプレスの中でほうばった。
Mちゃんが「美味しい美味しい」を連発して平らげていて、普段お米をあまり食べない彼女の食べっぷりに嬉しくなった。

7日間の旅、行かせてもらえてよかった! 
NYは不思議な街だ。歩いているだけで嬉しく元気になるのだ。それは昔にも感じたけれど、これだけは変わっていない。小奇麗になってしまった部分もあるけれど、行くところに行けばまだまだ様々な差異があるはずで、今回はおとなしく怖いところに行かなかっただけだけれど、高層ビルが巨大な林のように建っているダウンタウンでも、不思議なことにみあげると空が大きく見えるのだ。
また行きたい病になってしまう街、Mちゃんご夫妻に感謝。
また行こうね。
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記