7月31日の「ひかり祭り」は三日間の祭りなのだけれど、8月1日には
「憲法九条フォークジャンボリー」が東京新大久保であって、私は参加することになっていたので忙しいことになってしまった。
沢山の表現者の人たちがいて、知っている人も、それから本当に歌声運動を続けている合唱のひとや、だいたい一人もち時間は15分くらいで、あっというまにステージは変化していく。このフォークジャンボリーも二日間あるのだけれど、私は翌日はまた「ひかり祭り」に戻るので一日目に参加になったのだ。
数年前は上野の水上音楽堂でやっていて暑い盛り、野外のコンサートの雰囲気も好きだった。4年前の上野のフォークジャンボリーの翌日に高坂一潮さんが脳出血で倒れたのだったなぁ、、。そんなことも思い出してしまうけれど、
今回は新大久保のアールズアートコートで。
「憲法九条」というコトバが最初につくフォークジャンボリーはいろいろな場所で行われていて、私も何回も参加させてもらっている。
「ケンポウキュウジョウ」を守るということイコール平和ではなく、これは政治だけの問題でなく、そして私自身はこの九条という響きを聴くたびに、自分にも(こころ)刺さっているエゴと向き合う。ただ、この素晴らしい法は世界でも稀な法であって、長い歴史の中で日本という島国がしてきてしまった沢山の過ちや、また沢山の犠牲の上に産まれた63年前の条文は誇り高き約束だ。
私に刺さっている矢は、多かれ少なかれ殆どの人間に刺さっているかもしれない。ただ、20世紀後半から21世紀に生きることを決められた人達が、自分の心に刺さったエゴと闘うことが一番難しいことなのだと思うし、渋谷でしゃがんでいる子供達と、貧しいアフリカやアジアや南米などのスラムやキャンプでしゃがんでいる子供達も皆同じ人間でありながらにして差別があり、不公平であって、ちっぽけな自分は?と考えるための「九条」でありたいと思うし、まずは自分の目の前の人の足元くらい灯りで照らせるようになりたいのに、本当に照らされてばかりいる。人の足元照らせば、自分の足元も明るくなるのに、いつもそれを忘れる。
そして、悪い人達(誠実でなく、エゴだけで生きている人)は沢山束になって結託しやすいのに、どうして善い人達(誠実な人達)の声は小さくて集団になりにくいのか? 庶民に知らされていないことを、本当に正確に伝えてくれる人達が欲しいとも思う。文きり調に「九条キュウジョウ、、」と叫びたくはない。今日もこんなに素晴らしい約束をした国の何処かで、武器が作られたり、
大小の差別があったり、友達同士が憎しみあったりしている。。。その根本の本質を痛くても感じて、出切れば自分で抜くことは一生出来ないかもしれないけれど、刺さっている矢の存在を自覚して、今いる処で自分のたたかいをしていこう。。。それが私の「九条」。そういうオモイで「She said NO!」を唄わせてもらった。唄は一瞬だけれど、唄い続けていくことは一瞬の連続になればよい。大変なやりかたを始めてしまったものだと毎日思うけれど
善き人達と沢山出会いたいし、話したいし、唄いたい。
翌2日、再び牧郷へ。この日は豪雨。昼過ぎに会場に行くと、雨でぐっしょりm濡れながらもステージでは演奏が続いていた。元校舎には食べ物も豊富にあって、どれも美味しくて安い。
私のアルバムジャケットやDVDの撮影をしてくださっている井出情児三一家も三日間キャンプをしていたようで、一人娘サヨちゃんはドロンコでゴキゲンに踊ったりしていたけれど、機材や楽器や運営している人達はそれはそれは大変だったと思う。
直子に会うと、すっかり疲れていて体中にシップを貼っていた。全ての人たちに気を使いすぎて、、、しかしこの日も彼女のステージがある。
メインの校庭のステージでは前日に新大久保で会った寿の二人が演奏シテイテビックリした。みんな元気だな〜
この祭りがこの年で終わることや、直子のお母さんのことなどで、特別な企画が沢山あったようだ。
直子のステージに私はダンサー&シンガーとして参加。「え〜踊れないよ〜」と言ったのだけれど、フラの先生もいるし、衣装はキヨシローくんやどんとなどの衣装を作っていた女性がみんなのイメージでわざわざ用意してくれて二度ときることは無いかもしれないような衣装だし、そして唄はどんとの「波」だし、、、ということで、控え室の教室では女子が大はしゃぎで着替えたりメイクしたり、直子もすっかりキラキラなメイクになって、この夜の体育館でのラスト近くの出し物がはじまった。
私の衣装も波のような虹のような「ドナタデスカ?」という変身ぶりなのだけれど、たまにはこうして自分の殻から出てきてフラして波になりきるのは気持ちのよいものだと思った。
