2009年04月29日

四月の締めくくりは金沢

どういうわけか、4月の半ば頃に金沢に行くようになってしまった。
「もっきりや」という店は私の20歳頃の魔法のような日々の中に登場する場所。金沢には本当によく行った。仕事でなくても遊びに行った。でも、その頃の「もっきりや」はJAZZのお店という敷居の高い雰囲気があったけれど、それでも何かと打ち上げの時に連れて行ってもらっていた。
時が流れて、またこうやって金沢に来れるようになって、昔の友達に沢山会えるようになって5年。
その間に、大切な友人が亡くなってしまったり、4年前の4月18日、はじめて「もっきりや」で唄う日の朝、渡さんの訃報が届いたり、大好きな街は私にこんなに年月をかけても木っても切れない処にさせようとしているみたいだ。
小杉由美子ちゃん(元マザーグース)には、行くたびにお世話になる。
今回は彼女の都合で、ジョイントは出来なかった。みんなこの歳になると、親のことや、子供のこと、自分だけの都合で動けなくなってしまう。由美ちゃんも忙しい中、駅まで迎えに来てくれて、もっきりやではお客さんになってくれて、、、。  いつか彼女とは短くてもいいからツアーをしてみたいね、、と話している。
土砂降りの雨だったけれど、唄い始めたら雨がやんだ。しかしお客さんは少なくって、でもそれがまたなんとも贅沢(唄うほうも、聴くほうも)な時間で。マスターの平賀さんも真正面の客席で一曲一曲うなずいたりしながら楽しんでもらえた。
私のことを小学5年生の頃知って、「泉谷しげる登場」という泉谷さんのデビューアルバムでギターを弾いていた私を覚えていたという人もいたりで、やっぱり金沢は私のふるさとのひとつ。
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記

2009年04月28日

飯田「ふぉの」

中津川の三日目の朝、それぞれがホテルからそれぞれの場所にと解散していく。
たぐちおさむさんが私を飯田まで送ってくださる。車だと4〜50分なのだという。
たぐちさんと車の中でいろいろな話をしていて、たぐちさんが出版しようとしてもうすぐ完成する、オキナワの片手の三線弾きの金城繁さんのCDブックのことも聞いた。
旅終わって昨日、その完成品が家に届けられた。まだお礼を言っていない。もう少しちゃんと読んで、観てから。
さておき、たぐちさんと飯田でお茶を飲み、お別れをして。
飯田の町を歩きながら、35年前、ピピ&コットでやってきて、泊まった旅館、もうやっていないんだ。高速のインターが出来てから飯田の駅周辺は寂しくなったようだ。
しかし「ふぉの」は頑張っている。今でも素晴らしいアーティストがやってくる。確かにお客さんはいつも一杯じゃないけれど、音楽が大好き、自分も歌う、プレイする人たちが根強くいる。
だからこそ、昔、私たちもこの飯田に来られたのだ。
マスターの小島さんは平常心の人だ。お酒も飲まない。でも善い音を作ってくれる。というかあまり音をいじっていないんだな。自然。
ポスターを作ってくださった中山さんが声をかけてくださり楽しい人たちが集まってくださった。もちろん35年前に私たちを呼んでくださった方も来てくださったし、名前は気になっていたけれど、やっと聴けてよかった、という女性の方もいて嬉しい。
2時間唄って、ちょこっと地味な打ち上げ。ふぉのの打ち上げも好きだ。マスターの漬けた漬物とかね。最後の合言葉はみんなで長生きしようだった!
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We are stardust We are golden ♪

中津川という地名を耳にするとその後に「フォークジャンボリー」という言葉がついてくるくらい、その時代に生きてきた人たちの一人である私。当時高校1年生だった私。あれから40年が過ぎて、一度も足を向けたことのない場所
「中津川」に新宿からバスに乗り出掛けた。
ピースジャンボリーという名前のコンサート。テーマは「FOLK」は
「PEACE」へと変化するという実行委員会からのメッセージだった。
「Folk」とは民衆。民衆が汗水流して働いて世界の経済があるのに、「Peace」とは真反対の戦争のために大事な民衆そのものとその汗と血でつくりあげた暮らしも大地も悲鳴をあげている。

