河合塾という全国展開している予備校の京都校の特別授業で唄わせてもらった。
生徒さんたちには受験勉強の時間じゃないわけだから土曜日の夕方にわざわざ唄を聴きに、それも今時の流行のアーティストならともかくも、名も知れぬ自分の親より年取っているオバサンの唄,、、どんなことになるやら、、、。
しかしそれでも10人以上の若者と、昔若者のだった方々が同じくらい集まってくださり、一時間半の「授業」が始まった。
不思議なもので、教壇に立っているとそんな経験が無くてもなんとなく「センセイ」みたいな気分になってくる、、、コワイコワイ、、「センセイ」にはならないぞ!選曲は普段より硬かったかな、、でもいつもどおりにお喋りもした。ちょうど画家の春日hるなさんから彼女のブログ日記が届いて、その中の「青年」という詩と「広い島」というのも朗読させてもらった。
私が彼等の歳の頃には、50過ぎてギター抱えて唄って喋ってくれる人はいなかった。ちょっと年上にちょっと自分よりも音楽や文学や社会のことを知っているお兄さんやお姉さんがいてそういう人たちが何処其処にくると知れば、家に内緒で遠い道のりかけてコンサート行ったり、喫茶店でそういう人たちの話聞いたりして帰りにレコード屋で教えてもらったばかりの歌い手のレコード買って、古本屋でよくもわからないけれど本も探した。
40年も経つとこんな世の中になるなんて考えてもいなかった。この日来てくれた彼等はそれでも静かに唄を聴いてくれた、はるなさんの詩も聴いてくれた。お金はないところは私たちのあの時代と同じだ、CDを買ってくれはしなかったけれど、話しかけてくれた青年達がいた。来年は東京の大学に行くからまた会おうとか、ローザ・パークスの話をしてくれた女の子もいて、それだけでも嬉しかった。アンケートには殆どの学生達が「日頃、勉強だけの生活でライヴなんて 暇もなかったから息抜きが出来て嬉しかった」という内容。
やっぱり沢山ではなかったけれど良かった。企画してくださった佐々木さんと応援してくださった皆さんありがとう。
佐々木さんとは同い年で、そういう意味ではいわゆる、ちょっと遅れてきた世代としてずっと青春時代から今までその位置を頂いて(世間から?)きて、あの時のお兄さんお姐さん達が続々と還暦、退職、とかいう時代がやってきて、
それこそ、昔は手の届かない存在だったような人達ともあまり年齢のこだわりなく会ったり出来るようになって、面白い。
私にとって古川豪さんというアーティストもそういうお兄さんの存在で、しかもレコードでしか知らないお会いしたことも、生の演奏も聴いたことのない人と一緒のライヴを佐々木さんが翌日、蛸薬師の路地裏のファルーカでやってくださった。
豪さんはバンジョーを弾かれることは知っていたし、好きな曲もあたったけれど、やっぱり本物にお会いするのは嬉しい。昔はツアーもされていたようだけれども、家族のことや、いろいろな考えがあって今はそれほど活動をされていないらしが、滑らかな声で市井の人達のことを歌う「フォーク」の人だ。
そしてバンッジョーのストラミングの美しいこと!これは人前でやっていなくても、日頃触っていなければ出ない音色じゃかいかと思う。滑らかで唄のストーリーに寄り添っていて、商店街の福引の唄も味噌やの唄も紙芝居みているようだ。
京都から帰宅すると早々にメールを頂いた。また何処かでゆったりとご一緒させてもらいたいな。
ファルーカには遠くからも沢山お客さん来てくださった。ありがたい、お店のビールもなくなりそうだった。
2009年06月30日
予備校にて唄い、そして京都の奥深さは路地裏に続く
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記