2008年12月02日

一週間のたびの最後は博多

ずっとのどかな九州だったのに、福岡空港に着いたとたんに大都会の匂いだ。でもやっぱり九州。この日もOFF。偶然息子のライヴがあると知ってホテルで休んでから、天神にある通称「親不孝通り」(〜素晴らしいネーミング!)にある若者専門のライヴハウスに出かけた。中に入るとイスがない!辿り着いたらイスがない。素晴らしい親不孝達の憧れのライヴハウスなんだな。
息子の出番が一番目で良かった。私はスタンディングでタテに首は振れません。半年前より動きの大きなドラムを叩いていたな。元気なんだ。でも再会はそれで終わり。
私はすぐそばで食事をして待っていてくれている高松さんや博多で知り合った皆さんの仲間入りさせてもらう。サバの刺身、生き作り、食べ終えた骨や頭はから揚げ。そう、イカなども刺身で食べた後テンプラになる。博多はやっぱり美味しい。そして私以外は教育者という仕事をしている人達なのだが、これまたみんなお酒強い。高松さんに会ったのは、何度も書いているかもしれないけれど、沖縄の波照間島だった。島が大好きな人たち。宮古のトライアスロンや沖縄マラソンに出場している人もいるのだ。皆さん翌日の私のライヴには行かれないので、こうして賑やかに会えてよかった。なんとご馳走していただいてしまった。。。
この夜は早寝。そうそうお酒を程ほどにするようになって、水を沢山飲むようになって一ヶ月、かなり調子がいい。旅先でお腹をこわさなくなった。元気だ。
翌日は息子の通っている学校に挨拶。しかしなんと息子は欠席!やられた〜
先生がたと話し込んで待っていたけれど、この日がツアー最後のライヴだ。
お腹空いたな〜博多ラーメンってあまりにも多すぎてわからないよ〜
ライヴハウス「なべや」に空腹のまま。マスターなべさんは京都の人。でもずっと博多の人みたい。ブルーズが好き。木村さんや有山さんもここが好きで唄いに来る。狭いステージなのだけれどすごく音が良い。
ピアノのまいちゃんとバイオリンのてっちゃんが最初に演奏。なべさんは息子娘のようにフレーズごとにうなずいている。優しい。
去年も来てくれた人、そして小倉で会って、大分のhakoを紹介してくれて、今度博多でお店をはじめるという太郎君も忙しいのに来てくれた。
なべやはブリキのさんちゃんに連れてきてもらったし、人間力に支えてもらっている。なべさんは面白い、私のMCの途中を見計らってSEで波の音を流す。タイミング良過ぎ。アイヌのウララスゥエの前に流れた。やっぱり凄く優しい。なべやには食べものらしきメニューがないのだけれど、隣の店から出前を取る人もいて、満員の中、旅の最後のライヴは渋くてそして賑やかでおかしかった。お客さんがおでんをいっぱい注文してくださった。寒かったからおでんは打ち上げに最高の食べものだ。ご馳走様。気がつくとなべさんは隣の店で一杯ヤッテイルヨウデ、カウンターにはさっき客席にいた女性が入ってお酒を作っていた。そういえばそんなお店いままでかなり沢山行ったな。時には私がカウンターにいたこともあった。あの場所は妙に落ち着く。

太郎君たちともさようならをして翌日は羽田まで飛ぶ。

翌日の福岡空港に息子が見送りに来てくれる。何食べたい? 「ウナギ食いて〜」空港のレストランってなんであんなに高いの?でも親に変身。
な〜んてことない話して、インフルエンザワクチンするように、手洗いうがいしろ〜なんてあいも変わらずのオカンになってランチは終わり。
渡したワクチン代、ほんとに病院行ったのか?し〜らない!

インドのテロ、そしてタイでも、、羽田も厳重警備だった。
ガンディー!!キング!! 宇宙の彼方から叫んでください。(祈)
No.23
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記