このコンサートの中心になっていたのは、地元に住み、そして72歳になられても精力的に全国を廻ってまた地元で地域活動をしている笠木透さんと雑花塾の皆さんだ。
前日に会場に入り、夕方からいるひちたちのリハーサル。笠木さんは私の新曲でローザ・パークスのことを唄ったうたを聴いていたようで、楽屋に帰ってから、「いいね、でも日本には彼女のことをよく知らない人もいるから、もう一箇所くらいフルネームでローザ・パークスといれたら?」と声をかけてくださる。こういうイベントのようなところでそんなふうにアドバイスをしてくれる先輩はなかなかいないと思う。
小さな世界だ、それもフォークシンガーたちの世界。人の噂や悪口は聞いても
これからの人たちを育てようという人たちが増えていかなければ本当の
「FOLK」でもなければ{PEACE」でもないわけで、それ以上の会話をしたわけではなかったが、笠木さんの優しいお節介に感謝したし尊敬もした。

当日には、地元のダンス、土着民、が夢土下座というバンドの方々(名前だけ知っていました)田中三と言う方の朗読。
そして久々に会うパギヤンこと趙博さん、三上寛さん、素晴らしいパフォーマンスで笑って元気にしてくれた松元ヒロさん、またなんと40年ぶりにステージを生でみる高石ともやさん(お元気だったな、走っていたよ)
そしてまた地元の子供達とお母さんの合唱。
5時間のコンサート、私は殆ど舞台のソデで聴かせてもらい、それぞれのメッセージに込められた「平和、シアワセ」へのオモイに胸打たれたり、力強いステージングにあらためて感動したりで朝から夜までたっぷりとたのしませてもらい、外に出ると、山の湿った空気が心地よく、声をかけてくださった責任者のたぐちおさむさんにも心から感謝した。

打ち上げの2次会は、出演者の数人と、岡山から車でやってきた尾崎ツトムさんご一行(お元気!)山口の伊保木の上田さん、それぞれが、一言一言何か話すのだけれども、どういうものか、私はこういうときに話したいことをポロっと忘れて、なんだかおかしなことを話すことが多い。でも話は短いに越したことがなく、やっぱり「ありがとうございました」なのだ。

21世紀になって、そう、1960年、70年代にはなかったはじめての現象がこれだ、ギターを持って唄い続けている50,60,70歳代の少年少女たちだ。
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神戸の温かさ

今回のツアーの最終日は4月12日、神戸のまっちゃんライヴ。舞子のコズミック。
まっちゃんこと松本さんとは、5年前敦賀の南志郎さんの主催する「ひつじカンパニー」のライヴにやってきた眞城佳奈さんつながりで出遭うことになった。初めてあったのは「春一番コンサート」の芝生でかな、、。
それから、沢山お世話になった。フォークジャンボリーでは無理なお願いも聞いてくれた。まっちゃんや沢山の素敵な人たちが神戸の音楽シーンを支えている。震災前の神戸をよくは知らない私は、その後の神戸に通うにつれて、同じ関西でもまた違う空気をこの兵庫県の街に感じてきた。
港町というのは、それだけで特別な文化があると思う。私の住む神奈川も港横浜があって、やっぱりそこは自由の香がする。
まっちゃんは自分の好きなミュージッシャンのライヴを無理のないペースで淡々と、しかし100回以上やり続けている。
コズミックでやらせてもらうのは二回目。美味しいご飯もあるし、マスター夫妻もミュージッシャンだ。
今回は八巻くんにも唄ってもらうことにした。彼はずっと忙しく仕事をしていたので、練習する暇もないと言っていたけれど、やっぱり本番は関西魂だった。特にハーモニカの音は会うごとに素敵になっている。
私も、これが千秋楽だ〜〜〜とばかりに2ステージ20曲唄わせてもらう。拍手の厚みを感じながら、この温かさはやはり、震災という出来事から産まれた一体感のひとつなのかなと感じる。
打ち上げは美味しいご馳走でいっぱい。みんな楽しんでいる。でもひどく騒ぐ人がいるわけでもなく、次の日はみんな仕事。
余ってしまったご馳走はそれぞれパックに入れて持ち帰る。さりげないけれど大切な心根だな。
港町が培ったセンスと辛かったときを乗り越えた強さがこういう後味に良い夜に繋がっているのかもしれない。。。。
善い人たちに出会えることは幸福だ。

