2010年01月16日

2009年9月のこと半分

NYから帰って、暫く休養。ってずっと休養じゃない??と思われるかもしれないのだけれど、水面下では毎日、秋のコンサートの準備のための打ち合わせやら、後半期のスケジュールを決めたり、じっとはしていなかった。。。のだが、どうも一日中眠たい。。かなり強力な時差ボケに襲われて2週間ほど苦しんだ。
その間、博多「金太郎」にて岩切みきよしさんとのライヴ。博多には息子がいるので、到着してから息子の通う学校へ。学校の先生と息子と三者面談。
会っていないうちに彼は20歳になっていて、しかし、親子というのは面と向かうとなんてじれったいのだろう、、、。でもメールしても電話してもわからない顔色とか、目つきとか、やっぱり会う事が大事で、来年卒業の後のことを話そうと親も学校も思うのだけれど、今夜の予定のほうが彼にとってはずっと大事!
この息子という人が私のところに来てくれてから20年、どれほどいろんなことを教えてくれたことろう。。。自分の二十歳を思い出したら寒気がする。
親がそばにいなかったことを良いことに、今の彼の何十倍もアッブナ〜イことばかりやっていたのだから。。。。いまの人たちはクールな人達が多い、、
けれど、アツイおもいも心に秘めているはずで、それは母の祈りと背中にかかっているのを今回の面談でも思い知らされて、どっちが生徒なんだ?

岩切みきよしさんは、偶然にも息子の学校の院長の友人で、そして若い頃お互いにヤマハのポプコンの九州大会で素晴らしい賞を獲得して、プロを目指して東京に出てきたのだそうで。その後二人ともプロ歌手としての夢は実現できなかったのに、院長氏は音楽学校を経営するという、いわば音楽をする人たちを育てるという音楽家になり、岩切さんはなんと、福岡の市会議員となってしまい、しかし「唄う市会議員」というまったくもってころんでもただ起きないオカシナ< 本当に岩切さんのMCはオカシイ)音楽家になって、二人とも夢は現実のものになって進行中なのだ。
金太郎には、いつもの高松さんや、若いけれど私のライヴに来てくれる人や
お店の常連さんが集まって、ライヴがはじまった。
とにかくみんな九州の人は飲む! もういいんじゃない?と思うのだが、まだ飲む、、という人達を知っている。その夜もみんな電車の時間ギリギリまで飲まれて帰っていった。金太郎のマスターはギターが大好きで、かなり値打ちものもあるし、プレイもする、そして奥さんと二人、以前は着物の生地でアンティークアロハを作っていた。マスター&ママというより、音楽やファッションの話をする博多の友人のような関係で、お互いタメぐち。ただ、私は今太郎できちんとご飯を食べたことがないので(なんだかタイミングがなかっただけ)
こんどは遊びにだけ行ってもみたい。

博多から帰り、アールズアートコートにて、音響の加納厚氏、協賛というか当日のマネージャーみたいなことまでお願いしたサウンドフォルテの社長小日向さんそしてホールの横尾さんなどと10月11日の「ありがとう よしだよしこウタウ」の打ち合わせ。
こういうときに一番必要なのは、進行表とセッティング表。進行は出演者が私とレイチェルさんなのでコトバでも足りるのだが、ステージのマイクのセッティングの絵を未だに私はきちんと書けない。。。かなり心配して打ち合わせに行くと、なんと加納厚氏がキッチリと照明さんにもわかるようなものを書いてきてくれた。。。ありがたい。。。あっちゃん、もう私のことお見通しです。
予約の確認、これも自分のHPと労音とふたつでやっているし、当日の人もあるし、少ないスタッフでお客さんが気持ちよくスムーズにホールに入れるように、そして体の不自由な方も無事故であるように、、本番まで一ヶ月をきって
毎日気になることばかりが頭によぎるが、こうやってかずを重ねていくうちに学ぶことも沢山あるし、やはり一年に一度くらいは自分で企画して主催しなければ、陰で尽力してくださる人の気持ちもわからないし、なんといっても時間とお金を使って応援に、私の唄を聴きに、元気な顔を観にきてくださるお客さん友人の気持ちに感謝がうすれていくから、私には大切なコンサートなのだ。

