2009年06月30日

土砂降りのち晴れ

ゲリラ豪雨などという名前がついてしまった最近の突然の大雨。日本全国で起こっているけれど、特に東京のような自然現象に無防備な場所の豪雨は悲惨だ。私は長靴を履くのが好きで、ちょっとでも雨が降ると花柄の緑の長靴を履く。北海道ツアー用には私の靴の中で一番値段の高いゴム長を履く。しかし
都留からの足で降り立った巣鴨、私はパンプス。そして駅の外は土砂降り。
駅で私を待っていてくれたまさえさんと、どうしよう、、となって、なんでも
「手風琴」というお店は駅から3分くらいのところ。でも歩けない、歩けるけれど楽器が濡れてだめになる。なんと徒歩3分をタクシーで豪遊した。このまま降ったら帰りもタクシー?いや、それよりもお客さんはもっと大変。どうか雨が上がりますように。
手風琴というお店、初めてだったけれど、結構いろんなアーティストが唄っていて殆ど知っている人たちで、マスターはとても紳士的で、着いてすぐに音ノチェックをして終わった頃にこの夜を誘ってくれた鎌倉研さんがやってきて、私とまさえさんは近くのエスニック料理屋さんへ。都留で吉田うどんを食べ損なったので麺がいいなぁ、、フォーを頼む。そうこうしているとusagiさんがやってきて3人とも違うフォーを頼んだ。温かいフォーは美味しいのだが、麺がどんどんふやけてきて食べても食べても減らない、だから一生懸命食べなくてはいけないのだ!とお店のマスターに帰りがけに言われた。米の麺も好きだ。
さぁ、鎌倉研さんとは去年「風に吹かれて」で初めて一緒にやらせてもらって以来だけれど、今回はそこに生田敬太郎さんや、瀬戸口修さんが遊びに(すでに出来上がっている二人)来ていて、奥の関係者席はおじさんのはしゃぎ場の状態だった。風にふかれてのときは私が先に唄ったので、今回は順番ということで研さんが先。
45分くらいね〜と言っていたけれどそんなわけは無い、だって研さん目当てのお客さんが殆どで、何か新曲ならぬ新ネタを楽しみにしているのだ。
何度か研さんとは会っているし、そのキャラクターも知っている、初めのころは「ネタ」で笑わないように我慢していた、、、というか彼の本当の優しさを私が理解していなかったのだなぁ、、とまた改めて思い知らされた夜になったのだ。
1時間ちょっと、唄はオリジナルもそして友達の唄も、それから上質の歌謡曲も全部で6曲?くらい?彼の場合は話しの合間に唄がある。
その話は、やっぱり我慢していても普通にとってもオカシイ!笑っちゃう!
彼でしか出来ないエンターテイメントなのだ。
どうしてもムツカシイ顔して唄うイメージとそういう空気の店と、そういう歴史のなかで『せま〜い世界』で育ってきて大きくなって、なんだか若い頃より子供になっていく私たちはどんどんこだわりがなくなってきて、良いもの、本物の枠もスッゴクひろ〜くなってきて、そしてこの夜の鎌倉研さんはやっぱり私が逆立ちしても考えられないギャグでお客さんを楽しませていた。もちろん大笑いした私。
二瓶さんというサックスプレイヤーの方がいらしていたので、私は「Cheek toCheek」に参加してもらい、「今夜彼女は台所を棄てた」と「She said NO!]には敬太郎さんのハープをお願いし(すっごかった♪)
最後は瀬戸口さんもみんなもでステージはいっぱいになって『風景」を唄った。満員のお客さん。ゴキゲンのセッション、豪華版!
そしてお客さんがお店を出る時には、一時的に雨はやんでいたのが何より嬉しかった。
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記

山梨の緑の中で

中央線で新宿から1時間、大月の駅に高部さんが迎えにきてくれる。
これで四回目の都留でのライヴ。
最初は高部邸が改築されたのでそのお祝いライヴだった。それから町のお店で、そして去年は元ちゃんのタイコも入ってまた高部邸にて。高部さん(今は邦広さんなので邦ちゃんと呼ぶこともあるが)とは、甲府のハーパーズミルというカレー屋さんでマスターの坂田さんは今では有名なギターつくりさんでもあるその場所で私が唄ったときに会って以来だから、もう6年目になる。
都留でもと言ってもらって、だいたいゆっくりと高部邸にて休んでゆったり唄わせてもらって、それから結構若い地域の人達と打ち上げを楽しみ、夜はシーンとした高部邸の和室に御世話になり、翌日、お母さんの手作りのお味噌で和えた畑のキューリや梅干や自家米をいただいて、それでも帰りには「吉田饂飩」〜これはなかなかウドンと表現するには難しいくらい個性のある麺でその吉田うどんの有名店(美味しいところ)で〆て帰るというのがパターンになっていた。
今回は、いつも聴きに来てくれている写真やさんの伊藤さんのお店が素敵なスタジオになったということで、まずそのスタジオで昼間のライヴ。女性に優しい時間帯。明るいスタジオ。短めででもいいよと言われたけれど、やっぱり2時間近く唄わせてもらい、終わったのは6時近く。この場所は、素敵なソファやテーブルがあって、コーヒーも美味しくて、近所の人がひょっこり立ち寄れるサロンみたいになっている感じがした。地元に育った人がお嫁さんを連れてきて故郷で頑張って、楽しんで、、、お嫁さんたちもこれがみんな元気で明るい!!いろいろ苦労は絶えないはずだけれど、仲良しを沢山つくることは大切なことだ。邦ちゃんもそういう仲間の中心的存在でこの地域で頑張っている。
伊藤家のママがちゃちゃっとパスタやレタス巻きを作ってくださる。子供たちもやってきて今夜の晩御飯になる。ご馳走様!韓国味噌の話になったかと思うとフェァリーカード(占いカードのひとつ、私はこれ好き、前向きで)のはなしに飛んで行くお嫁さんパワーも大好き。

