2008年12月31日

オキナワツアー最後の3日間

与那国〜石垣経由〜那覇空港、あ〜都会だ!1時間遅れでやってくる元ちゃんを空港のソファでタイツに刺さってしまった与那国の思い出を一本一本抜いて待っていたら、目の前のイスにギターを持ってじっとしている少年。なんと石垣のブルーズ・ボーイ五郎だった!「五郎!」と声をかけるとびっくりしていたけれど、東京で撮影があるのだと言う。そうか、那覇も石垣に比べたら都会だけれど東京か。。。デビューのための準備だという。その頑固で諂わず繕わない君の音楽を楽しみにしているよ♪
この夜は国際通りのすぐ近くの宿に泊まるだけ。とりあえず元ちゃんとご飯を食べて私は自室へ、元ちゃんは友人のやっている店にタイコをかかえて出かけた。
翌日、NaturalToneのノリさん&はっちゃんとランチをご馳走になる。本島二日間は、この二人の尽力で決まった。いつもお客さんとしてきてくれていたけれど、一緒に唄えることが何より嬉しい。やっぱり音楽をやっている人間は自分もやらなくっちゃつまらないもの。
一日目、宿の近く「FavoriteCafe」それほど大きな店ではないけれど、若い人たちが集まるカフェだ。はっちゃんの友人で弾き語りをするりかさんもコーラスで参加してNaturalToneのステージから始まった。店の奥でゆっくり聴かせてもらった。曲は全部ギターののりさんが創るらしい。のりさんらしい優しい唄ばかりだ。いつかはっちゃんも創るともっとおもしろくなるかもしれない、、忙しい仕事をしながら週末に音楽を楽しんでいるのだ。
翌日もあるので、全員早寝。
元ちゃんはめずらしく翌朝早起きしてレンタカーを借りて南部へ探検。北谷出発ギリギリに駅から走って帰ってきた。走る元ちゃんというのも珍しい。
というわけで、北谷(チャタン)にあるモッズへ。モッズは3年前までコザにあった。はじめて一人で本島を旅して唄わせてもらったのは3年以上たっているのか、、。北谷は若者が沢山集まるどこかグアムあたりにあるようなプレイスポットだ。観覧車もあるのだ。新しいモッズは前より広くて、さぁ、お客さんどうなるかな〜、、マスターの喜屋武(きゃん)さんは相変わらず音に凝っていて気持ちよいリハ。
そして心配をよそにお客さんがほぼ満員だ!もちろんはっちゃん&のりさん&りかさんがお客さんを呼んでくださった。そして私の友達も友達連れて随分来てくれた。殆どが私の唄を聴いてくれるのははじめてのお客さんだ。
ギターの応援に与那覇春樹さんも来てくれていて、というかりかさん、NaturalToneとのユニットという豪華なステージだった。
私のステージでは、ダルシマの伴奏ではっちゃんにTimeAfterTimeを唄ってもらった。そして元ちゃんのタイコのソロコーナーもあり、その後私は最後の曲でギターの弦を切ってしまうほど弾けていた。自分でもビックリ!そして最後は出演者全員で私もはっちゃんもりかさんもハンドマイクで「STAY」!ビッグバンドだ!
あ〜終わりたくないよ〜帰りたくないよ〜オキナワ〜と叫んでいた。
しかし、終わりはあるのだ。次の出会いまで。
のりさんに那覇まで送ってもらう。お世話になりっぱなしだ。
最後にアクシデント。元ちゃんが店にリュックを忘れてしまったと言う。
結局今度ははっちゃん&りかさんが那覇まで。。。。
う〜ん、私たちは今度のツアーでどれだけの人たちにお世話になってしまったのでしょう、、、。
出会ったすべての島々の人たちに感謝。なた来年も元気に唄ったり、語ったり、食べたり飲んだり、出来るように、オキナワは柔らかいけれど、私などが簡単に語ってはいけないほどの歴史と現実を抱えて、それでもしなやかに私たちを迎えてくれた。
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記

