2010年1月10日から始まる2009年7月からの日記です。
日記とは言えません。しかし記録をとどめておくことは私のしておきたいことです。しておきたいのにすっかりしなくなったのは、私の元来のサボリ癖と、
体力気力の弱さです。
言い訳はここまで。
2009年7月はこの数年必ず敢行する長い東北ツアーです。
岩手に住む旅のシンガーソングライターやなぎ君と途中で合流するというのがかたちになっていきました。彼は車で日本中を旅して私よりずっと沢山の場所で唄っている人なので、人との繋がりも沢山あって、彼のおかげで随分といろいろな人に会うことが出来ました。数年前に岩手の自宅が全焼して、仮住まいになって、そして新しい家にまた引っ越して。やなぎ君本人も素晴らしくエネルギッシュだけれども奥さんのみゆきさんはそれ以上にタフ!そして、岩手を旅するときは必ずやなぎ邸に御世話になるのだけれど、ほんとうに人に気を使わせない人たちで、最近は子供達がそれぞれ家を出て行って生活しているから、やなぎ君が自宅にいるときは夫婦水入らずで、これがなかなか素敵。
つかず離れず、しかしお互いをしっかり尊重しあっていて、私は今までに双方の口から相手への愚痴のようなコトバを聴いたことがない。あるようでないのがこういう夫婦。いつもべったりいないほうが良いのかな、、、。横浜っ子の二人が携帯の電波も入らないような北国にやってきて三人の息子を育て、いろいろな苦労をして、私より年下であるけれど尊敬するところがいっぱいある。
似たもの夫婦というけれど、思うに、同じような精神レベルの人間同士でなければ一緒にいられないわけで、みゆきさんにしたって最初はふるさとが恋しかっただろうし、子供達だって都会では考えられないような不自由もあっただろうし、でもそういう不便さや湧き上がってくる不満を、日々の暮らしの中で何か楽しいもの美しいものに転換させてきた現在なのだろうなぁ。
青森で闘病生活をしている高坂一潮さんにやなぎ君と二人で会いに行くのも三回目で、同じ唄うたいという、そして何回か楽しく愉快なツアーをした仲というだけの友人であるけれど、一潮さんに会いに行くことは私にとって「待ってるよ、それまで頑張るからね」という、エネルギーをもらう時間でもある。
宮沢賢治ゆかりの花巻の大きな温泉につれて行ってもらった夜、やなぎ君の家の玄関先でみゆきさんが小さな蛍をみつけてすばやく両手のひらに包んで渡してくれた。蛍をそうやって手にしたのは初めての事で、みんなで、そぉっと歓んだ一瞬だった。絶対に都会では手に入らない贅沢の瞬間。
東北ツアー
一人で唄わせてもらっている八戸の佐々木邸。共子さんという年齢不詳<私よりずっとお姉さんだけれど、私よりずっとカワイイ)がホステス役で、いったい何処で買ってきたの・というようなイブニングドレスのキラキラなのを着て
なんでも東京のシブチカのお店らしい。。。。買いに行くだけでも凄いパワー。ご近所の皆さんが集まる。お互いに元気でいることを褒めあうような会だ。だから私が少し痩せていることを心配して下さる。
佐々木宅の隣にあるのが、明治時代からの旧い旅館「新むつ旅館」此処に泊まらせてもらうのが楽しみの一つでもある。嘗ては楼閣であったという、、それだけでワクワクする場所だけれど、旧くなって修理するために募金運動をしているそうだ。いつまでも此処に在ってほしい。
奥入瀬の「ひめはうす」からはやなぎ君の車で。今回は昼間唄って、夜はひめはうすのオーナーの漆戸さんがセッテングしてくださり十和田市内の「ハミングバード」というお店の二本立てになった。ありがたいことだ。漆戸さんの
なんとか私たちに少しでも、、という気持ちが伝わる。
大好きな夏の奥入瀬渓谷の道を往復する。
ハミングバードの工藤さんも音楽が好きな人なのだと、お店に入ってわかる。
初めての店もドアを開けたときの匂いがあるのだ。映画も好きみたいだ。
そうそうひめはうすの漆戸さんはカメラマンでもあり、私の10月11日のコンサートのフライヤーの写真はこの夜と和田ハミングバードの店の隅で撮ってもらったものだ。私の気に入っている写真のひとつ。
その後、花巻せがわ京染め店、この場所でなければ会えない人達にまた会えた。しかしせがわさんのところで唄わせてもらうと、夜が長い〜〜