着替えて賄いのグリーンカレーを食べる頃も雨は激しく、外のステージでは
ムッシュかまやつさんたちのバンドが演奏していたけれど、体中ドロドロになって牧郷に泊まれないので、一日だけ「波」の演奏にだけ奈良からやってきた
長田TACOちゃんに藤野駅まで落としてもらい、電車に乗ると、昔、そう、ほんとのむかしアメリカのバークレーに住んでいたころに友達になって随分会っていなかったヒロくんにバッタリ会う。みんないい年していても祭りと聞くと血が騒ぐのだ。ほかにもその時代の友達や、唄の旅で知り合った遠い島の人などにも沢山会った。地域をも巻き込んで、すこしづつ育った手作りの祭りには
そんなふうに距離や時間を越えて人を集めてしまう力があるんだなぁ。
直子さんありがとう。頻繁にあえなくても友達でいてね。
8月3日で禁煙3ヶ月。今回は楽な禁煙だった。<今回というのは、次回もあるのか?)でも結婚と禁煙は何度したていいじゃないの、、でもないか、人に迷惑かけるときもあるからな。それがわかっただけでもよしとして、一人お祝い。奇しくも息子の誕生日。
7月でレコーディング全て終わったように書いたけれども、正確にはこの後まだ三日ほど仕上げがあった。お盆を挟むと工場はお休みなのでかなりギリギリの作行だったけれど間に合った。
8月はツアーをしないことに決めていた。上半期、旅と録音でほとんど丸々休みの日が殆どなかった。みんなそうなのだけれど、やはり重たいものを持っての移動は凄く体に負担がかかる。
9日の日曜日の昼間、聖蹟桜ヶ丘の「草苑」にてソロのライヴ。久しぶりの草苑には、昼間だからというゆったりとした雰囲気が流れていて、私は生唄でやらせてもらった。生は声に負担をかけそうになるのだけれど、なにも大声で唄わなくても聴こえるように唄えばよいのだな、、と最近思っている。難しいけれど、マイクがないと、なんだか自由だ。
終わってから美味しいお料理も少しだけいただき外に出るとまだ明るかった。
世の中は例年通りお盆やすみだけれど、2009年の夏は衆議院選挙の前で賑やかだったような気がする。
個人的には私は二大政党化というのはあまりよくわからない。本来は人物本位の選挙が良いのだし、でも国の中央だけにあんなに沢山議員がいるよりもっと地方の地元に仕事する人達がいたほうが良いのに、そういう自治体の議員の人達のことは地元の人しかわからないし、、、あ〜もうちょっと魅力があって嘘つきじゃなくて頑張っている人達がいないのかしら、、、と思う。
政権交代ということがマスコミで一番とりあげられた話題だったし、とりあえず変わってみないと何もわからないし、動かないから、時間はかかるかもしれないけれど、そうやってテレビに出ている人たちが喧嘩している間に、もっと「デキル人達」が生まれてほしいし、私の生きている間に、あ〜ほんとうに選挙であの人に投票してよかった!!と思えるような政と庶民の間柄になりたいと念願。
父親の三回忌。2008年に父の骨の一部、ほんのちょこっとを富山の立山の室洞口にまいてそれから一年。今回は一人で行く。
去年よりアルペンルートの入り口は寒くはなく、ビールの500mℓを買って、此処だったであろう、、、という場所で一緒に飲んだ。見事な絶景で、
やっぱり此処まで連れてきてあげてよかったとも思うし、元気なうちに二人で来てみたかったとも思う。やろうと思えば出来たのに、、、正直に言って、
父親より恋で急がしかったり、子供や生活を言い訳にしていて、、。自分が親になってはじめてわかることばかりで、親孝行で奮闘している友人を見るたびに頭が下る。もともと一人は嫌いな人ではなかったけれど、娘と好きな山に登れたらもっと楽しかったはずだ。ともかくも、毎年これからもお酒を持って来るであろう室洞口で、アリガトウを何回もつぶやく。
山から下りて、市内のカプリチョという以前にも唄わせてもらったお店でシークレットライヴをさせてもらう。2年前にこの店で本番の直前に電話が鳴り
父が白血病で倒れたことを知らされた。倒れた割には元気な声を聞かせてくれて、その後の四ヶ月苦しまず、痛がらず、煙のように逝った後に、みんなから
娘孝行なお父さんだね、、と言われたけれど、カプリチョに入ったらあの夜のことが蘇ってきた。そのときの私を知っている人達もいたので、なんとも温かいささやかなお盆ライヴになった。
8月27日から6日間、32年ぶりのニューヨーク旅行がはじまった。
2010年01月14日
2009年8月のこといろいろ
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記