2008年12月27日

はじめての与那国という国

今年の夏、ほんとうは与那国に行けるはずだった。しかし土壇場でキャンセルになった。だからこのツアーでの一番のワクワクは与那国島だった。しかしだ!そうしかし!またもやドタキャンになったのは出発間近一週間くらいの時。。。しかし、しかしだ!もう飛行機のチケットは買ってあるし、どうしても行く!と決めた。しかし、しかしだ!誰に?何処に?連絡したら行って唄えるの?私も元ちゃんも八方手を尽くして、、というか宝探しみたいにいろいろ調べた。元ちゃんなどはネットで民謡居酒屋まで調べていた。彼が言うには「カレーやさんのユキさんち」というところでやっていた人たちがいたという。さっそくユキさんちに電話してみると「最近は近隣への音の配慮でライヴをしていない」という、、でももしかしたら、、といって松田さんという役所にいる人の電話番号を教えてくれた。ビンゴ!だった。松田さんは私たちの受け入れを頼まれていたのだけれど、私用で島にいない時期なので断っていたのだった。しかしだ!そこをなんとか、「どんなところでも唄います」というかなりの強行オファーをしたら、「どうにかしましょうね〜」という返事!
羽田出発3日前に与那国行きは決まった。
石垣から与那国までの飛行時間は25分。しかしだ!そこは今まで行った島々とはまったく違う風が吹いていた。東シナ海の風だ。
松田さんは、東京に親戚の結婚式に行く予定を私たちのために取りやめてくださっていたことを迎えてくれた車の中で知った。なんということだ!申し訳なくて「すみません、わがままでした」と言うと、「2000キロも遠くから唄いたいとやってきてくれるんだから」と言われた。島を半周して放牧地や断崖絶壁の荒い海を見せてくれた。
ところで今夜唄わせてもらうところは?と聞こうと思っていたら、松田さんから「島で知り合いは?」と反対に聞かれた。
元ちゃんが「ヨモちゃんっていう女性が与那国のひとで、東京で友達になって、今は結婚してスイス?スエーデン?かな、、」
松田さん「え〜!今夜お借りする家は、そのヨモちゃんの実家だよ!」
これには元ちゃんびっくり!私も一緒にビックリ!そんな偶然が日本最西端で起こるのか???
まずは電話でお世話になった「ユキさんち」にて美味しいカレーをご馳走になる。そして民宿さきはら荘へ。そこにもヘルパーで働いていてつい最近まで波照間で働いていた女の子がいて彼女が波照間で私のCDを聴いていて、、という嬉しい偶然もあった。
会場は田頭(たがみ)さん宅。立派な民家だ。玄関先には子供達のための読みきかせの本が並んでいて、件のヨモ(四方)ちゃんの妹さんのルツちゃんは洋服のリフォームなどをしている。田頭ご夫妻に元ちゃんと四方ちゃんの話をしたらやっぱり驚かれたが、もっと私が驚いたのは、スエーデンにいるヨモちゃんにネット電話(テレビ電話だ!)で元ちゃんが彼女の実家にいることを連絡してスエーデンにもビックリが飛んでいったことだ。
気持ちの良い空間で窓も出入り口も開け放して唄い出す。島の人たちが静かに聴いてくれる。本当に気持ちよい時間だった。
台所ではささやかな、しかしご馳走だったな〜打ち上げを用意してくださった。なんとこのライヴが決まったのは前日だったらしい。
ヨモちゃんのお父さんもお母さんも優しい、そして島の唄を勉強している青年とお父さんの横笛で一曲。これは元ちゃんのリクエストで、子猫のことを唄ったものだ。島では伝承していく人達が減っているという。
突然嵐のようにやってきた私たちに、一宿一飯、手厚いおもてなしだった。
翌日は飛行機が夕方なので、松田さんの車でまた島を廻る。途中で松田さんは仕事に、車を借りて島探検。気になるスポットへ。しかし踏み込んだとたんにジャングルになった。私のタイツには花のトゲトゲがハリセンボンみたいに刺さって痛い!しかしだ!ズンズンと分け入っていく元ちゃんの後を死に物狂いで追いかけて行く。もともと私はこういうの好きなんだな〜でも若者にはかなわないな〜、、そしてかなりパワーを感じる場所まで行ったが、それ以上はやめた。島にはやたらに入ってはいけない場所があるものなのだ。それを感じたので短い探検は終わった。元ちゃんから「まさかよしこさんついてくると思わなかった」と言われ「ふ、ふ、ふ、アナドルナヨ」というわけで、私は一足先に那覇まで。たった一泊二日の与那国は優しい人たちとの出会いと、自然の不思議厳しさ(台風は悲惨だ)のなかでスクっと存在する王国だった。
また会えるな、みんなに。感謝。
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西表には久しぶり