長いツアーだったけれど、ひとつひとつの出来事は写真よりも鮮明に私の心に焼き付けた。
  みなさん、ありがとう♪
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大阪のエネルギー

新大阪に八巻くん、通称わんちゃんが迎えに来てくれた。八巻夫妻の家は新大阪からすぐなのだ。なんと便利な、、、というわけでこの数年大阪というとこの八巻宅にお世話になっている。共働きで忙しいのに、本当に申し訳ないほど好きにさせてもらっている。奥さんの薫さんは私がいるだけで厄介だろうに、ライヴにまでお客さんで来てくれる。
到着の日はOFFなので、三人で近所の居酒屋でゴハン。お目当てのドテ焼きが品切れだったけれど、安い!安いのに旨いのは文句なしに嬉しい。
夫婦の会話はやっぱり関西だなぁ、、と思う。テンポがいいな。私がひとつ話しておるうちに、話題がもう転換している。そうでなくても私はゆっくりしか喋れないのだから。。。

翌日は、久々のヒポポタマス。店に行く前に萌のママから聞いた「ながいようさんが骨折して入院している」の情報を確認(本人に電話したらすぐ近くの病院だった)八巻くんとお見舞い。
顔色はとってもよく、そりゃお酒も飲んでないし、規則正しい生活。でもやはり早く退院したいだろうなぁ、、。こういう歳になってからの骨折は辛いと思う。お見舞いに懐かしき「ルービックキューブ」をプレゼント。いつごろ流行ったかも忘れたけれど、私は一面すら一色に出来なかった。八巻くんはすごい速さで前面綺麗に揃えられる。ながいさんも退院とルービックキューブ完成とどちらが早いかな。

ヒポポタマスに行くと、店先にホットドッグの出店が出来ていた。さっちゃんという女の子が仕切っている。そしてステージにはなんともレトロなアンプ!
ヒポポ大王の手作り。ほんの少し前まではミシンで洋服つくっていた大王、じっとしてないんだな〜いつまでも少年。
去年は宮崎勝之さんとのジョイントで、私が宮崎さんのマンドリンに必死にギターで挑戦?している映像はYOU TUBEで今でも流れている。。。。
観るたびに冷や汗だ。
ヒポポタマスがまだ今の場所に引っ越す前に、そう、だから京都のアコシャンの次に行ったのが始まりだった。あの時は凄く緊張していたな〜
一年に一度でもそういう場所(原点みたいな)で唄わせてもらうのは修行だな。
お客さんも変わっていくけれど、最初から聴いている人もいる。途中から毎回聴いている人もいる。
毎回、新鮮な気持ちで、楽しんでもらえるようにと祈ってステージに立つ。
客席はライトであまりよく見えないのだけれど、一曲ごとに頂く拍手と気配が
すぐに伝わる不思議な場所のひとつ。

平田ママが、恒例のキムチとチジミを差し入れてくださり、あっというまに反省会でみんなが平らげた。ビールおかわりに貢献したなぁ。

帰りは、途中で銭湯に寄ってさっぱりと。わんちゃん運転ありがとうね。

翌日は枚方で夕方早い時間からのライヴ。というか「チャリティー・コンサート」枚方市の野村いくよさんが主催して、収益金の一部をペシャワール会に寄付するというコンサートで唄わせてもらえることになった。
野村珊瑚夫妻とは去年、平田ママの紹介でお会いして、お洒落なイタリアンレストランで唄わせてもらった。
今回は、地元の教職員組合の建物の中の一室。全て手作り。でもみんな楽しそうに準備をしていて気持ちが良い。
野村さんは今は枚方市の市議であるけれど、その前は教師をしていらしたという。選挙は必ず4年に一回は来るわけで、それはそれは大変な毎日の積み重ねだと思う。
私のような、名も知れぬ唄うたいを敢えて呼んでくださり、そして日曜日の夕方にささやかなコンサートを開くという心の豊かさは、見習うべきものだと思った。野村さんの笑顔も豊かな笑顔だ。
打ち上げは陰で活躍したスタッフの方々と。賑やか!政治の話など出ない、しかし庶民の話だ。
大阪のエネルギーは本当に元気にさせてもらえる。
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2009年04月24日

