このホールでこうやって年に一度の東京での自分企画のコンサートを行うのはこれで二回目。2008年は「地球に似た惑星にいるあなたに」の発売記念ライヴということで、レコーディングメンバーの近藤達郎さん、松永孝義さん、永原元さん、そして大野えりさんという豪華なバンドスタイルでスタッフの方々も手弁当に近いかたちで、賑やかに、そしてお客さんも本当によくぞ来ていただいた!と、そらはそれははじめてのホールコンサートだった。
今回も「She said NO!」の発売に近い日を選び、初めはバンドのかたちにしようか、はたまた編成を小さくして、たとえばドラムだけとか、、いろいろ悩んだ。そこにレイチェルさんのスケジュールが重なって、それならば私自身は一人、そして彼女も一人、というとてもシンプルでしかしとても難しいプログラムを決めた。
私が何より初めにしなくてはいけない準備はその日にお客さんにきていただくこと。皆さん早くから予約していただいたり、10枚、20枚と友人の方々にチケットを売ってくださったりで、しかし当日まで無事故でその場にお客さんが集まってくださる事を祈りながらいた。さまざまなアクシデントもあったけれど、それも勉強だったし、主催が自分なのだから全ては自分の責任であることで、日常各地で主催してくださったり、企画してくださったり、お客さんに声をかけてくださる方々の苦労を改めて感謝した。
主催は自分でも、ひとつのコンサートはお客さんとそして陰で数え切れない人たちに支えられて出来上がる。
2回目のR'sアートコートのステージに上がった瞬間に、様々な想いが溢れてきた。照明のあたったステージからは客席が見えにくいのだけれど、そこには確かにそういう一人ひとりの想いが席を埋めているのがわかる。
「アリガトウよしだよしこウタウ」というタイトルのように唄わせてもらえばよかった。
一部は私一人で新しいアルバムの曲を中心に唄った。しかし、これはもう反省しても仕切れないのだが、二部でのレイチェルさんとの事やそれまでの実務や
その他諸々の人間関係の事などで、どうしても集中できないまま唄ってしまった曲があった。録音をしているということも意識してしまっていた。せっかくの「アリガトウ」なのに、自分のことで頭がいっぱいになってしまった瞬間が何度もあった。本当に申し訳ないと思えばおもうほどおかしくなるもので、
言い訳しないステージを心してきたくせに。。。。一部の最後には「今夜彼女は台所を棄てた」をやり直す始末。まだまだだ、ほんとにまだまだだな。
せっかくこんなに沢山の方々が集まってくださったのに、悔しかった。
しかし、考えている時間はなく二部がはじまった。私が「ライディングハイ」をダルシマで唄ってレイチェルさんを呼び込んだ。彼女は少し緊張気味だったけれど、それでも持ち前の声の響きとリズムは、彼女のファンの人たちには喜んでもらえたはずで、ただ通訳をお願いした朝倉晴子さんには、事前の打ち合わせが少なかったことで随分苦労をさせてしまった。二部は殆どレイチェルナンバーで、最後に私が「She said NO!」を唄って終わった。アンコールは決めていなかったのだけれど、咄嗟に私がレイチェルさんに「Water is wide??」と言ったら「OK!]ということでぶっつけ本番の英語と日本語のデュエットが出来た。これは嬉しかった!
彼女も100枚ほどの「Wind song」というアルバム(これは20年前に録音したレコードを最近リマスターしたもので、とても音が良く、私の唄っている「道ばたでおぼえた唄」と同じメロディーのDaggerDanceという曲も入っていて、ステージが終わってからは彼女のこのアルバムを沢山買ってくださった方々があってとても嬉しかった。それに加えて私自身のアルバムまで買ってくださる方が半分以上だったので、これは大変なこと!言葉にならない!