今年の夏のツアーでは西表には行かなかった。今回は「すけあくろ」のみつおさんの紹介で、はじめてのスペース。高台にあるオープンカフェ。夕日の時間は最高のロケーションだそうだ。。しかし西表らしい気まぐれな天候。夕暮れどころか、時々陽は射してるのに強い雨が降る。
屋根がまったくないところだから、一番心配なのは楽器だ。湿った空気にさらすだけで元ちゃんのタイコも私のギターも悲鳴をあげる。
でも雲がきれた夕闇のなかでシンゴくんという米などを自給して、唄っている青年がサンシンで歌い始める。奥さんや友達が踊る。シンゴくんももともとは東京の人だそうだ。西表にはこういういろいろなところから移り住んでいる人たちが多い。私の友達よりこちゃんの友達プレコさん一家も関西からの移住。
いまだにゴッツイ関西弁でダイビングハウスをやっている。息子の海やん(小1)が凄く逞しく、去年は幼稚園だったのに、、あえてよかった。
本番、私たちのステージになったらまた雨が、、今度は本降り!一目散に(お客さんより早かったか)バーコーナーに避難。それでも1時間近く皆さんにはスタンディングで生音で聞いてもらった。こういうことは島にきたら起こって当然であって、船さえ出ない日だってあるのだから、西表にこれたことだけでもラッキーだったのだ。民宿の「もりうみ荘」のみゆきさん交えて、隣の売店〈開いててよかった)でカップラーメン、つまみ、お酒買い込んで、食堂でなんだかんだとうちわだけの打ち上げ。なんたって節約です。島の人たちも倹しい暮らしです。お金やゴミを落としていくのは観光客の人たちです。浜には日本語ではない文字の書かれたペットボトルも沢山流れてきています、ここはもう大陸と眼と鼻の先なのだと思い知らされる。
もりうみ荘でも一番最初に私がオヤスミナサイ。翌日はさんしん屋という素晴らしいサンシンを手作りしてる奥田さんに友達を紹介したかったのだけれど、
あいにく奥田さんは山の中に入ってイノシシの罠を仕掛けている最中だった、今が猪狩りの季節、島の貴重な食料だ。
離島の船は甘く見ると大変なことになってしまうので、翌日の昼の便で石垣に戻る。一度ゆっくり西表の奥深く行ってみたい。。。もっとみんなと仲良くなってからだ。
石垣に昼に着いて、一日休日。いつも応援してくれてライヴで一番酔っ払って帰っていく「白百合酒造」の池原興一さんにはじめて醸造所を見学させてもらう。三代目のこいうちゃん、やっぱりいくら夜は酔っ払っていてもきちんと朝から白百合のためにはたらいているのだ。この場所から東京の居酒屋にも送られているのだ。お土産に「白百合」いただく。私はあまり泡盛を飲まないのだけれど、「白百合」という名前が好きだ。東京からの友達を空港に送ってから浜に行く。
元ちゃんが猛烈な勢いで大量の珊瑚のカケラを拾い出す。ダンボール一杯だ!どうするの?
どうも部屋に飾るらしい。集めてその後郵便局で自宅に送っていた。運転をしてくださった白百合酒造のこういちさんはかなりあきれていたかな。ああいうときの元ちゃんは「放し飼い」にするより他になすすべはない。
夕食はこうちゃん、みつおさん、ひゃくちゃん、元ちゃんと。元ちゃんは五郎君とすけあくろでセッションの約束。私もしばし二人のなんともいえないブルースのアドリブ観戦。五郎君はまだまだ原石のような存在だけれど、年上にも諂わず純粋に音楽しているところが素晴らしい。あと20年もしたら私のこと覚えていてくれるかな、、、彼は覚えていてまた一緒に演ってくれるな。
すけあくろの夜はかなり遅かったようだ。
翌日は憧れの与那国!
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2008年12月24日

オキナワの一週間のはじまり

今年最後の、それもこんな押し迫った時期に沖縄に行けるとは思っていなかった。いや、この夏に那覇でNaturalToneというユニットをやっているはっちゃんに、「本島だけでもいいから貯まったマイルを使って一人で来たいなぁ」と言っていたら、はっちゃんとギターのNoriさんがセッティングしてくれてスケジュールが決まった。でも二日間だけの沖縄ってあまりにも寂しい、などと考えていたらタイコの元ちゃんが、いろいろな想いがあって沖縄にどうしても行ってみたいことがわかって、急遽八重山諸島からはじまるツアーを組んだ。
羽田、人間二人にしては物凄い量の荷物。何度飛行機に乗っても、無事に乗り遅れないでゲートをくぐることが出来るのはホッとする。元ちゃんも私も何度か悲しい想いをしているからなぁ。飛行機を降りれば石垣島だ。夕方5時過ぎ。東京だったら真っ暗だけれど石垣は春のようだ。「すけあくろ」のミツオさんが迎えに来てくれる。ほんとうにいつもそう、寡黙だけれど優しい。車に乗ったとたんに「腹減った、ソバ食べたい!」という私たちを石垣一番だと思っている「のりば食堂」のウコンを練りこんだソバをご馳走になる。
でものんびりはしていられない、すぐに「すけあくろ」に入ってリハ。今回は元ちゃんからの提案で、宿舎である「楽天屋」の息子である高校2年生の五郎君とのセッションというスペシャルがある。楽天屋には数度行ったけれど、五郎君のことは知らなかった。ブルーズだ、渋いのだ、ジャズも旧いマニアックなものばかり聴いている。私の唄にハープで、そしてソロの唄とハープも、それは荒削りだけれど、何処にもない五郎君の音だった。こういう時代や流行とは無関係でそして純粋に音楽にのめりこんでいる奴がいるのが凄く嬉しかったな。
最後はドラムにナオさん、五郎、みんなでセッションになった。