みんな豪傑、そしてあまりにもお酒が美味しい!おいしいからうかうかしているとすぐなくなってしまい、私は焼酎が飲めないので日本酒がなくならないように、、、とかなりサモシイ目つきで皆さんの飲みっぷりを眺め、でもまだ旅は続くので一人早めにお休みなさい。翌日は気仙沼のボルセッタ石川という写真館でのライヴ。気仙沼といったらいろいろ食べたいものがあるけれど、ぐっと我慢でやなぎ君と帰宅。
東和町「カフェほうほう」オーナーの溝渕さんとももう6年近いおつきあいになって、もちろんやなぎ君の紹介だったけれど、溝渕さんは昔「新譜ジャーナル」という音楽雑誌の編集にかかわっていたり、サーカスというバンドの仕事をしていたり、つまり東京の人であったのが、奥さんのふるさとで今は地元などのイベントやもちろんお店も奥さんと二人営みながら、毎日唄っている方で
今年も御世話になった。お客さんは少なかったけれど、終わってから音楽の話をしながらささやかに振舞われるご馳走をいただくのは、ただ騒ぐだけの打ち上げとはまた違い、ふっとアイディアが浮かんだりもする。
やなぎ君との旅はこの夜で終わり、もう一晩御世話になり宮城に行く。
宮城の栗原市の武田邸もこの数年でずいぶんと御世話になってしまっている。
何しろ自宅をお借りしてのライヴ、奥さんが一番大変。
初めての時は気が引けて、申し訳ない思いのほうがあったのに、次の時にはすっかり家族のようにさせてもらって、しかし、奥さんの明美さんも言っていたけれど、「慣れとうのは怖い」そう、そのとおりで、あまりやりすぎても、会いすぎても良くない、適度の距離が必要で、そんな仕切りなおしのようなライヴであったような気がする今年。長男の直人くんの弾くピアノが好きで、なんともいえないα波が醸し出されてくる。彼は無口だから音に込められた何かが響いてくるのかも、、。そして栗原家ライヴではスペシャルなことは、私のゴリゴリの体を丁寧にマッサージしてくださる峰子さんという素晴らしい女性がお客さんとしていらしてくれる。ケアマネージャーとしてのキャリアをもってバリバリと栗原家の妻殿同様に働いていて、さぞかし自分自身が疲れているはずなのに、私は我儘にも彼女の癒しの手を待ち構えている。
唄い終わってみんなさんが良い気分になっているスキに化粧を落とし、二階のベッドで峰子さんのマッサージを受ける。至福の瞬間、、、というのも、触ってもらって何分も経たないうちに私は夢の中だったのだ。その後、東京の10月11日の新大久保のコンサートにその峰子さんがいらしてくださっていて挨拶されたのだけれど、まさか宮城から?予約もなしで?と咄嗟のことで、そのままお礼も言っていなくて、ずっと気になっていた。この覚書を書きながら
武田さんにたった今電話してそのことを話したところ。
東北ツアー最後は、盛岡。盛岡はあの懐かしいフォークジャンボリーの印象が刻み付けられている。あの時は一潮さんも元気だったし、中川五郎さん、斉藤哲夫さん、三上寛さん、シバさん、そして地元のアーティストの人たちも沢山いて知り合いになった。
去年はよしだかずおさんというおなじ「よしだ」で七夕ライヴだった。
今回は「カコちゃん」と一緒に唄った。カコちゃんはタクシーの運転手をしていて大きな体に優しい心、場所は昔は八百屋さんであったという文化財にも指定されている建物で、板張りの床はひんやりとしているのだけれど、クーラーがないのでみんなお客さんは団扇を持って聴いてくださる。音響はいつもの
櫻井夫妻、櫻井さんの音の録り方は独特で、マイクも素晴らしいのでリハーサルはほとんどお任せになっている。
水の都と言われているように、街のいろいろな場所に水場があり、今でも共同で使われている。八戸の旅館もそうだけれど、旧くて善いものをきちんと残すにはお金も必要だけれど、人の心根が荒れてくると街も変わる。鶏とたまごではないけれど、バランスというのが大切で一番難しい道なのかしら、、、と、
移動しながら通り過ぎる景色を心に焼き付けながら。。。。
2010年01月10日
さてさて私の記憶が正しければ、、、、
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記