9月19日から三重、神戸、大阪、そして最後は滋賀という丸々一週間の旅が始まる。
三重の「ええかげん」はずっと以前から存在は知っていたけれどなかなか行かせてもらうチャンスがなかった。
今回は、沢山の人たちが出るお祭りだ。3日間かかって続くのだが、私は中日に行かせてもらった。
もう目の前は津の海、そこに葦が沢山目立つ大型の海の家のような木造の建物がある。
いろいろなアーティストが唄いにきている場所だ。
この日も友人も沢山いて、はじめてでもなんだか何処かで会っているような
人たちばかりが、この入り口のドアもはっきりとしていない不思議な空間で唄い演奏し、喋り、飲んでいた。
瀬戸口修氏はお酒を控えているというのでビックリしたけれど、確かに本番の酔っ払っていない瀬戸口さんは新鮮だった!
さかうえけんいちさん、鎌倉研さん、それから私も短時間だったけれど濃密なステージをさせてもらった。いとうたかおさんもゆったりとやっていて、私は客席の畳敷きのところで寝転んで聴いていた。行儀が悪いけれど、みんなそんな感じで聴いていて、でも耳だけは厳しいオーディエンスであるのを知っている。
みんなキャンプするひともいるけれど、私はツアー初日、宿舎をとって海の家を後にしたけれど、また唄わせてもらいたい場所だ!

翌日は、四日市の駅前のフルハウス。これで3回目なのだけれど、今回はちょっと特別な四日市なのだ。
はじめて四日市でうたわせてもらったのは4年前で、それから小川あゆさんと蘭光(らんちゃん)がいつも自前で運転から宿舎<民泊多し)の手配をしてPAからあゆさんの素晴らしいMCまですっかり御世話になっていた。
あゆさんのパートナーらんちゃんが脳の病気で2008年に倒れて、それから春が来て、私は病院のらんちゃんと会った。でもこの人は大丈夫だなぁ、と思った。本人がしっかりしていたし、なんといってもあゆさんはじめ家族や周りの人達に囲まれて孤独でなかったからだ。「また来るね」と言って別れて、
まさかその年の秋にらんちゃんがライヴの客席にいてくれるとは思わなかった。凄く嬉しかった。このフルハウスのライヴがらんちゃんライヴハウスデヴューだったそうで、それも嬉しい。
民泊はドリトル氏宅。いつものメンバーがいつもの場所にいられることがとっても楽しかった。
あゆさんは少し痩せていたけれど、強い人。それを支える素敵な友人たちも素敵だ。一杯だけのビールにゴキゲンのらんちゃん、今度は一緒に演奏したいけどな、オートハープは重いし、マンドリンも大変だし、ウクレレはどうだろう?
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記

電話で英語

爆睡!と思っていたら部屋の電話が鳴った。
RACHEL FARO からだった!
わ〜!はじめて喋った!本物だ!今までメールのやり取り<苦労したな)だけで、とりあえず今回の旅で逢える事になっていたのだ。彼女はゆっくりとした話方で、私にわかるように簡単に用件を伝えてくれた。
まだマイアミにいること。そう、彼女はスタジオや自宅はマイアミなのだ。
NYのお母さんの家でリハーサルと食事をしようということで、場所と電話番号を教えてくれた。とっても忙しいのだそうだ。でもその声は優しくて、私たちが無事にNYに着いたことをとても喜んでくれた。
ともあれ、アメリカに着いてはじめて話す長い英語もゆっくり聴いてくれた。
アメリカ上陸を更に実感して就寝。

翌日、早く目を覚ますとMちゃんも起きてコーヒーを入れていた。部屋はアナログテレビとあんまりお湯の出にくいお風呂という環境なのだけれど、コーヒーマシンだけはあって、掃除に来てくれたメイドさんにチップを奮発して、掃除はいいからコーヒーいっぱい頂戴!みたいに言ってみたら滞在中十分すぎるほどのコーヒーのパックをもらった。やったね!
とにかくホテルの食事は高いから、コーヒーを飲んで外に出る。流行っているのはスープやさんだ。10種類以上あるスープを頼むとパンがオマケで食べられる。滞在中に一番利用したな。$5ちょっと。Mちゃんは甘いものが好きなので、随分ケーキにも挑戦したけれど、これはどれも失敗だった、、、。
スーパーで買ったヤマザキパンみたいなメーカーのバナナマフィンが一番ヒットだった。
昔私が住んでいた西海岸では、ちょうど自然食ブームでなかなか美味しいくて
体にやさしい食べ物を売っているところがそこ此処にあったのに、NYのダウンタウンは安全になったこともあって、観光客用の高い店か、日本でもあるファストフード<世界的にか)が多くて、とにかく歩いて探すしかない。
街を移動してグリニッジ・ヴィレッジのほうまで行ってみた。もちろん地下鉄。昔はトークンというコインを買って乗ったのだが、今はカードになっている。カードを買うのも智恵がいる。乗り換えが難しい。。。って?日本の都会の地下鉄に比べればあまりにも単純だとMちゃん。。そうです私があまりにもわからないのです。。。よく二十歳そこそこで、あの危険な地下鉄に乗ったり、夜中の街を歩いていたもんだ。。。ぞっとするね。