それにしても、3時間半のフライトの直後の唄は、耳があまり良く聴こえなくなっているので、少々きつかったな。。。ミツオさんにそういったら「若くないんだからさぁ、、」と笑われたけれど。

お客さんはそんなに多くなかったけれど、いつもと変わらずの打ち上げ、お寿司、白百合酒造のこうちゃんはオデンを、サシミも美味しい、店の看板娘ひゃくちゃんも元気だ。食べきれないくらいのご馳走は瞬く間になくなった。
翌日は高速船で西表島に渡る。
私は一人で早めに楽天屋へ。打ち上げで頂いたお酒〜オリオンビール1本と少々。沖縄にきたらやっぱりオリオンしか飲まない。なんといってもこの湿度と空気に一番合う。
みんなは朝までコースだ。あ〜はじまったぞ、ウチナァ〜時間だ〜明日船に乗り遅れるなよ〜オヤスミなさ〜い。
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2008年12月12日

めずらしく

言葉より、メロディーが先にやってきた。
大きな旋律とリズム。。。さてさて。。。これはどうしましょう。
悩む。悩む時間に何しているかって?

新聞読む、散歩する、体操する、テレビ見まくる、昼寝する、ご飯つくる、
風呂、食べる、またゴロゴロする、ちょこっとギター触ってみる、声出す、
唄い始める、これは既にある唄の練習。PC開く、電話する、音楽流す。

「作りかけの唄たち」というファイルにはなんと30年以上前の日記の切れ端から、とんでもない数の紙、紙、紙。
しかし、今度のメロディーに似合うテーマはない。

好きな言葉
「自分自身の問題ばかり考えているとまったく前進できないのです。しかし
周りを見渡し、自分に何が出来るか考え、実行したならば、前へ進むことが出来るのです」(ローザ・パークス)

そっと、座って、自分に何が出来るかじっと考えてみるのが早道です。
途方もないことでも、みんなが「そんなちっちゃなこと」と言うような事でも。

祈ったことを明日やってみよう。すごくちっちゃなことなのだけれどね。
ローザさん。
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2008年12月11日

月の灯り

裏の竹薮は崖。しかし獣道ならぬ人が作ってしまった細い道があって、そこを通るとバス亭まで、コンビニまで、もちろん少学校までのバツグンのショートカット。私も毎日利用する。しかし夜は真っ暗。一人歩きは危険だ。大声で唄を唄いながら通ることがあるけれど、なるべく一人ではやめている。
昼間でも急勾配の道で2回転んだ。転ぶのは命取りだ。ステージに立てなくなったらお終いだ。
しかし満月の前夜の月はなんて明るいのでしょう、、。
裏の小道も灯りに照らされているはずだ。

先月の満月の日からの一ヶ月、いろんなことが起こった。
友達が二人、病で倒れた。親友のお母さんが亡くなった。
そして次々と黒枠の葉書。
旅の最中に聞いてしまう知らせは辛い。
お葬式も、お見舞いも、自分が元気でいないと行けない。

月は、そんな日々のことに走り回っていても、必ずまた「まぁるい姿」で教えてくれる。
「明日は、今日よりもっとヤルコトガアルカシラ?」
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2008年12月08日

TOKYO 2day’s

5日金曜日、昼過ぎから土砂降り。このところCHADで唄う日に雨にたたられる、、う〜んどうしようかこの荷物、、。どうやっても楽器が濡れる。何処へ行くにもギターとダルシマを抱えて歩いていたけれど、ツアーと違って都内にに行く時はバス停まで歩く、電車の駅まで歩く。びしょぬれは楽器が可愛そう。久しぶりにダルシマを留守番させて出かけた。ギター一本勝負。それもまた良いアイディアだと思った。いつもダルシマで唄っていた曲をギターでうたうのだ。CHADについたころには雨はやんでいた。そして師走の金曜日にもかかわらず駆けつけてくださったかたがたと和やかな時間だった。お店はBarだから、じっと聴きいる人、グラスや料理の音、小さな話し声、毎日のように行われているライヴをしている人達の息遣いも染み付いた場所、もう4年ちかくお世話になっている。東京でレギュラーで2〜3ヶ月おきに続けるにはそれはそれでなかなか難しいものがある。お客さんも同じ人たちが多いから毎回何か新しいことに挑戦しなければと思ってやってきた。失敗することもあった、それは練習不足だったり、ツアーでの疲れで集中できなかったり、毎回反省する。そして反省からまた生まれるものも沢山あった。挑戦しなかったらわからないことだ。ミスをしてはいけない、でも挑戦しないほうがもっと悔やまれる。CHADの本田さんと集まってくださるお客さんにそういう意味でも感謝なのだ。15人でいっぱいになる小さな店で私の挑戦は養われている。

