四日市に帰るじゅんこさんの車で桑名の駅で降ろしてもらう。改札まで送ってもらう。三重ツアーは小田原のジーズカフェのジョージさんが全部紹介してくださった。素晴らしいポスターも小田原のジーズのポスターを作っている人が用意してそれぞれの店に送ってくださった。
旅は一人で大変でしょう?聞かれるし実際体を壊しそうに何度もなったし、私のようなアバウトな人間が、よくこうして動ける陰には、往く先々にまるでマネージャーのようなことまでしてくれる人達がいて、また旅をしている間も遠くからスケジュールを見守っている人たちがいてくれるわけで、一人なんかじゃない、私の体とギターとダルシマの360度に誰かがいてくれる。
桑名から名古屋まで10分少し。地下鉄で高岳まで10分少し。しかしやっぱり都会名古屋。いろんな人にぶつかりそうになりながら地下鉄の改札まで上がっていくと、「ひまわり」のとおるさんが待っていてくれた。駅からはすぎうなのだけれど、嬉しいじゃない!!
「ひまわり」は開店して二年目にはいった。街中ではないからライヴがないときはなかなかお客さんが来ないと、とおるさんは言っていた。でもこういう時代だからこそ、必要な場所や人や、そして歌があるはずなんだ。
佐渡山豊さんの新しいアルバムを聴かせてもらいながらおにぎりを食べた。とても良いアルバムだ。よいものが今沢山あってほしい。
犬山の「ふう」の小川さんも来てくださった。それからMさん、そしてはじめてのお客さんをとおるさんが一生懸命呼んでくださった。
前回は台風でお客さんが来れなくなったりしたけれど、今回は日曜日の少しはやめの時間にしてよかった。
ステージで曲のタイトルをあまり言わなかったりしていたので、この夜はきちんと言うようにした。曲にまつわる話もした。いろいろなかたちがあるし、ステージによってはテンポがあったほうがよい時もあるけれど、やはり丁寧に説明すると優しい空気になる。
お酒を飲まない人が多くて、売り上げ協力できなかったなぁ、、。
新幹線の最終に間に合うように考えていたけれど、結構ながく唄っていた。
みんなが帰って、また地下鉄の駅までとおるさんに送ってもらい、改札から階段を注意深く降りて名古屋まで。
連休最後の最終列車は満員で、みんな疲れた顔をしている人達ばかりだった。
座れなくてもと覚悟していたけれど、ちょうど車両の後ろの席に空きがあった。電車の後ろの席はシートの後ろにギターが置ける最高の場所なのだ。
みんなビール飲んでいたけれど、新横浜で寝過ごしたらいけないから旅の間持っていたスタインベック短編集を読んでいた。スタインベックも旅の人だった。
2009年03月24日
三重の三日間が終わり
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記
亀山の時間
じゅんこさんが亀山まで送ってくれると言う。三日間お世話になってしまう。
お彼岸の時はどこも道が渋滞している。30分足らずでいけるといわれたけれどやっぱり混んでいた。
景色が変わる。空気も冷たい。亀山の高台にある「月の庭」随分前から存在は知っていたけれど、なかなか行けなかった。行けないのには何か意味がある。そして行けるときにも意味がある。
先月、この「月の庭」のオーナーのまさるさんが亡くなったばかりだった。だからお会いすることもなく、どんなかただったかもわからずに、そういう時にやってきた。月の庭は表は乾物や体に良い食材や、お酒などを売っている。
オーナーのお父さんお母さん、そして奥さんや若いスタッフでお店をしている。奥さんのかおりさんは料理教室もやっているそうで、とにかくご挨拶して「大変な時に申し訳ありません」と言ったらば「もう落ち着いてきましたから」と丁寧に笑顔で答えてくださった。
奥にはレストラン「月の庭」がある。元気で笑顔が純粋な若者達が素晴らしく美味しいお料理を作っている。私達が着いた時も家族連れやいろいろな年代のお客さんが食べていた。
二階の間で唄うのだ。マイクはいらないと思った。気持ちよい響きだ。一緒に唄うのはまだ24歳の小川てつひろくん。唄うことが大好きなことがわかる。
彼が唄って、私が唄って、お客さんは若い人たちも多かったし、小さな人もいた。途中で眠っていたな。
私は亡くなったオーナーまさるさんのことを知らないけれど、うたっているうちになんとなく感じるエネルギーがあった。癌を発病してから4年間舞踏をやりつづけたという。この店もそういうエネルギーのある人がつくったから、集まってくるスタッフもそれぞれ素敵な夢を持って働いている。料理を食べればわかる。
てつひろ君とは、最後に私がダルシマを弾いて彼が「生活の柄」を唄った。この歌をこういうふうに誰かと二人だけで唄うのははじめてだった。