レイチェルさんを昔から聴いていた方々は当時のレコードを持って彼女のところで写真を撮ったり。そういうことが実現できたことは成功だったし、事故のようなことも起きないで大きな一日が終わった。
この日にしたことは、良いところも悪いところも含めてこの日の事であるから
とにかく翌日もあるツアーのために私とレイチェルさんは、打ち上げもせずにホテルに戻った。
ただ、毎年一度の東京のライヴは、やはり「よしだよしこ」の軸がぶれていてはお客さんに申し訳ないと、一人ホテルにてもう一度反省。。。。
しかし、私が誘わなければ多分こういう形のコンサートでレイチェル・ファロが唄うということは日本で無かったかもしれない。これは私の挑戦でもあった。
挑戦に伴うリスクも私が抱えて、新たな力にさせてもらうのだ。
ツアーの途中で遠方から来てくださった方と電話をした時に言われた。
映画「ソング・キャッチャー」のシーンを思い浮かべた。。と。
私のダイスキな映画のひとつだけれども、私もレイチェルさんも根っこに同じような「唄」の力を追い求め続けていく精神を大切にしていることだけは確かなことで、彼女の誠実さは言葉を超えてこの日会場に来てくださった方々に少しでも伝わったのなら幸いだ。
大きなコンサートを背負うだけのチカラをつけるぞ!
2010年02月21日
Rachel Faroとの日々2009年10月
レイチェルさんと31年ぶりの再会は2009年8月、ニューヨークの彼女のお母さんのお宅であったけれど、再会というのは私の一方的な感覚であって、
私は1977年のグリニッジ・ヴィレッジのコーヒーハウスのマイクを隔てての観客としてであって、彼女にとってはこのお母さんのお宅で私とはじめて会ったのだった。
そして、そのときの約束どおりレイチェルさんは日本に来た。長いフライトの後はまずは一人になってゆっくりとした時間が必要だ。私のように国内を移動していても、空港から駅から直接会場に入ってすぐに人と話し、すぐ唄うというのは近郊ならよくあるけれども、遠いところではまずホテルなり、どこかのお宅なりで一息するととても助かる。
一晩ゆっくりと成田のホテルで休んでもらって、東京に移動してもらう事にしていた。私は車を運転しないので、今回のコンサートの企画運営のお手伝いをしてくださるディーシー・フォルテの社長、小日向さんにお願いした。小日向さんは私の「地球に似た惑星にいるあなたに」と「She said NO!」2枚のアルバムの制作にも携わって下さった。そして心強かったのは小日向さんが
大学で英文科にいたという事。しかし!小日向さん「僕、筆記はOKだけれど喋るのイヤ」という。なんと!あてにしていたのに、、、。わかっている人ほどそうなのかもしれない。ともあれ成田ヒルトンの豪華なテラスでレイチェルさんを待っていると、ゆったりと、そして静かな微笑みで階上から降りてきた。
アメリカンな大げさな身振りも喋り方でもない、お互いに日本式にお辞儀の挨拶をしてお茶を飲んで、それでもやっぱり疲れているのはわかる。そしてものすごく大きなトランクとギターとバッグ。全てを積み込みいざ出発。彼女にとって20数年ぶりの日本の景色を車中から感慨深げに眺めていた。
そして大問題発生!「トンネルは通らないでね!」なんで〜?とにかく彼女は
閉所恐怖があって、狭いエレベーター、そして特にトンネルは死んでもゴメンなのだそうで、しかし首都高速道に入ったら必ずあるトンネル。。。。
汗をかく小日向さん。。。しかたなく途中で高速を降りる。無事に四谷のホテルに到着。ホテルでもエレベーターのチェック。彼女一人が階段を使う。
そして部屋へ。。「狭い、、、、」の一言。私の必死の説得。。ここが一番会場に近くて、値段のわりに良い部屋であること、私達のこれからのツアーは決して豪華には出来ないことを喋った。この夜は彼女一人になるので、明日早い時間から私もこのホテルに泊まってずっと一緒だから。。と納得してもらい
私は帰宅。
夜遅くレイチェルさんからのメール。「ホテルは気に入ったし、夕食は隣にあるAMPMでウドンを買って部屋で食べてとても落ち着いている、ありがとう。」
さすが!
翌日、私はこれから始まるツアーの全ての荷物を持ってホテルへ。
ゴキゲンのレイチェルさんとのリハーサルは彼女の部屋で。しかしリハというほどのものではなくて、曲目を決めて簡単に一緒に唄っただけ。明日本番だよ〜〜、でもお腹空いたよね、、ということで荒木町の小さな居酒屋ではじめての二人だけの食事。。。沈黙の時間が多いけれど、しょうがない、とにかく自分のプライヴェートなことなど話していくうちに、彼女もいろいろ話してくれた。少しずつ距離が近くなって冗談も出る。ガールズトークも出る!