7日、高円寺「Alone」二年ぶり。この日で今年の東京のライヴはお終い。まさえさんが企画をしてくれた。
昼間の二時からのライヴ。朝7時過ぎに起きた。セットリストを作る。どの唄も唄いたい。でも時間は二時間弱。悩んで悩んで、ドキドキするけれど今日はお客さんへの感謝のライヴだ。高円寺に昼に着いて大急ぎでマイクチェック。本番まで30分弱で楽屋で20曲を確認、忙しかったな〜
30人ものお客さん。遠くは名古屋、宮城、静岡、私より早起きしてくださったかもしれない。初めて来てくださった方も、そしていつもいつも私を支えてくださっている人たちも。ありがたい、シアワセ者だとつくづく思う。嬉しくってステージに駆け上がった。
Aloneは小さなスペースだけれども、余計なものがない四角い箱で、だから小さいのにコンサートホールに立ったような感覚。照明も綺麗で、何しろ音は抜群に綺麗だ。オーナーの井上さんがまさに一人でやりきっている。凄いな。沢山唄いたいからあまりおしゃべりはしなかった。昼に唄うには、本当はその何日も前から体を慣らしておかなければいけないのだったけれど、ちょっと声が出しにくかった、、。これは申し訳ないと思った。しかし、時間を作ってきてくださった方々に、一生懸命「今の自分」を唄いきろうとズンズンとうたった。
新しい唄、今年もいくつか出来た。それはまだまだ生まれたてで、心もとないところあるけれど、いつもいつもおんなじ唄ばかりでは「マイクの向こう側もこちら側も新鮮ではない、話す内容もそうだと思う。」
まだまだこれから20年以上は唄わせてもらおうと思っているのだもの、私はこういうやりかたで少しずつ成長させてもらおう。方や策ではない、自分と目の前の人を信じて飛び込むんだ。やりかたはそれしかない。
このTOKYO二日間でしっかり掴ませてもらった。ありがとうTOKYO!

高円寺のヤキトリやさんでささやかに乾杯!
その後私は代々木のライヴハウスで行われている恒例の「トラ・トラ・トラ」を聴きにいく。昼間とはうって変わっての爆音だ!ミチロウさんもラビさんもかっこいいな、NYのマサさんのサックスの音好きだ。
そしてこのイベントをやり続けている佐渡山豊さん、新しい唄もかならず創りつづけている、凄い、そしていつも新鮮だ。
トラ・トラ・トラは忘れてはいけない暗号。仕掛けたのか、仕掛けられるふりをしたのか?いつも駆け引きの世界だ。不当な権力に屈しない民衆が増えなければいけない。強くなる!!騙されない!!
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2008年12月02日

一週間のたびの最後は博多

ずっとのどかな九州だったのに、福岡空港に着いたとたんに大都会の匂いだ。でもやっぱり九州。この日もOFF。偶然息子のライヴがあると知ってホテルで休んでから、天神にある通称「親不孝通り」(〜素晴らしいネーミング!)にある若者専門のライヴハウスに出かけた。中に入るとイスがない!辿り着いたらイスがない。素晴らしい親不孝達の憧れのライヴハウスなんだな。
息子の出番が一番目で良かった。私はスタンディングでタテに首は振れません。半年前より動きの大きなドラムを叩いていたな。元気なんだ。でも再会はそれで終わり。
私はすぐそばで食事をして待っていてくれている高松さんや博多で知り合った皆さんの仲間入りさせてもらう。サバの刺身、生き作り、食べ終えた骨や頭はから揚げ。そう、イカなども刺身で食べた後テンプラになる。博多はやっぱり美味しい。そして私以外は教育者という仕事をしている人達なのだが、これまたみんなお酒強い。高松さんに会ったのは、何度も書いているかもしれないけれど、沖縄の波照間島だった。島が大好きな人たち。宮古のトライアスロンや沖縄マラソンに出場している人もいるのだ。皆さん翌日の私のライヴには行かれないので、こうして賑やかに会えてよかった。なんとご馳走していただいてしまった。。。
この夜は早寝。そうそうお酒を程ほどにするようになって、水を沢山飲むようになって一ヶ月、かなり調子がいい。旅先でお腹をこわさなくなった。元気だ。
翌日は息子の通っている学校に挨拶。しかしなんと息子は欠席!やられた〜
先生がたと話し込んで待っていたけれど、この日がツアー最後のライヴだ。
お腹空いたな〜博多ラーメンってあまりにも多すぎてわからないよ〜
ライヴハウス「なべや」に空腹のまま。マスターなべさんは京都の人。でもずっと博多の人みたい。ブルーズが好き。木村さんや有山さんもここが好きで唄いに来る。狭いステージなのだけれどすごく音が良い。
ピアノのまいちゃんとバイオリンのてっちゃんが最初に演奏。なべさんは息子娘のようにフレーズごとにうなずいている。優しい。
去年も来てくれた人、そして小倉で会って、大分のhakoを紹介してくれて、今度博多でお店をはじめるという太郎君も忙しいのに来てくれた。
なべやはブリキのさんちゃんに連れてきてもらったし、人間力に支えてもらっている。なべさんは面白い、私のMCの途中を見計らってSEで波の音を流す。タイミング良過ぎ。アイヌのウララスゥエの前に流れた。やっぱり凄く優しい。なべやには食べものらしきメニューがないのだけれど、隣の店から出前を取る人もいて、満員の中、旅の最後のライヴは渋くてそして賑やかでおかしかった。お客さんがおでんをいっぱい注文してくださった。寒かったからおでんは打ち上げに最高の食べものだ。ご馳走様。気がつくとなべさんは隣の店で一杯ヤッテイルヨウデ、カウンターにはさっき客席にいた女性が入ってお酒を作っていた。そういえばそんなお店いままでかなり沢山行ったな。時には私がカウンターにいたこともあった。あの場所は妙に落ち着く。