カフェ・ド・萌

「ただいま〜」とドアを開ける。
「おかえり〜」と元気デハスキーな大声の節子ママに迎えられる。
大袈裟なことはひとつもない。
コーヒーをいただきながら、お喋りをする。ママは4月4日の渡さんの生誕祭に行って来たので、その話題から、ずっと二人で話し続ける。
話し続けながら、セッティングをする。マイクをセットして音を出してみたのだけれど、なんとなく生で唄ってみたくなった。自然に唄いたかった。
セットしたけれどまたしまう。そう、この店は全部自分でステージをつくるのだ。自分の納得するやりかたでやるのだ。
本番前には必ず、ママから賄いを頂く。きちんと平らげた。食べながらもママとは話が止まらない。
お客さんがチラホラと入って来て、するとママはキリっと本番モードになる。
楽屋などない店なのにこのモードをつくってくれるために、お客さんとナァナァにならずに自分も集中できる。これは大事なことだと思う。
奇しくも4月8日はお釈迦様の誕生日で、、という書き出しのFAXが張られていた。島根の歌うお医者さん「長坂ゆきひろさん」から私宛にメッセージ。
ありがたい。
岡山市内や倉敷からも皆さん聴きに来てくださった。
今は亡きマスターと渡さんのツーショットの写真を背に、生で2時間。気持ちの良い時間の中で唄わせてもらった。
萌では打ち上げはない。翌朝早くからモーニングがあるからだ。健康的、長い年月ライヴをし続けてこれたのは、こういうケジメがあるからだし、決して有名であるとか、売れているとか、まったくおかまいなし、ただ人間としての質をテストされる場所。
だから日本中から老いも若きも唄歌い達がやってくる。スケジュールがいっぱいだ。
ママから寝酒のビールをもらって宿に帰り、お風呂にはいってもまだ12時前。嬉しいなぁ。
翌朝はもう一度、給食をいただいて出発。
曲がり角で姿が見えなくなるまで見送ってくれたママ。行ってまいります♪
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神戸に移動

アコシャンの仲良しグループはこの日曜日は、鴨川の川原でお花見なのだそうで、ママもあまり寝ていないのにお花見の準備をしていた。私も誘われたけれど、この夜は神戸で唄うのだ。。それでもタクシーでみんなが集まっている処を通ったら、窓越しにビールとおつまみを投げ入れてくれた。。あ〜いいなぁ、、。
一方その頃、北大路の地下鉄駅前には、高校生の眞城家の長男ゆうすけくんが待っていてくれていた。荷物が重いだろうと、神戸の佳奈さんが息子にローディーをさせたのだ。車の送り迎えもありがたいが、こうやって電車を乗り継いで神戸から来てくれたゆうすけ、はじめてあった時は小学生だった。一緒に神戸六甲口まで花見の人ごみを掻き分けて眞城家に到着。
眞城家も玄関はいる時には「ただいま」を言いそうになる。

三宮のLAST WALTZ は、はじめてのお店。マスター吉岡さんから直接メールをいただいたて決めさせてもらった。お店は10人も入れば一杯になってしまうと言う。。そして、簡単がリハーサルが終わると、まさに10人いや正確には11人のお客さんがカウンターにぎっしり。満員御礼。
とにかく、店の名前のとおり、私くらいの世代の人たちが大好きな感じの、いや、かなりそれもマニアックな音楽が大好きな人達が集まる場所なのだ。唄い終わっても、お客さんは止まり木に腰掛けながら、マスターがビールを買い足しに出掛けていた。
神戸にまた、新しい面白い場所に出遭ってしまった。

帰宅して、眞城家の次男だいきくんに足の裏を踏んでもらう。極楽極楽。
翌日から二日間OFFなのだ。

翌日昼近くまで眠らせてもらって、子供達とテレビを観る。
関西ならではのワイドショーだ。ニュースなのにお笑い、でも、それは関西らしいユーモアであり、けっして気取らずに、物事をズバっと斬る技でもあると思う。関西魂だな。
夜は友人のりんぼうさんもやってきてみんなで野球を観ながら(阪神戦でっせ)お鍋を頂く。家族団らんに仲間入りさせてもらうだけで嬉しい嬉しい。
ゴハンが美味しい。テレビ観て笑う笑う、野球のわからない私も、あまりにも熱いテレビの前の観客に扇動されて阪神のサヨナラホームランで「ヤッター!」と叫んでいた。恐るべし。