明日の時間の確認をして<昼間のコンサートは入りが早い)オヤスミナサイ。
エレベーターは慣れたみたいで、「ヨシコの部屋も見せてよ」と言って同じサイズの部屋で納得。
翌日朝食のバイキングに和食があって歓んでいた。
さぁ、コンサート!一緒に会場のR'sアートコートに行きましょうね!と部屋から電話すると、私はゆっくりしたいから後で行く????誰がお迎えに??? しかしこれもよくわかる。彼女はゲストなのだから、長い時間ホールで過ごして本番疲れることを知っている。小日向さんにお迎えをお願いして
昼前に私のリハーサル。音響は前回も同じホールでお願いした加納厚さん。
私もレイチェルさんも全て楽器はマイク録りだから加納さんはマイクを沢山持ってきてくれた。特にダルシマにつける小さなコンデンサーマイクはとても私は気に入っている。レイチェルさんはピアノも弾くから、ホールの横尾さんはじめ照明の加納組(PAと照明さん同姓、当日は親方の加納さんは来れずに若い人たちが3人も!)の皆さんなど総出でピアノの移動
客席つくりが始まった。録音もするのでこれは「地球に似た、、」のときにマスタリングをしてもらった加藤さん。そして小日向さんが映像を撮る方々三名を頼んでくださり、プロフェッショナルの仕事に私は身を預けてサウンドチェックをゆったりと出来た。一人で唄うからチェックは早く終わったけれど、レイチェルさんがまだ来ない。開場まで一時間。。。。私はお化粧も終わり、お弁当を食べ始める頃、到着。彼女のリハーサルはあっというまだった。しかし
一緒に唄う曲もあるので私はちょっとハラハラ、、、。しかしこのレイチェルさんの余裕とOFFとONの切り替えは学ぶところ。決して手を抜いているわけではないし、緊張感ははっきりと伝わってくる。楽屋に大野えりちゃんがスターバックスのコーヒーを差し入れてくれる。スターバックスはインターナショナル。それはレイチェルさんにとってもホッとするアイテム。よりこちゃんも私の衣装着替えや気分転換のために付き添ってくれてレイチェルさんとも気軽に話してくれている。助かる、そうでなくてもホールの受付では今頃お客さんがそろそろ入り始めて全スタッフが戦争状態のはず。
この僅かだけれど凝縮された本番前の時間は、何度味わっても特別だ。もうベルが鳴ったらあったのかも忘れてしまうこの時間。
最初のベルが鳴る。小日向さんから大入りのことづけとともに二回目のベル。
スタバのコーヒーを飲んでいるレイチェルさんに「See You♪」
真っ暗なステージに上がる。
私は1977年のグリニッジ・ヴィレッジのコーヒーハウスのマイクを隔てての観客としてであって、彼女にとってはこのお母さんのお宅で私とはじめて会ったのだった。
そして、そのときの約束どおりレイチェルさんは日本に来た。長いフライトの後はまずは一人になってゆっくりとした時間が必要だ。私のように国内を移動していても、空港から駅から直接会場に入ってすぐに人と話し、すぐ唄うというのは近郊ならよくあるけれども、遠いところではまずホテルなり、どこかのお宅なりで一息するととても助かる。
一晩ゆっくりと成田のホテルで休んでもらって、東京に移動してもらう事にしていた。私は車を運転しないので、今回のコンサートの企画運営のお手伝いをしてくださるディーシー・フォルテの社長、小日向さんにお願いした。小日向さんは私の「地球に似た惑星にいるあなたに」と「She said NO!」2枚のアルバムの制作にも携わって下さった。そして心強かったのは小日向さんが
大学で英文科にいたという事。しかし!小日向さん「僕、筆記はOKだけれど喋るのイヤ」という。なんと!あてにしていたのに、、、。わかっている人ほどそうなのかもしれない。ともあれ成田ヒルトンの豪華なテラスでレイチェルさんを待っていると、ゆったりと、そして静かな微笑みで階上から降りてきた。
アメリカンな大げさな身振りも喋り方でもない、お互いに日本式にお辞儀の挨拶をしてお茶を飲んで、それでもやっぱり疲れているのはわかる。そしてものすごく大きなトランクとギターとバッグ。全てを積み込みいざ出発。彼女にとって20数年ぶりの日本の景色を車中から感慨深げに眺めていた。
そして大問題発生!「トンネルは通らないでね!」なんで〜?とにかく彼女は
閉所恐怖があって、狭いエレベーター、そして特にトンネルは死んでもゴメンなのだそうで、しかし首都高速道に入ったら必ずあるトンネル。。。。
汗をかく小日向さん。。。しかたなく途中で高速を降りる。無事に四谷のホテルに到着。ホテルでもエレベーターのチェック。彼女一人が階段を使う。
そして部屋へ。。「狭い、、、、」の一言。私の必死の説得。。ここが一番会場に近くて、値段のわりに良い部屋であること、私達のこれからのツアーは決して豪華には出来ないことを喋った。この夜は彼女一人になるので、明日早い時間から私もこのホテルに泊まってずっと一緒だから。。と納得してもらい
私は帰宅。
夜遅くレイチェルさんからのメール。「ホテルは気に入ったし、夕食は隣にあるAMPMでウドンを買って部屋で食べてとても落ち着いている、ありがとう。」
さすが!