太郎君たちともさようならをして翌日は羽田まで飛ぶ。

翌日の福岡空港に息子が見送りに来てくれる。何食べたい? 「ウナギ食いて〜」空港のレストランってなんであんなに高いの?でも親に変身。
な〜んてことない話して、インフルエンザワクチンするように、手洗いうがいしろ〜なんてあいも変わらずのオカンになってランチは終わり。
渡したワクチン代、ほんとに病院行ったのか?し〜らない!

インドのテロ、そしてタイでも、、羽田も厳重警備だった。
ガンディー!!キング!! 宇宙の彼方から叫んでください。(祈)
No.23
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延岡 OUT HOUSE

去年の夏、やはり大分のhakoで本当にビックリしたことがあった。そう、若者が大半の客席に、なんだか私と同じくらいの年齢の男性二人。どうも地元の人っぽくない。唄い終わってみんなが帰り始めた時に二人のうちの背の高いほうの人が話しかけてきた。立った一言「LOWDEN」うん??ナニ??
そうしたらもう一人の人が車から見覚えのあるギターケースを抱えてきた。
「あっ、そ、それ LOWDEN、、、、」
不思議すぎる。。なんで?
「買ったのは私です。よしこさんが弾いていたのですよね」そう、私が手放した可愛いLOWDEN−S25のカスタム。アルバム「ここから」の録音のために買った。でも次のアルバム制作のために楽器屋さんに売った。買ったのは延岡の市田さんだった。日本でも数少ないタイプだったから私が持っていたのでは?と調べていたそうだ。延岡から市田さんに頼まれて運転して(オニギリ2個で)いたのが高千穂に今回連れて行ってくれた首藤さんだ。
hakoの客席でそ〜っとケースを開けて弾いてみる。懐かしい音色。やっぱり素晴らしいギターだ。それからその日のうちに延岡でのライヴの約束をして、そして2回ほどそのギターをお借りした。今年作ったアルバムの中の「お蕎麦」という曲でLOWDENくんは響いている。
こんないきさつがあって、延岡に行けるようになった。去年はブリキのがちょうのさんちゃんと、永原元くんと濃い〜ライヴだったけれど、今年はゆっくりと一人のライヴになった。お客さんも去年と違う人たちもいらして、忙しい仕事の合間に集客をしてくださったのがこの幼馴染市田さんと首藤さんだ。そしてOUT HOUSEというお店のマスターも二人とは小さい頃からの同級生。今時なかなかそういう仲良しはいない。うらやましいな。
三連休の最後の夜だったからお客さんも翌日の仕事もあるだろう、、と、少し短めのステージにしたつもりだったけれど、やっぱり10時くらいになった。
首藤さんがバンジョーで参加してくださった。
唄の旅は不思議が一杯だ。
打ち上げはひっそりと(去年は大騒ぎだったな)近くのお店に連れて行ってもらった。本来の打ち上げだ。現場の蔭で苦労してくださった人たちがささやかにする打ち上げ、好きだ。でも小三のたいちくんも参加。彼はチキン南蛮をたいらげたらぐっすり眠った。二日間大人ばかりの中で頑張った。
翌日は延岡駅まで市田さんが送ってくださった。そういえばJRの延岡駅は初めてだった。今まで車やバスでJRを使っていなかった。
「また来年」と約束をして、Mr.LOWDENと延岡に「行ってまいります」をした。
宮崎空港まで電車で、そして福岡まで飛行機。これも初めて。電車を使ったら5時間はかかるという。宮崎知事が、頑張るはずだ。九州は交通網が不便なところが多い。でもこの在来線から見えるキラキラの海や、阿蘇の山々は新幹線や高速道路が出来上がるとどんな風に見えるのか。。。。
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楽しい休日