翌日もゆったりと、だいきくんとお散歩などしたのだが、人から見たらおばあちゃんと孫の散歩か???まぁいいや、友達に年齢差はないのだ。
長男ゆうすけくんのギターが上達していて、私は彼からAのブルースのベースランを伝授してもらった。若者に教えてもらうのは大好きだ。

三日間、ゆっくりとさせてもらって、翌日4月8日はだいきくんの中学の入学式。見送ってから一人岡山の笠岡に出発。
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4月の旅はやはり京都からはじまった

4月3日、早起きをして京都へ。
やきにく「いちなん」のライヴは昼過ぎからなのだ。
店主、孫恵文(けいぶんさん)は頑張りやで明るい。私の京都での大切な友人。
お店は焼肉やさんなのに、そのビルの3階には素敵なサロンがあり、屋上にはパーティーが出来るスペースと花たち。素敵だ。

くすきしんいち(しんちゃん)が今年も2曲唄った。彼のテーマソングのような「イチジョージ・オン・マイマインド」はいつ聴いても好き。アンコールでもう一曲。

毎回聞いてくださるお客さんに加えて、いつもはじめての人たちを呼んでくれれて、そしてなんと私のアルバムを買ってくださった人には、恵文さんが、
¥3000のお食事券をプレゼント!というなんとも素晴らしいおもてなし。

だから、ライヴの後は階下のお店でみんな、食事をするこになる。

必ず来てくださる地元のぼんさんとしんちゃんとゆっくりと飲んで、食事して、それから私はこれから始まる長い関西ツアーの行く先々の人たちに葉書を書いて過ごした。

翌日唄わせてもらうアコシャンのママから「銭湯終わっちゃうよ」とのメールで慌ててアコシャンの裏にある私の京都のお風呂場に行く。
桜が七部咲きの公園を横切って、しかし寒い。
お花見の京都はいつも寒い。これから10日間の旅の間に、いったいどんなことが起きるのかしら。
今年もまた京都の桜。どうしてこんなに胸が熱くて少しセツナクなるんだろう、、、桜の不思議なちからのせい?私が生まれてから、桜は確実に55回は咲いている。もちろん他の花も、作物たちも、でも、桜はことのほか様々な想い出と一緒にいる。一緒に桜並木を歩いた昔の恋人の顔が思い出せない。。。と湯上りの夜桜に急にそんなことを思い出した。思い出せないことを思い出させるんだな、、桜の奴め!

翌日、アコシャンのママがおうどんを作ってくださる。そして御昼寝。

4月4日は東京の三鷹で高田渡さんの最後の生誕会があって、京都からも出掛けている人たちがいた。
私は、それでも京都で「その日」に唄うことを決めていた。別にそんなに深い意味があってのことではなく自然にそうなった。
「巻き毛のベイビー」という曲を渡さんがこのアコシャンで亡くなる直前に弾きかけたことが、私への最後のメッセージのような気がしている。
渡さんのギターの音色が好きだ。力強く、芯のある音。

アコシャンライヴは生声、生ギターだ。叡電の線路脇のこの小さなBar、唄っている間に何度も電車が行きかう。それほど生の響きのあるつくりではないのだけれど、私はアコシャンではずっと生で唄う。マイクがないと動ける。自由だ。
まだ、アルバムもつくっていなかった7年前にはじめてうたわせてもらってから、私の京都はこの左京区の小さな町が一番なじんでしまった京都だ。
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4月1日のお祝い

デザイナーAKIくんの22歳のバースデイ・ライヴに参加させてもらった。
AKIくんとの出会いは、タイコの元ちゃんのステージをK氏に誘われて恵比寿の美味しい料理屋さんの二階に連れて行ってもらったのが最初だったかな。

AKIくんは音楽も大好きだ。この日は、斉藤哲夫さん、平安隆さん、湯川トーベンさん、もちろん元ちゃんは叩きっぱなし、そこに私もコーラス・ガールとしてお祝いさせてもらった。リハが終わるころ中川五郎さんもやってきてもう、楽屋は賑やか過ぎ!