さて今回は凄いのだ、夜の部があり、それは街中のBar「アクアヴィータ」
このお店も隠れ家のようにビルの一番奥にあるのだけれど、木の床が気持ちよい。小さなお店一杯にお客さん。なかなか静か。。。でも最後は「Yhey」やった!音楽が好きな人が集まってくれた。企画をお願いして自分が行くのは簡単なことだけれど、お客さんを集めるのは並大抵のことではないのだ。そういう苦労をしてくださる方が無かったら私など旅は出来ないし、やったとしても悲惨な夜の連続だ。なかには義理で来てくださる方もあるだろう、、でもそれこそ呼んでいる人は気を遣わねばならない。
今回の一日二回の都留のライヴは、高部さんが自分で納得する人たちに声をかけてくれているのがわかった。
そういうライヴは後味がよいのだ。感謝だ。

翌日、大月駅で高部さんと電車がくるまでお茶をいただき「吉田さん、アリガトウの反対語なんだと思う?」  単語と考えるとなにになる?
「あのね、アタリマエ」 本当だほんとう。そうなんだよ。
世の中は「ありがとう」で出来ている。

たった一日一晩だけの旅行は、さりげなく優しい働き者の人達との時間だった。

中央線に乗ると、すぐに電車がとまった。小金井のあたりで人身事故だという。1時間遅れで新宿に着く。こういう事故がアタリマエの都会のホームに降りて、夜にうたわせてもらう巣鴨に向う。
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記

予備校にて唄い、そして京都の奥深さは路地裏に続く

河合塾という全国展開している予備校の京都校の特別授業で唄わせてもらった。
生徒さんたちには受験勉強の時間じゃないわけだから土曜日の夕方にわざわざ唄を聴きに、それも今時の流行のアーティストならともかくも、名も知れぬ自分の親より年取っているオバサンの唄,、、どんなことになるやら、、、。
しかしそれでも10人以上の若者と、昔若者のだった方々が同じくらい集まってくださり、一時間半の「授業」が始まった。
不思議なもので、教壇に立っているとそんな経験が無くてもなんとなく「センセイ」みたいな気分になってくる、、、コワイコワイ、、「センセイ」にはならないぞ!選曲は普段より硬かったかな、、でもいつもどおりにお喋りもした。ちょうど画家の春日hるなさんから彼女のブログ日記が届いて、その中の「青年」という詩と「広い島」というのも朗読させてもらった。
私が彼等の歳の頃には、50過ぎてギター抱えて唄って喋ってくれる人はいなかった。ちょっと年上にちょっと自分よりも音楽や文学や社会のことを知っているお兄さんやお姉さんがいてそういう人たちが何処其処にくると知れば、家に内緒で遠い道のりかけてコンサート行ったり、喫茶店でそういう人たちの話聞いたりして帰りにレコード屋で教えてもらったばかりの歌い手のレコード買って、古本屋でよくもわからないけれど本も探した。
40年も経つとこんな世の中になるなんて考えてもいなかった。この日来てくれた彼等はそれでも静かに唄を聴いてくれた、はるなさんの詩も聴いてくれた。お金はないところは私たちのあの時代と同じだ、CDを買ってくれはしなかったけれど、話しかけてくれた青年達がいた。来年は東京の大学に行くからまた会おうとか、ローザ・パークスの話をしてくれた女の子もいて、それだけでも嬉しかった。アンケートには殆どの学生達が「日頃、勉強だけの生活でライヴなんて 暇もなかったから息抜きが出来て嬉しかった」という内容。
やっぱり沢山ではなかったけれど良かった。企画してくださった佐々木さんと応援してくださった皆さんありがとう。
佐々木さんとは同い年で、そういう意味ではいわゆる、ちょっと遅れてきた世代としてずっと青春時代から今までその位置を頂いて(世間から?)きて、あの時のお兄さんお姐さん達が続々と還暦、退職、とかいう時代がやってきて、
それこそ、昔は手の届かない存在だったような人達ともあまり年齢のこだわりなく会ったり出来るようになって、面白い。
私にとって古川豪さんというアーティストもそういうお兄さんの存在で、しかもレコードでしか知らないお会いしたことも、生の演奏も聴いたことのない人と一緒のライヴを佐々木さんが翌日、蛸薬師の路地裏のファルーカでやってくださった。
豪さんはバンジョーを弾かれることは知っていたし、好きな曲もあたったけれど、やっぱり本物にお会いするのは嬉しい。昔はツアーもされていたようだけれども、家族のことや、いろいろな考えがあって今はそれほど活動をされていないらしが、滑らかな声で市井の人達のことを歌う「フォーク」の人だ。
そしてバンッジョーのストラミングの美しいこと!これは人前でやっていなくても、日頃触っていなければ出ない音色じゃかいかと思う。滑らかで唄のストーリーに寄り添っていて、商店街の福引の唄も味噌やの唄も紙芝居みているようだ。
京都から帰宅すると早々にメールを頂いた。また何処かでゆったりとご一緒させてもらいたいな。
ファルーカには遠くからも沢山お客さん来てくださった。ありがたい、お店のビールもなくなりそうだった。
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記