ツアーが続くと疲れは溜まっていく。しかし移動や宿泊や様々な事情で連日10日なんていう無茶や25日間言えに帰らないツアーなんていうのも今年は経験した。もちろん毎回、毎日、場所は違うわけだから、本番前のスィッチが入れば嬉しくなって唄いだすのだが、やっぱり集中できなくて苦しくなることはごまかせない。
休養、休日、OFFもたいせつな仕事だと思う。そのスケジュールをつくるのも仕事だ。
今回の九州。本当は11月23日に宮崎が入っていたのだけれど、直前に中止になる。間に入って奔走してくださった延岡の首藤さんは恐縮していたけれど私にとってはありがたいOFFになった。
せっかく宮崎の休日だからと首藤さんが車で高千穂に連れて行ってくれるということになって、熊本から延岡行きのバスを途中下車して高千穂峡。首藤さんの息子たいちくん小学校三年生も一緒。宮崎県民でも高千穂という歴史、いや神話の景勝地に行ったことがない人もいるという、ましてや私などきっと一人では一生行かなかったかもしれないな。そう、あのアマノウズメがアマテラスオオミノカミを最古の神楽(舞)で洞窟から誘い出したといわれている場所。
しかし11月の紅葉の季節、ヒトヒト人、、、。
それでも小三の少年も元気、首藤さんも行ったことがないというその洞窟と賽の河原へ降りることを決行。渓流づたいに川原に下りて行く。マイナスイオンは気持ちよかったのだけれど。。。やっぱりニッポン有数のパワースポット。
現地に降りたときに首藤さんはかなりゾクっとしたパワーを感じたらしい。私はあまり近づかない様にして、そこにいる人たちの観察。みんなあんまり笑っている人はいなかったな、、「ひとつ積んでは親のため〜」という石ころが積まれた(私にはかなり悲しいお墓みたいに見えた)ちいさな石の塔が川原一面にある。元気なのはたいちくんだけだった。。
でも行って見なくてはわからないものが世界中にあって、連れて行ってもらった首藤さん親子に感謝。
人の波から開放された瞬間、たいちくんが「ピザまん食べたい」、、そ、それはね町まで行かないとないのね、、ということで、翌日の主催者市田さんの職場がある延岡までたどり着き、その夜はとりあえず前夜祭の食事をごちそうになって、しかし市田氏&首藤氏のなんともいえないユーモア溢れるやりとりはなかなかの年季がはいっている。幼馴染でお互いにいまだに音楽にヤラれている。オジサンなのに少年だ。
早めの帰宅、ホテルでギターを磨く。

そういえば、高千穂でバスを降りるとき、運転手さんが私の楽器と荷物を見て
「お客さん、今夜祭りで歌う人?」と聞いてきたな。
う〜ん、あのパワースポットで〜?

早めに就寝。
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お寺ライヴ

今年の夏に大分のhakoという古民家を改造して若い人たちが集まってくるカフェで2回目のライヴをさせてもらったときに出会った大石ちさとさんから声をかけてもらった。保育園の保育士をしているという。静かに座って唄を聴いていてくれた。その静かな佇まいに存在感があった。
ちさとさんが保育園の同じ敷地にあるお寺、西光寺の本堂で若い兄妹ユニット「Baobabu」とのジョイントライヴを企画してくれた。そのお寺ではいろいろなライヴが行われていたようだったけれど、あまり詳しいこともわからずにその日がきた。大分空港まで迎えに来てくれたちさとさんは夏に会ったときとは少し感じが違っていた。なんでも自分でライヴを企画するのは初めてだという。物凄く大変だったと思う。別府は思いのほか寒くて、それもお寺の本堂はとても広くて隙間風で、大きなストーブが5個もガンガンと焚かれていた。ステージの後ろには寺山香さんというアーティストが描いた絵の幕がカーテンのように下っていて、手作りのパンや、ホットミルクや、玄米弁当を売っているコーナーもあって、薄暗い照明の中、だんだんお客さんが入ってきたらだんだん暖かくなってきた。Baobabuの二人は事前にCDを聴かせてもらっていたけれど、実際の二人はもっと素敵だった。彼らのご両親は私と同じくらいの歳で、子供達が小さい頃までは福生のハウスに住んでいたという。ハウスの取り壊しで大分の山でほぼ自給自足の生活をしているという。自然農法だから、草むしりや収穫の時は一家ならず、友人達が手伝っているという。そんな素敵な家族の中で自然に育まれてきた音楽は心地よい。セッションも一曲ずつお互いの曲。私は「道ばたでおぼえた唄」妹maikaちゃんのバイオリン気持ちよかった。そして彼らのオリジナル曲にダルシマで参加。これも気持ちよかった。2セットのステージだったけれど交互に演ったのでお客さんは飽きなかったと思う。兄のmirai君に「兄妹で仲良くていいね、ハーモニーも息が合うし」と言うと彼は「きっと東京や町に住んでいたら一緒にはやっていなかったと思う。山での暮らしでは他に音楽友達つくれなかったのが良かったのかもしれない」と、、、楽しんでいるな〜。
hakoの二人のオーナー寺澤君と松平君も来てくれていた。ちさとさんのまわりには沢山の若い良い人たちがいるのがわかる。そうそう、別府の博堂村に来てくれたにわとりさんもお仕事終わって来てくれていたし、保育園のお母さんと子供達もいたし、平日なのに遅い時間までみんな帰らずにいてくれた。
ライヴには残念ながらはじめからいられなかった高橋園長先生(住職さんでもある)が帰ってきて、近所で打ち上げ。園長先生と話してみたらビックリした。
あのお寺では生前の高田渡さんが五回ほど唄われていたという。園長先生はかなりお酒を飲みながら、渡さんとの思い出話をされた。ちょっと寂しそうだった。そしてちさとさんの奮闘ぶりと日ごろの彼女が子供に接する姿が素晴らしいと話してくれた。彼女ならきっと体当たりで子供達を愛しているんだろうな。
若者達はその後明け方まで場所を変えて起きていたみたいだったけれど、私にとってはツアー初日。それでもホテルに戻ったら2時近かった。
翌日大分駅まで、あまり眠っていないちさとさんが送ってくれた。
またみんなに会いたいな。今度はゆっくり大分にいたいな。私はまだ別府の温泉に入ったことがないのだ。
大分のバス亭から高速バスで熊本へ向う。阿蘇のあたりは大雨だった。九州の山越え。
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2008年12月01日