グリーニッジ・ヴィレッジも観光客で溢れていた。そしてそこにある店も完全に変わっていた。でもはっきりと覚えている道の名前は変わっていなくて、どんどん歩いて南下するとそこはかつて毎晩通ったコーヒーハウスやクラブのある一角。KENNY'S CASTAWAYという小さなコーヒーハウスも健在だった。そこで私はいろんなアーティストを聴いた。エリック・アンダースンと再会したし、そしてレイチェルさんをはじめてみたのも此処だ。その日の出演者のリハが始まっていたけれど、なんとなく夜まで待つ気がしなかった。。。必死に新聞スタンドでヴィレッジプレスを探すのだけれど、どこも置いていないか売り切れなのだ。今はネットがあるからなぁ、、。どこか一軒でも音楽を聴いてもよかったのだけれど、そういう気持ちにならない空気。。どっちがかわったのか?
自分?時代と街?
でも、なんとなくあてもなく散歩するということを私たち二人とも普段していなくって、Mちゃんはハイヒールにスーツでカツカツと駆け回っているし、私は重たい荷物を担いでヒーヒー言いながら歩いているから、この抜けるような青空の異国の夏休みを「おなかすいた〜、ねむたい〜、どうしようか〜」と
言いながらブラブラするだけで物凄い贅沢だ。
雨の日が一日あって、ホテル近くの雑貨やさんで可愛いフクロウの絵がいっぱいプリントされた長靴を売っていて、Mちゃんが私にプレゼントしてくれた。
Mちゃんやっぱり可愛い傘の絵のを買って、そのままそこで履き替えて、
MOMAに絵画鑑賞に行く。けっこうみんな私達の足元を見ている。
MOMAには私のダイスキな作家の絵があるはず。アンドリューワイエスのクリスティーヌの絵だ。この近代美術館も物凄い人で溢れていて、なんともビックリしたのだけれど、随分歩いて歩いて登ったり降りたりしてやっと見つけたワイエスの一枚。もう一枚オキーフの絵も探したのだけれど、何処かに出張しているようで探せなかった。でも満足、私が確かに、この絵の前で何時間も過ごしていたことを確認しにきたのだ。

雨が二日続いたけれど、ホテルで休んでは外に出たり、食べてはまた昼ねしたりで週末を過ごし、翌日日曜日、いよいよレイチェルさんと逢うのだ。
お母さんの家というのはマンハッタンのずっと北の非常に高級な場所で、お店も歩いている人たちもちょっと違う。観光客もいない。
説明どおりにバスを乗り継いで行く。私でもわかるNYの道は嬉しい。とにかく道の名前が住所のようになっているから迷子にはならない。
着いてビックリ!すっごく高級なそれも威厳さえ感じる大きなアパートメントで、入り口にはガードマンがいて、何処に行くのかたずねられたけれど、お母さんの名前を知らない、、やっと通じて三越本店みたいなエレベーターで部屋の前に。レイチェルさんが迎えに出てきてくれた。髪の毛は写真で見るよりすっと長くてストレートになっていて、ていねいにお辞儀の挨拶をして招きいれてくれた。まるで集合住宅とは思えない大きな部屋がいくつもあって、一番奥の日当たりの良いリビングに通されて、、、でもお互いになんだか微笑み会うばかりで、、変な感じ、、おかしいけれどしばらくそうだった。
Mちゃんも英語は話せるか?とレイチェルに聴かれて、イヤソノ〜エヘヘ〜みたいなことをどうやって英語で話すのか、、、。
しかし、お土産に持っていったお箸とお箸袋を渡した頃から空気和らぐ。
なんでも、彼女は翌日からカナダのサスカチュアンのチベット仏教の道場のセッションに参加するのに箸が必要だったそうで、この流行のエコ箸は大いに役に立ったようで、お母さんのニーナさんにも渡して大喜びしていた。ニーナさんはクラシックの歌手だったそうだ。
まずは、10月のコンサートの内容と条件の確認。特にホテルのこと、そして費用のこと、なんと電卓まで出てきてシビアな社長会談になった。全て私が招待するわけだけれど、私だったら「お任せします」で終わるのだが、飛行機会社やホテルやその他細々と注文があって「はい、わかりました」という、、。
人間、お互いにこういう真剣な事柄になると、なんとか会話できるものだ。
ひとまずお話終わりで、本題のリハーサルなのだけれど、これは超簡単だったし、なんと彼女のダルシマはちょっと壊れていた。でも一緒に「道端でおぼえた唄」〜DaggarDance」を交互に歌ったときはお互いにちょっと涙が溢れてきた。彼女の心の中はわからないけれど、私がこの場所でこんな風にレイチェルと唄っていることも、これから日本でツアーをすることも想像だにしていなかったのだから、もっと感激してもいいくらいなのだけれど、あまりにも自然の成り行きのように思ったし、レイチェルも何度も信じられないと言いながらも、ずっと昔からの知り合いのようにそばにいた。
翌日早朝にカナダに行くという彼女は荷造りで忙しく、私とMちゃんは、お母さんや従兄弟や若い友人などと簡単にチキンやおつまみでキッチンパーティーになった。
レイチェルが疲れるといけないので、早めに失礼したけれど、帰り際に
「凄いおうちですね」と言ったら、自分も呆れてるみたいなことを言っていて、彼女は一人で子供も育てながら、プロデューサーという仕事もして、マイアミの暮らしはよくわからないけれど、きっと質素な生活なのだろうと想像した。音楽で大金持ちになるのは一握りの人たちだし、一緒に唄っていて、そういう匂いを感じたのだ。もっと深い話ができればわかることもあるだろうけれど、とにもかくにも、このNYでの一番大切なやるべきことをして、豪華アパートのガードマンさんたちにオヤスミナサイを言って、帰りは地下鉄でセントラルパークまで。
残された二日間でなにをしよう?
やっぱりグラウンド・ゼロに行こう!
地下鉄の駅名は「ワールドトレードセンター」まさにビジネス街だ。お昼時に着いたので、多くの人たちがランチを食べに外に出ていた。その街に広大な工事現場がある。外からは何も見えない。フェンスで囲まれているそこには、これからあの出来事を忘れないための大掛かりな施設建物が建設されるのだそうだ。
観光客がいたのは、その近くにある教会の中の展示室。主にそのときの消防士の人達の功績を讃えているものや、日本からの千羽鶴などもあったけれど、とても小さな場所で、きっとこれからつくられる建物はどういうものなのだろうか? 長い時間いたい場所ではなかった。人々は忙しそうだったし、工事の音と車の音がいやに大きく聴こえる場所。