AKIにプレゼントを探していた。3月の私の誕生日には「モロフォ蝶」の絵が描かれた赤いパーカーをもらった。もちろんこの当日はそれを着て行った。

大島のオアシスで、素敵な石に出会った。「アマゾナイト」の原石。なんでも人の持っている才能を引き出してくれる力がある、、という石言葉が書いてあった。でもそんなことより、その石の真ん中に走るブルーの色がモロフォ蝶とそっくりだった。

AKIに渡したら、「スゴイ、今日は石のことも描こうと思っていた」と言ってくれた。嬉しかった。

哲夫さんも、平安さんも、そしてもちろんトーベンさん、元ちゃん、集まった人達、みんなAKIが好きだ。
バンマスは他でもないAKIだったかもしれない、、。賑やかな音楽と一緒に22歳のその日の絵が完成した。

元ちゃんが沢山の人たちに呼びかけをして沢山のお客さんもユラユラ体を動かしていた、AKIは自由に描いて、唄って,踊って、笛やなんとテルミンまで操った!
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渡るよ、渡ったよ、伊豆大島だよ!

RINCOLOのステージで目覚め、みさえさんの朝定食をしっかりいただく。卵焼き美味しい。
二人で、私が大島にわたる為に熱海港まで送ってくれる。みんなでお喋りしながら熱海はあっというまだった。
港の別れはあまり好きではないので、鴨宮からやってきたジョージさんとオジイとバトンタッチで、たかさん&みさえさんとはさようなら。さりげない。。という優しさ。

高速船で40分で伊豆大島に着いてしまう。去年お世話になった「オアシス」で今回の東海道の旅が終わるのだ。
ジョージさん、オジイと私たち三人を港で待っていたのは、トナカイ君。一足先に大島入りしていた。思えば、平塚に電車で行ったほかはずっと車で皆さんにお世話になりっぱなしだ。贅沢すぎる。
そして、オアシスでは、青山夫妻が笑顔で迎えてくださる。
去年と同じ部屋(オアシスは民宿)で、またまた御昼寝。
この夜のライヴは生声生ギター。そして若い若い青年ノブくんがサンシンを持ってきて、ボイスパーッカションもラップもやるミュージッシャンなのだそうだけれど、私のダルシマと彼のサンシンの弾き語りというサプライズを本番直前に決めた。こういうことが嬉しい。
去年、海岸で焚き火に参加してくれた人たちや、撮影でお世話になったカメラマンのHIROさん家族や、薬草茶をつくっているヒロくんや、オアシスのサロンが音と美味しいお料理とお酒とゆっくりとくつろぐ人たちで満たされた。

ママのじゅんこさんから、素晴らしいプレゼントをいただいた。ムーンストーンの大きな指輪。自慢にならないけれど、私は男の人から指輪らしきものをもらったことがない。でもこの「月の石」と言う名前の指輪、じゅんこさんがご主人に買ってもらったものだそうで、、でも大事にしまっておいたら指にあわなくなっちゃった、、のだそうで、、、。
ともかく、アリガタイ幸運を運んでくれる指輪と決めていただくことにした。

大島の明日葉の料理が大好き。湯がいてお浸しにしてもらって山盛り食べた。

島の時間はゆったりと流れる。翌日は楽しい休日!

みんな、それぞれに朝を迎え、私はトナカイ君の運転で三原山が全望出来る温泉の露天で景色を堪能させてもらった。去年はDVDの撮影でゆっくりできなかったから、あらためて三原山を眺めながら、あの「裏砂漠」での撮影のことを思い出したりした。
トナカイ君はこの日の船で帰宅。バカンスは終わった。しかし殆ど私の送り迎えに時間を費やしてもらってしまった。。。。大切な友達だ。

夕方から、ジョージさん、オジイ、ノブくん、青山パパ&ママでまずは焼き鳥屋さんへ、前夜もライヴに来てくれたよっちゃんがやっている店。
そして、やっぱり魚も食べたい、、という欲張り集団はオアシスの隣の居酒屋さんへ、でも満員。しばらくオアシスでおせんべつまみにまた飲む人たち。
ジョージさんから、私のこれからの生き方へのかなり真剣で厳しいアドバイス。肯けるところも多々あり、なかなか人はこんな風に厳しいことを本人には言わないものだ。私のこれからの数十年の心配を本気でしてくれている。
今回の東海道の旅、ジョージさんと大島に来させてもらった意味だ。

