2008年12月01日

繋がる繋がる

熊本のバス亭にこの夜の音響をしてくださる竹田さんが立って待って下さっていた。初めてお会いする。この夜の会場はくまもと障害者労働センターが運営している「おれんじカフェ」。はじめての出会い。そしてこの出会いを作ってくれたのは、今年も行かせてもらった奄美諸島喜界島の米田さんという人だった。私はこうして初めてのところに行かせてもらっているのだ。
おれんじカフェに入ると恵ちゃんという女性が挨拶してくれた。彼女は少し会話をする時に時間がかかる。でもカフェの仕事を一生懸命覚えようとしていてレジに挑戦しているようだ。「よしこさんに葉書来てますよ」と言われてびっくりする。なんと先月山口伊保木村フォークジャンボリーで一緒だったパギヤンさんからの葉書だった。「なんで?」
そう、この労働者センターの施設長である倉田哲也さんの映画を作ったときに主題歌をつくったのがパギヤンさんだったという。
竹田さんから倉田さんのことを聞いているうちにご本人がやってきた。言語と手が不自由、だから全てのことを足でするのだ。携帯もなんと車の運転もだそうだ。そしてに薄い名刺入れから器用に名刺を一枚渡してもらう。
20人ほどのお客さんが寒い中集まってくれた。倉田さんは一番前で足拍子をずっととって聴いていてくれた。
センターをサポートをしている元気な若者も気持ちが良かった。
そして、小さな空間だけれども綺麗な音が響いた。
唄い終わり、アンコールは「虹の王国」だ。
後片付けをみんなでして、倉田さんが綺麗な和紙の祝儀袋の出演料をあごに挟んで「アリガトウゴザイマシタ」と言ってくださる。私も大きな声で「アリガトウゴザイマイタ」と言った。もちろんお酒やご馳走や賑やかな打ち上げなどない代わりにスタッフの皆さんが寒い外に出て見送ってくれた。
竹田さんのことをみんなが「先生」と呼んでいたので車の中で聞いてみると、教師をされていたそうだ。ずっと同和問題や障害者差別などの活動を続けているそうで、食事をしていないで音響をしてくださった竹田さんとしばらく食事をしながら話をした。バンドもされているそうで、やっぱり音楽は闘いには不可欠なものだと思った。
パギヤンも在日という立場でこの人たちと繋がっていたのだろう。
逢えて良かった人たちに逢えた夜だった。
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もう4回目になるのだ

熊本駅から二駅で宇土。ゆっくり荷物を持って早めにホテルに入る。ホテルのお母さんも去年はライヴに来てくださった。宇土は駅前も静かで繁華街らしきところもよくわからない。「カフェ・ポケット」はそういう土地の中ですごく元気で朝から夜まで沢山のお客さんがやってくる。22年もマスター&ママと今は息子さん中心に月曜日以外フル回転しているようだ。このお店を紹介してくれたのは「紙ひこうき」という知る人ぞ知るライヴをするスペースを長い間やっている本田さんとふうさんご夫妻だった。「紙ひこうき」を紹介してくれたのは青森の高坂一潮さんだ。一潮さんが倒れた時も、そしてそれより一年前に渡さんが倒れた時も「紙ひこうき」に電話したんだった。あれから4年だ。

ポケットのマスターもママの里美さんも若々しい。そういう繋がりだからいろいろなアーティストが唄いにやってくる。お客さんはいつもの方もあるが少しずつ変わっていく。今回も新しいお客さんが多かった。用事があって聴けないからと挨拶に来てくれた人もいて嬉しかった。
川口さんが今年も私の唄う前にギターのインストルメンタルを披露。真面目な人柄そのもので優しい音だ。
エレック時代に会っていたみどりちゃんが今年も来てくれた。去年より元気そうでそれも嬉しかった。
お客さんは少し年配の人たちが多かったから選曲も考えようと思ったけれど、自然に唄うことで初めての人にも伝わっていきますようにと、そして同じ場所で回を重ねても新鮮な気持ちでいられますように、、、と唄った。
ママからお誕生日のお客さんがいるから、、と事前に聞いていたので、お祝いのコーナーあり。細かい気遣いがお店を支えているから自分も一生懸命にさせてもらえる。
手作りのご馳走で打ち上げ。でも翌日もお店は朝からだ。ママがホテルまで送ってくださる。そして翌朝はマスターが早朝に熊本駅まで送ってくださる。
熊本からまた高速バスで阿蘇を越えて宮崎へ。
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記