翌日、私はこれから始まるツアーの全ての荷物を持ってホテルへ。
ゴキゲンのレイチェルさんとのリハーサルは彼女の部屋で。しかしリハというほどのものではなくて、曲目を決めて簡単に一緒に唄っただけ。明日本番だよ〜〜、でもお腹空いたよね、、ということで荒木町の小さな居酒屋ではじめての二人だけの食事。。。沈黙の時間が多いけれど、しょうがない、とにかく自分のプライヴェートなことなど話していくうちに、彼女もいろいろ話してくれた。少しずつ距離が近くなって冗談も出る。ガールズトークも出る!
明日の時間の確認をして<昼間のコンサートは入りが早い)オヤスミナサイ。
エレベーターは慣れたみたいで、「ヨシコの部屋も見せてよ」と言って同じサイズの部屋で納得。
翌日朝食のバイキングに和食があって歓んでいた。
さぁ、コンサート!一緒に会場のR'sアートコートに行きましょうね!と部屋から電話すると、私はゆっくりしたいから後で行く????誰がお迎えに??? しかしこれもよくわかる。彼女はゲストなのだから、長い時間ホールで過ごして本番疲れることを知っている。小日向さんにお迎えをお願いして
昼前に私のリハーサル。音響は前回も同じホールでお願いした加納厚さん。
私もレイチェルさんも全て楽器はマイク録りだから加納さんはマイクを沢山持ってきてくれた。特にダルシマにつける小さなコンデンサーマイクはとても私は気に入っている。レイチェルさんはピアノも弾くから、ホールの横尾さんはじめ照明の加納組(PAと照明さん同姓、当日は親方の加納さんは来れずに若い人たちが3人も!)の皆さんなど総出でピアノの移動
客席つくりが始まった。録音もするのでこれは「地球に似た、、」のときにマスタリングをしてもらった加藤さん。そして小日向さんが映像を撮る方々三名を頼んでくださり、プロフェッショナルの仕事に私は身を預けてサウンドチェックをゆったりと出来た。一人で唄うからチェックは早く終わったけれど、レイチェルさんがまだ来ない。開場まで一時間。。。。私はお化粧も終わり、お弁当を食べ始める頃、到着。彼女のリハーサルはあっというまだった。しかし
一緒に唄う曲もあるので私はちょっとハラハラ、、、。しかしこのレイチェルさんの余裕とOFFとONの切り替えは学ぶところ。決して手を抜いているわけではないし、緊張感ははっきりと伝わってくる。楽屋に大野えりちゃんがスターバックスのコーヒーを差し入れてくれる。スターバックスはインターナショナル。それはレイチェルさんにとってもホッとするアイテム。よりこちゃんも私の衣装着替えや気分転換のために付き添ってくれてレイチェルさんとも気軽に話してくれている。助かる、そうでなくてもホールの受付では今頃お客さんがそろそろ入り始めて全スタッフが戦争状態のはず。
この僅かだけれど凝縮された本番前の時間は、何度味わっても特別だ。もうベルが鳴ったらあったのかも忘れてしまうこの時間。
最初のベルが鳴る。小日向さんから大入りのことづけとともに二回目のベル。
スタバのコーヒーを飲んでいるレイチェルさんに「See You♪」
真っ暗なステージに上がる。