帰る朝が来た。港の温泉にもう一度はいって、オジイはそのまま島にしばらくいるらしく、私は午後の東京竹芝桟橋行きの船。ここでも、じゅんこさんやジョージさんたちに見送られるのは辛いので、さりげなく「ありがとう」を何度か言って、「行ってまいります」と別れた。

島はやっぱり時々行かせてもらわないといられない空間だ。360度海で、しかし山もあれば森もあり、あらゆる場所から人が移り住んでいて、特別な文化があり社会があり、そして時の流れはあまりにも緩やかで、豊かだ。

心が濁ってしまったかな、、と感じたとき、必ず何処かの島が呼んでくれる。

その陰に、たくさんの愛すべき人たち。  心から感謝!
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御殿場RINCOLO

RINCOLOのタカさん、みさえさんが鴨宮まで迎えに来てくださる。
ありがたいこと。
前回はなんとライヴの翌日、近くの温泉に行って、そのあと我が家まで送っていただいた。
今年はもっと「ゆっくりしようね」といっていたのだけれど、前後のスケジュールでアソビは出来なかったけれど、早めに着いたお店のステージ、そう、まさにステージの上に気持ちよさそうに布団がひかれていた。RINCOLOの会場は店(飲む場所)を通って奥まった部屋が作られている。防音、そして四角い小劇場。でも、このステージの上でゆっくり眠る人たちが多いのだそうで、なるほど外の音もしない部屋で熟睡。布団の中で、でも数時間後にはここで唄うんだよね、、と自分に言い聞かせて熟睡。
2時間後、布団をたたんで、リハーサル。落ち着く音。
賄いは、みさえさん特製の「牛スジ丼」美味しい。あ〜またレシピをもらうの忘れた。
チラホラとお客さんがやってきて、カウンターのテレビでサッカー日本対バーレーン戦にみんな釘付け。もうすぐ唄うんだけれど、、。

でもサッカーは後でもわかる、ライヴはその時間にしかないのだ。
オンタイムで始まり、客席にはお馴染みの顔、初めての人たち、そしてイギリス人の私くらいの年齢のご夫婦。
楽しく唄わせてもらい、大きなアンコールもありがとう!

お客さんはみんな殆ど、ライヴが終わっても帰らずにそれぞれ楽しそうに飲んだり喋ったり、イギリス人夫妻はこの夜がRINCOLOでの最後の日だそうで、これからインドに行くのだそうだ。元気だな。

私とみさえさんとゴッチャンは、やっぱり温泉に行きたくて、途中でそ〜っと抜けて見事に温泉入り!三人で露天で「オンナバナシ」をしていたら湯あたりしそうになったので(みさえさんはラビさんと前例があるらしい)店に帰ると。。。。まだまだみんないるんだ〜
音楽大好きな人たちの夜は長い。

私は湯冷めしないように、良い子の時間におやすみなさい!
さっきまで唄っていたあのステージは、また私の寝室に変身していた。
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2009年04月23日

ジーズ・キャフェの人たち

3月27日、ゆっくり休んで、午後は鴨宮から渋沢で用事を済ませ、なんだかもう、ジーズのロフトが我が家状態になっていて、帰ってくるとジョージさんのお父さん(みんなオジイと呼んでいる)が、採れたての鯵を大量に持ってきてくださっていた。私のことを「よっちゃん」と呼んでくれる。カッコイイ漁師さんだった人だ。
この高橋家には、ジョージさんの奥さんのヒデミさん、そして小学校5年生のルイちゃんがいる。ヒデミさんもルイちゃんもカッコイイのだ。二人とも精神的に自立している。私のほうがずっと子供っぽいかもしれないな。。。

夕方まで昼寝をして、リハーサル。あたるくんがPAをしてくれる。店の形が奥行きがあり唄う背中はガラスなので、音を作るのには難しいのだけれども、
私の去年のDVDのオープニングはこの場所のシーンからだった。
音のことなど忘れてしまう空気をジーズの人たちはつくってくれる。

金曜日の夜というのもあって、仕事で来られない人たちもいたけれど、そしてなんだかいろんなところで私の唄を聴いてくれる人たちが多かったから、新鮮が身上の私としては、選曲に悩む。
こういうときは、普段喋らないことや、曲にまつわる話をしよう。。。。
そういうライヴもあり!ゆっくりと、しかし2時間唄わせてもらいました。