最後の休日、快晴! もう一度グリーニッジヴィレッジやSOHOのほうに行って見ようよ、というわけで、慣れた感じで地下鉄に乗る。
最後にMちゃんにも何かプレゼント、、と思って、路上のアクセサリーやさんで、ピンクの石の指輪を値切って、しかも半分だけカンパというケチくさいプレゼントになっちゃったけれど、喜んでくれて、、すまぬ、、、。
メキシコ料理を食べていなかった!そうそう、アメリカで美味しいのはメキシコ料理で次がチャイニーズだった。ということで、うれしいマンハッタンの南のお洒落な通りに面したメキシコ屋でタコスとエンティラーダを頼んでワインも飲んで、沢山歩いた。
ブロードウェイのミュージカルもブルーノートのライヴも行かなかったけれど
Mちゃんが、カーネギーホールの入り口で笑顔で挨拶するポーズの私の写真を撮ってくれたし、なんといっても良く寝てよく食べ、よく歩き、話して笑って
こんなに体に良いことをしたのはお互いに久しぶりだったのだから、凄く充実していたのだ。
最後のディナーは、ヴェトナム料理屋をみつけたので、チャーハンとを一皿と生春巻き一皿を食べて乾杯。滞在中一番美味しい食事で安くて、だいたい物事はこうやって終わり頃にイイコトがやってくるものだ。

帰りの日。成田の時みたいに座席が変わったらいいね〜なんて話していたけれど、帰りはしっかりエコノミーで、それでもJALのエコノミーはまだまだ捨てたものではない、、。行きよりも短く感じたのは、楽しかった日々の証拠。
お昼過ぎにケネディイ空港を発ったのに、到着はその日の夕方で、時空を飛び越えてちょっと沖縄から帰ったような、、成田から家までのほうがずっと長く感じる。
久しぶりに美味しい玄米のオニギリをいただく。迎えに来てくれたKくんが私達のために作ってくれていたのを成田エキスプレスの中でほうばった。
Mちゃんが「美味しい美味しい」を連発して平らげていて、普段お米をあまり食べない彼女の食べっぷりに嬉しくなった。

7日間の旅、行かせてもらえてよかった! 
NYは不思議な街だ。歩いているだけで嬉しく元気になるのだ。それは昔にも感じたけれど、これだけは変わっていない。小奇麗になってしまった部分もあるけれど、行くところに行けばまだまだ様々な差異があるはずで、今回はおとなしく怖いところに行かなかっただけだけれど、高層ビルが巨大な林のように建っているダウンタウンでも、不思議なことにみあげると空が大きく見えるのだ。
また行きたい病になってしまう街、Mちゃんご夫妻に感謝。
また行こうね。
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記