カリー河の筑田さんも、この店から独立した人だった。
打ち上げのお料理も玄米や美味しい野菜や黄金色に輝くお酒で若い人に囲まれて体も心もとても優しくなっていった。
じゅんこさんが車で昨夜も飲めなかったから、一緒に泊まらせてもらおうよと誘ってお酒一緒に飲めた。よかった。
宿舎はまた別にあって、小さい頃を思い出すような日本家屋だ。
じゅんこさんと、そんこに住んでいる健之助くんと炬燵で飲みなおしていたら、片づけを終わったみんなやてつひろくんが押し寄せてきて、ギターがあって、てつひろくんが唄いだす。子守唄みたいだ。私も数曲唄ってオヤスミナサイ。
翌朝、みんなは元気に厨房と店の中を動き回っていた。
ランチは見事なものだった。開店当初からあるという「キビナゲット」お漬物も沢庵なのにはじめて食べる味だった。
店長の加藤くんから聞いていた樹齢800年の銀杏の大木を見たくて、地図を描いてもらって、じゅんこさんに運転してもらって出かけることにした。
本当はもう数日ここにとどまりたいくらい気分が良かったのだけれど、これが私の旅。必ずまた時は来る。
みんなにサヨナラをして出発。
想像していた以上に銀杏の木はパワーがあった!もたれかかると暖かかった。
新しい緑の芽が一本生えていた。ずっしりと生きている!ずっと動かずに。
其処に行かねば会えないのだ。
お彼岸の時はどこも道が渋滞している。30分足らずでいけるといわれたけれどやっぱり混んでいた。
景色が変わる。空気も冷たい。亀山の高台にある「月の庭」随分前から存在は知っていたけれど、なかなか行けなかった。行けないのには何か意味がある。そして行けるときにも意味がある。
先月、この「月の庭」のオーナーのまさるさんが亡くなったばかりだった。だからお会いすることもなく、どんなかただったかもわからずに、そういう時にやってきた。月の庭は表は乾物や体に良い食材や、お酒などを売っている。
オーナーのお父さんお母さん、そして奥さんや若いスタッフでお店をしている。奥さんのかおりさんは料理教室もやっているそうで、とにかくご挨拶して「大変な時に申し訳ありません」と言ったらば「もう落ち着いてきましたから」と丁寧に笑顔で答えてくださった。
奥にはレストラン「月の庭」がある。元気で笑顔が純粋な若者達が素晴らしく美味しいお料理を作っている。私達が着いた時も家族連れやいろいろな年代のお客さんが食べていた。
二階の間で唄うのだ。マイクはいらないと思った。気持ちよい響きだ。一緒に唄うのはまだ24歳の小川てつひろくん。唄うことが大好きなことがわかる。
彼が唄って、私が唄って、お客さんは若い人たちも多かったし、小さな人もいた。途中で眠っていたな。
私は亡くなったオーナーまさるさんのことを知らないけれど、うたっているうちになんとなく感じるエネルギーがあった。癌を発病してから4年間舞踏をやりつづけたという。この店もそういうエネルギーのある人がつくったから、集まってくるスタッフもそれぞれ素敵な夢を持って働いている。料理を食べればわかる。
てつひろ君とは、最後に私がダルシマを弾いて彼が「生活の柄」を唄った。この歌をこういうふうに誰かと二人だけで唄うのははじめてだった。
カリー河の筑田さんも、この店から独立した人だった。
打ち上げのお料理も玄米や美味しい野菜や黄金色に輝くお酒で若い人に囲まれて体も心もとても優しくなっていった。
じゅんこさんが車で昨夜も飲めなかったから、一緒に泊まらせてもらおうよと誘ってお酒一緒に飲めた。よかった。
宿舎はまた別にあって、小さい頃を思い出すような日本家屋だ。
じゅんこさんと、そんこに住んでいる健之助くんと炬燵で飲みなおしていたら、片づけを終わったみんなやてつひろくんが押し寄せてきて、ギターがあって、てつひろくんが唄いだす。子守唄みたいだ。私も数曲唄ってオヤスミナサイ。
翌朝、みんなは元気に厨房と店の中を動き回っていた。
ランチは見事なものだった。開店当初からあるという「キビナゲット」お漬物も沢庵なのにはじめて食べる味だった。
店長の加藤くんから聞いていた樹齢800年の銀杏の大木を見たくて、地図を描いてもらって、じゅんこさんに運転してもらって出かけることにした。
本当はもう数日ここにとどまりたいくらい気分が良かったのだけれど、これが私の旅。必ずまた時は来る。
みんなにサヨナラをして出発。
想像していた以上に銀杏の木はパワーがあった!もたれかかると暖かかった。
新しい緑の芽が一本生えていた。ずっしりと生きている!ずっと動かずに。
其処に行かねば会えないのだ。
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記
カレラという店
白子という場所は初めてだ。でも電車や車で通り過ぎている場所だ。