賄いで、ヒデミさん、ルイちゃん、あたるくんと、オジイのおもたせの鯵ノタタキ丼をいただき、打ち上げでも私はもう一杯いただき、いつも美味しいキッシュを焼いてくださるお客さんの女性のお料理いただき、12時過ぎには解散。旅のシンガーの過酷な生活のなかで一番気をつけなければならないのが打ち上げ朝までコース。これを10年もやったらどこかをこわす。
ジーズはシンデレラタイムがあるのだ。
それが、またお客さんの体にも良いのだ。

た〜くさんの唄うたいの人達が、この店で唄って、飲んで、そしてまた旅を続けている。

いつか、なにげなく普段のジーズキャフェにゴハンを食べに、遊びに行ってみよう。お客さんとして。

ロフトの住人最後の夜。お世話になりました。
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BIG MOON CAFE

島田という町のことを知ったのは、このツアーが決まった時。
私が時々行く美容室の担当の青年の出身地を聞いたら「知らないと思いますけれど島田っていう町で、、、」
「えっ、其処に行くよもうすぐ」という会話をしたのが島田上陸一月前だった。
ジョージさんの車をトナカイ君が運転して2時間。ジョージさんはゆうべの飲み残しのワインを抱いて助手席でもうバケーション気分。いつもいつもジーズキャフェのカウンターとキッチンの中で奮闘しているかわりにOFFの時は「素晴らしい酔っ払い」になるのだ。トナカイくんがお酒の飲めない人であったことはこれまた素晴らしくラッキーなことなのだ。

道中、お茶畑が山の斜面の其処此処に。早々、駿河の国に入った。
島田の駅前からも大きく見える看板「Big MoonCafe」そして
出演「よしだよしこ」の名前!

階段を上がって店に入ると、カウンターとお座敷。わ〜、嬉しいじゃないこの空気。皆さんが笑顔で迎えてくださる。ジョージさんもワインからバーボンに。トナカイ君と私は美味しいお饅頭と美味しいお茶。

私のステージの前には「トホホ」という3人のバンド。マスターのトシさんはパーッカション。
だから、私の唄にもお付き合いいただいた。優しく心地よいリズム。PAはなんと中学2年生のトシさんの息子さんが頑張ってくれた。
お客さんも座敷に座る人、カウンター、そして立ち見の人、沢山!
ちょっとタイムスリップして70年代のサンフランシスコの友達の家でみんなで唄っているみたいだった。
最後はトホホ&私で「トホホのホ」というインスタントバンドで「Me&BobbyMacgee」を延々とやらかしました。
皆さん、ありがとうございました。

楽しい遠足の帰りは爆睡のジョージさんと安全運転のトナカイくんでまた鴨宮まで。
就寝AM4:00
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記

2009年04月22日

3月の締めくくりは東海道と大島

暫く旅から旅の日々だった。
なかなか家で落ち着いていられなかった。日記も久しぶり。

3月25日、平塚「ハッピーマウンテン・バー」肌寒い日。平塚駅の駅前にあったその店はどっしりとしたカウンターのあるBarで、琢磨くんという若い青年が一人で仕切っていました。数年前に彼の叔父さんの後を継いでいるそうで、その叔父さんはお酒と音楽をこよなく愛していた人だそうで、琢磨くんも頑張っているのだ。後を継ぐのは苦労もあるはず。
平塚だというのに、来てくださった方々が小田原、埼玉、東京、そして神戸、
私には馴染み深い人たちばかりでした。なんだかはじめての店という空気にならなくて、、それでも後半数曲となった時にライヴを知らずに入ってくれたお客さんもいて、嬉しかったな。
きっと次回はもっと地元のお客さんも来てくれるでしょう。
小田原からトナカイ小島くんが車で迎えに来てくれて、鴨宮のジーズキャフェに送ってもらう。
ジーズの店ではマスターのジョージさんが待っていてくれた。おなかのすいた私たちを近くのファミレスに連れて行ってくれて、なんとワインのマグナム瓶が出てきた。ファミレスで「いつものやつ」と言って何事もなく飲み物と料理が出てきてしまうのか??
ジョージさんトナカイくんとのツアーの始まりだ。
ジーズキャフェのロフトの布団にもぐりこんで熟睡。
翌日は、これまた生まれててはじめて行く、静岡の島田「ビッグ・ムーン・カフェ」
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記