延岡 OUT HOUSE

去年の夏、やはり大分のhakoで本当にビックリしたことがあった。そう、若者が大半の客席に、なんだか私と同じくらいの年齢の男性二人。どうも地元の人っぽくない。唄い終わってみんなが帰り始めた時に二人のうちの背の高いほうの人が話しかけてきた。立った一言「LOWDEN」うん??ナニ??
そうしたらもう一人の人が車から見覚えのあるギターケースを抱えてきた。
「あっ、そ、それ LOWDEN、、、、」
不思議すぎる。。なんで?
「買ったのは私です。よしこさんが弾いていたのですよね」そう、私が手放した可愛いLOWDEN−S25のカスタム。アルバム「ここから」の録音のために買った。でも次のアルバム制作のために楽器屋さんに売った。買ったのは延岡の市田さんだった。日本でも数少ないタイプだったから私が持っていたのでは?と調べていたそうだ。延岡から市田さんに頼まれて運転して(オニギリ2個で)いたのが高千穂に今回連れて行ってくれた首藤さんだ。
hakoの客席でそ〜っとケースを開けて弾いてみる。懐かしい音色。やっぱり素晴らしいギターだ。それからその日のうちに延岡でのライヴの約束をして、そして2回ほどそのギターをお借りした。今年作ったアルバムの中の「お蕎麦」という曲でLOWDENくんは響いている。
こんないきさつがあって、延岡に行けるようになった。去年はブリキのがちょうのさんちゃんと、永原元くんと濃い〜ライヴだったけれど、今年はゆっくりと一人のライヴになった。お客さんも去年と違う人たちもいらして、忙しい仕事の合間に集客をしてくださったのがこの幼馴染市田さんと首藤さんだ。そしてOUT HOUSEというお店のマスターも二人とは小さい頃からの同級生。今時なかなかそういう仲良しはいない。うらやましいな。
三連休の最後の夜だったからお客さんも翌日の仕事もあるだろう、、と、少し短めのステージにしたつもりだったけれど、やっぱり10時くらいになった。
首藤さんがバンジョーで参加してくださった。
唄の旅は不思議が一杯だ。
打ち上げはひっそりと(去年は大騒ぎだったな)近くのお店に連れて行ってもらった。本来の打ち上げだ。現場の蔭で苦労してくださった人たちがささやかにする打ち上げ、好きだ。でも小三のたいちくんも参加。彼はチキン南蛮をたいらげたらぐっすり眠った。二日間大人ばかりの中で頑張った。
翌日は延岡駅まで市田さんが送ってくださった。そういえばJRの延岡駅は初めてだった。今まで車やバスでJRを使っていなかった。
「また来年」と約束をして、Mr.LOWDENと延岡に「行ってまいります」をした。
宮崎空港まで電車で、そして福岡まで飛行機。これも初めて。電車を使ったら5時間はかかるという。宮崎知事が、頑張るはずだ。九州は交通網が不便なところが多い。でもこの在来線から見えるキラキラの海や、阿蘇の山々は新幹線や高速道路が出来上がるとどんな風に見えるのか。。。。
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記

楽しい休日

ツアーが続くと疲れは溜まっていく。しかし移動や宿泊や様々な事情で連日10日なんていう無茶や25日間言えに帰らないツアーなんていうのも今年は経験した。もちろん毎回、毎日、場所は違うわけだから、本番前のスィッチが入れば嬉しくなって唄いだすのだが、やっぱり集中できなくて苦しくなることはごまかせない。
休養、休日、OFFもたいせつな仕事だと思う。そのスケジュールをつくるのも仕事だ。
今回の九州。本当は11月23日に宮崎が入っていたのだけれど、直前に中止になる。間に入って奔走してくださった延岡の首藤さんは恐縮していたけれど私にとってはありがたいOFFになった。
せっかく宮崎の休日だからと首藤さんが車で高千穂に連れて行ってくれるということになって、熊本から延岡行きのバスを途中下車して高千穂峡。首藤さんの息子たいちくん小学校三年生も一緒。宮崎県民でも高千穂という歴史、いや神話の景勝地に行ったことがない人もいるという、ましてや私などきっと一人では一生行かなかったかもしれないな。そう、あのアマノウズメがアマテラスオオミノカミを最古の神楽(舞)で洞窟から誘い出したといわれている場所。
しかし11月の紅葉の季節、ヒトヒト人、、、。
それでも小三の少年も元気、首藤さんも行ったことがないというその洞窟と賽の河原へ降りることを決行。渓流づたいに川原に下りて行く。マイナスイオンは気持ちよかったのだけれど。。。やっぱりニッポン有数のパワースポット。
現地に降りたときに首藤さんはかなりゾクっとしたパワーを感じたらしい。私はあまり近づかない様にして、そこにいる人たちの観察。みんなあんまり笑っている人はいなかったな、、「ひとつ積んでは親のため〜」という石ころが積まれた(私にはかなり悲しいお墓みたいに見えた)ちいさな石の塔が川原一面にある。元気なのはたいちくんだけだった。。
でも行って見なくてはわからないものが世界中にあって、連れて行ってもらった首藤さん親子に感謝。
人の波から開放された瞬間、たいちくんが「ピザまん食べたい」、、そ、それはね町まで行かないとないのね、、ということで、翌日の主催者市田さんの職場がある延岡までたどり着き、その夜はとりあえず前夜祭の食事をごちそうになって、しかし市田氏&首藤氏のなんともいえないユーモア溢れるやりとりはなかなかの年季がはいっている。幼馴染でお互いにいまだに音楽にヤラれている。オジサンなのに少年だ。
早めの帰宅、ホテルでギターを磨く。

