なんとストィックな名前。。。。岡山にある。旧い旧い佇まい。1階はカフェになっていてカレーが名物。大正12年に建てられ空襲も奇跡的にまぬがれて今に至っているそうな。なんでも大正初期に世の中が不安定不景気になってお酒に走る人達の為に断酒運動の拠点になっていたそうだ。今でも酒害の相談を行っているNPOの集まりもあるそうだ。この建物の二階の小さなホールで毎月コンサートをされ続けているのが、尾崎ツトムさんだ。今回で112回!
アメニモマケズ、カゼニモマケズ、そして集客数にもマケズ、やり続けていらっしゃる。殆ど毎回素晴らしいゲストがあるし、オザキユニットでオザキさんはメインヴォーカルで必ず唄われる。私は今回で二回目。「毎年ではお互いに新鮮でなくなるから2年後くらいに、、」とそんなことをお話していたけれど
前回は2006年の12月だった。岡山近辺にはかなり何度も来ているからそんな長い時間を感じなかったし、尾崎さんやユニットのギタリスト黒瀬さんや、そのまわりの沢山のお友達の方々ともいろんなところで逢っていたからだとおもう。
今回はなんだかはじめに尾崎さんが私のことをいっぱい褒めて下さって、そういうのは嬉しいのだけれど、なんとなく唄う前だとちょっと気負ってしまうんだな、、。あ〜こういうのヘイチャラでいたいんだけれどな、、。だって褒めてもらうのは良いことなんだからな。。。
そう、ちょっと硬い感じで始まってしまったけれど、このコンサートのお客さんはみんな素敵に耳を傾けてくださるから、おかげさまで良い時間がだんだんと出来上がってきた感じだった。前回と同じように「てけてく」という天然酵母のパンやさんの勝部さんがパンとコーヒーを持ってきて、私も赤ん坊の頭くらいの大きさのレーズンパンを買って本番前にかじっていたが、このパンはその後私と共にずっとステージ前の非常食となって一週間付き合ってくれたのだけれど、凄いパワーのパンだった。
ステージが終わり、撤収もすばやい。そして二次会。
禁酒會館では出来ない打ち上げ。前回も連れていっていただいた鰻がメインのお店なのだけれど、鰻は食べない。高級な鰻らしい。そうしたらマスターが
「このグループはいつも此処に来て鰻を頼まない」というので、私が白いご飯にタレだけかけて食べてみたいです(昔、子供に今夜は鰻だよと言ってこうしていたのだ)とお願いしたら、なんと本物の肉厚のウナギの白焼きがドサっと出てきてしまった。皆さんに散財かけてしまった、、、。ごちそうさまでした。
翌日は四国の愛媛の伊予市に渡らなくてはならないので早めにお開きになったのだが、その翌日愛媛まで尾崎語夫妻が車で送ってくださるという。
土曜日だから瀬戸大橋もしまなみ海道も¥1000だし、、と。ありがたいけれど申し訳ないと言ったら、しまなみ海道渡ってみたいから、、というなんとも豊かな理由。翌朝は尾崎さんのお姉さんまでご一緒で、まずは瀬戸大橋を渡る。瀬戸大橋はフェンスが続いていて絶景ではないけれど、やっぱり本州から四国に渡る感覚はいつも特別な気持ちになる。ドライヴはノンビリと楽しかった、、で終わらないところがヤッパリだ!四国に行くと必ず何か起こるのだ。
そのことは忘れてはいなかったけれど、実は私たちは大変な忘れ物をしていたのだ。私のツアー用のCDの詰まったダンボールが尾崎邸の玄関先に置かれているようなのだ。もうすぐそこは伊予市。どうやっても間に合わない!が!
私のCD達は気がついてから数十分でなんとベンツに乗って瀬戸大橋を渡り、私が伊予市町屋で唄い終わる寸前に届いたのだ。届けてくださったのはいつもフォークジャンボリーや禁酒會館ライヴでお客さんなのにいろいろ働いている住友さんだ。なんという大掛かりな四国参りになってしまったのか、、。
「町屋で唄うのまでお付き合いは結構ですよ」なんて尾崎さんに言っておきながら結局PAまでセッティングしてもらって、奥さんもお姉さんもずっとお客さんになってもらって、最後は笑顔で住友さんが「よかったよかった」と言ってすぐにまた岡山に帰られて。
御世話になりっぱなし〜でスタートをした6月のツアー初日から翌日までの顛末。