「カレラ」なんとなく聞いたような名前だけれど意味はわからなかった。
お店に着くと、そこには見慣れた人たちがいた。津にいていろいろなところで会うNクン、ガスリー、それから一緒にうたうのはハーベストという二人組みなのだけれど、このリーダー格のSさんとは松阪や四日市でお会いしていた。だからなんだか知っている店のような気持ちになってしまった。
それから、沖縄ではじめて会ってその後四日市で結婚して2年前には大きなおなかでやってきてくれたあいちゃんがだんなさまと娘の心(しん)ちゃんと顔をのぞかせてくれた。おなかに入っていたベイビーはもう二歳でおしゃべりをしていた。
カレラは小さな喫茶店でお酒もいつもは置いていないようで、5〜60年代の
とても渋いJAZZのレコードがかかっている。
そして猫が二匹!フワフワのヒマラヤンは名前がドルフィー、サックス奏者のエリック・ドルフィーからつけたのだそうだ、もう一匹は私と一緒に住んでいたチャタロウとそっくりで!嬉しかったな。それから淡い色の油絵が数枚飾ってあって、それはみんな此処の店の主、きょうこさんが描いたものだそうだ。
まだ30歳代のきょうこさんが朝早くからランチも凄い手際の早さで切り盛りしているのだ。カリー河とはまた違った人たちが集まってくださった。
津にある「ええかげん」といううたう場所のご主人夫妻も、そして四日市のじゅんこさんの職場の同僚の女性集団が沢山!若い人も、男性も嬉しいけれど、女の人に聴いてもらうのもとても嬉しいのだ。
はじめてきてくださった人たちにはやはり選曲もアルバムに入っている自作の唄を中心にしようと想うのだけれど、カレラのJAZZにも敬意を、、と旧いJAZZを一曲。でも久しぶりだったからコードを間違えてしまった。それもJAZZ!って言いながら〈笑)
女性軍にはKASABUTA。
賑やかな夜になった。
お酒はないお店だから、持ち込んでくださったビールや焼酎と焼きソバとおにぎりの打ち上げ。でも楽しかったな。
みんなが喋っている間に、きょうこさんは翌朝の仕込みをささっと済ましていた。
翌朝、いやお昼にじゅんこさんが車で迎えに来てくれた。お昼ごはんにもう一度カレラに行った。ランチにドライカレー、二日連続カレー。
カレラってどんな意味?ときょうこさんに聞いたら「ポルシェのカレラ」と。
あぁそうだった、そうだった、さすがに鈴鹿らしい。
「カレラ」なんとなく聞いたような名前だけれど意味はわからなかった。
お店に着くと、そこには見慣れた人たちがいた。津にいていろいろなところで会うNクン、ガスリー、それから一緒にうたうのはハーベストという二人組みなのだけれど、このリーダー格のSさんとは松阪や四日市でお会いしていた。だからなんだか知っている店のような気持ちになってしまった。
それから、沖縄ではじめて会ってその後四日市で結婚して2年前には大きなおなかでやってきてくれたあいちゃんがだんなさまと娘の心(しん)ちゃんと顔をのぞかせてくれた。おなかに入っていたベイビーはもう二歳でおしゃべりをしていた。
カレラは小さな喫茶店でお酒もいつもは置いていないようで、5〜60年代の
とても渋いJAZZのレコードがかかっている。
そして猫が二匹!フワフワのヒマラヤンは名前がドルフィー、サックス奏者のエリック・ドルフィーからつけたのだそうだ、もう一匹は私と一緒に住んでいたチャタロウとそっくりで!嬉しかったな。それから淡い色の油絵が数枚飾ってあって、それはみんな此処の店の主、きょうこさんが描いたものだそうだ。
まだ30歳代のきょうこさんが朝早くからランチも凄い手際の早さで切り盛りしているのだ。カリー河とはまた違った人たちが集まってくださった。
津にある「ええかげん」といううたう場所のご主人夫妻も、そして四日市のじゅんこさんの職場の同僚の女性集団が沢山!若い人も、男性も嬉しいけれど、女の人に聴いてもらうのもとても嬉しいのだ。
はじめてきてくださった人たちにはやはり選曲もアルバムに入っている自作の唄を中心にしようと想うのだけれど、カレラのJAZZにも敬意を、、と旧いJAZZを一曲。でも久しぶりだったからコードを間違えてしまった。それもJAZZ!って言いながら〈笑)
女性軍にはKASABUTA。
賑やかな夜になった。
お酒はないお店だから、持ち込んでくださったビールや焼酎と焼きソバとおにぎりの打ち上げ。でも楽しかったな。
みんなが喋っている間に、きょうこさんは翌朝の仕込みをささっと済ましていた。
翌朝、いやお昼にじゅんこさんが車で迎えに来てくれた。お昼ごはんにもう一度カレラに行った。ランチにドライカレー、二日連続カレー。
カレラってどんな意味?ときょうこさんに聞いたら「ポルシェのカレラ」と。
あぁそうだった、そうだった、さすがに鈴鹿らしい。