そういえば、高千穂でバスを降りるとき、運転手さんが私の楽器と荷物を見て
「お客さん、今夜祭りで歌う人?」と聞いてきたな。
う〜ん、あのパワースポットで〜?

早めに就寝。
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記

お寺ライヴ

今年の夏に大分のhakoという古民家を改造して若い人たちが集まってくるカフェで2回目のライヴをさせてもらったときに出会った大石ちさとさんから声をかけてもらった。保育園の保育士をしているという。静かに座って唄を聴いていてくれた。その静かな佇まいに存在感があった。
ちさとさんが保育園の同じ敷地にあるお寺、西光寺の本堂で若い兄妹ユニット「Baobabu」とのジョイントライヴを企画してくれた。そのお寺ではいろいろなライヴが行われていたようだったけれど、あまり詳しいこともわからずにその日がきた。大分空港まで迎えに来てくれたちさとさんは夏に会ったときとは少し感じが違っていた。なんでも自分でライヴを企画するのは初めてだという。物凄く大変だったと思う。別府は思いのほか寒くて、それもお寺の本堂はとても広くて隙間風で、大きなストーブが5個もガンガンと焚かれていた。ステージの後ろには寺山香さんというアーティストが描いた絵の幕がカーテンのように下っていて、手作りのパンや、ホットミルクや、玄米弁当を売っているコーナーもあって、薄暗い照明の中、だんだんお客さんが入ってきたらだんだん暖かくなってきた。Baobabuの二人は事前にCDを聴かせてもらっていたけれど、実際の二人はもっと素敵だった。彼らのご両親は私と同じくらいの歳で、子供達が小さい頃までは福生のハウスに住んでいたという。ハウスの取り壊しで大分の山でほぼ自給自足の生活をしているという。自然農法だから、草むしりや収穫の時は一家ならず、友人達が手伝っているという。そんな素敵な家族の中で自然に育まれてきた音楽は心地よい。セッションも一曲ずつお互いの曲。私は「道ばたでおぼえた唄」妹maikaちゃんのバイオリン気持ちよかった。そして彼らのオリジナル曲にダルシマで参加。これも気持ちよかった。2セットのステージだったけれど交互に演ったのでお客さんは飽きなかったと思う。兄のmirai君に「兄妹で仲良くていいね、ハーモニーも息が合うし」と言うと彼は「きっと東京や町に住んでいたら一緒にはやっていなかったと思う。山での暮らしでは他に音楽友達つくれなかったのが良かったのかもしれない」と、、、楽しんでいるな〜。
hakoの二人のオーナー寺澤君と松平君も来てくれていた。ちさとさんのまわりには沢山の若い良い人たちがいるのがわかる。そうそう、別府の博堂村に来てくれたにわとりさんもお仕事終わって来てくれていたし、保育園のお母さんと子供達もいたし、平日なのに遅い時間までみんな帰らずにいてくれた。
ライヴには残念ながらはじめからいられなかった高橋園長先生(住職さんでもある)が帰ってきて、近所で打ち上げ。園長先生と話してみたらビックリした。
あのお寺では生前の高田渡さんが五回ほど唄われていたという。園長先生はかなりお酒を飲みながら、渡さんとの思い出話をされた。ちょっと寂しそうだった。そしてちさとさんの奮闘ぶりと日ごろの彼女が子供に接する姿が素晴らしいと話してくれた。彼女ならきっと体当たりで子供達を愛しているんだろうな。
若者達はその後明け方まで場所を変えて起きていたみたいだったけれど、私にとってはツアー初日。それでもホテルに戻ったら2時近かった。
翌日大分駅まで、あまり眠っていないちさとさんが送ってくれた。
またみんなに会いたいな。今度はゆっくり大分にいたいな。私はまだ別府の温泉に入ったことがないのだ。
大分のバス亭から高速バスで熊本へ向う。阿蘇のあたりは大雨だった。九州の山越え。
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記