繋がる繋がる

熊本のバス亭にこの夜の音響をしてくださる竹田さんが立って待って下さっていた。初めてお会いする。この夜の会場はくまもと障害者労働センターが運営している「おれんじカフェ」。はじめての出会い。そしてこの出会いを作ってくれたのは、今年も行かせてもらった奄美諸島喜界島の米田さんという人だった。私はこうして初めてのところに行かせてもらっているのだ。
おれんじカフェに入ると恵ちゃんという女性が挨拶してくれた。彼女は少し会話をする時に時間がかかる。でもカフェの仕事を一生懸命覚えようとしていてレジに挑戦しているようだ。「よしこさんに葉書来てますよ」と言われてびっくりする。なんと先月山口伊保木村フォークジャンボリーで一緒だったパギヤンさんからの葉書だった。「なんで?」
そう、この労働者センターの施設長である倉田哲也さんの映画を作ったときに主題歌をつくったのがパギヤンさんだったという。
竹田さんから倉田さんのことを聞いているうちにご本人がやってきた。言語と手が不自由、だから全てのことを足でするのだ。携帯もなんと車の運転もだそうだ。そしてに薄い名刺入れから器用に名刺を一枚渡してもらう。
20人ほどのお客さんが寒い中集まってくれた。倉田さんは一番前で足拍子をずっととって聴いていてくれた。
センターをサポートをしている元気な若者も気持ちが良かった。
そして、小さな空間だけれども綺麗な音が響いた。
唄い終わり、アンコールは「虹の王国」だ。
後片付けをみんなでして、倉田さんが綺麗な和紙の祝儀袋の出演料をあごに挟んで「アリガトウゴザイマシタ」と言ってくださる。私も大きな声で「アリガトウゴザイマイタ」と言った。もちろんお酒やご馳走や賑やかな打ち上げなどない代わりにスタッフの皆さんが寒い外に出て見送ってくれた。
竹田さんのことをみんなが「先生」と呼んでいたので車の中で聞いてみると、教師をされていたそうだ。ずっと同和問題や障害者差別などの活動を続けているそうで、食事をしていないで音響をしてくださった竹田さんとしばらく食事をしながら話をした。バンドもされているそうで、やっぱり音楽は闘いには不可欠なものだと思った。
パギヤンも在日という立場でこの人たちと繋がっていたのだろう。
逢えて良かった人たちに逢えた夜だった。
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もう4回目になるのだ

熊本駅から二駅で宇土。ゆっくり荷物を持って早めにホテルに入る。ホテルのお母さんも去年はライヴに来てくださった。宇土は駅前も静かで繁華街らしきところもよくわからない。「カフェ・ポケット」はそういう土地の中ですごく元気で朝から夜まで沢山のお客さんがやってくる。22年もマスター&ママと今は息子さん中心に月曜日以外フル回転しているようだ。このお店を紹介してくれたのは「紙ひこうき」という知る人ぞ知るライヴをするスペースを長い間やっている本田さんとふうさんご夫妻だった。「紙ひこうき」を紹介してくれたのは青森の高坂一潮さんだ。一潮さんが倒れた時も、そしてそれより一年前に渡さんが倒れた時も「紙ひこうき」に電話したんだった。あれから4年だ。

ポケットのマスターもママの里美さんも若々しい。そういう繋がりだからいろいろなアーティストが唄いにやってくる。お客さんはいつもの方もあるが少しずつ変わっていく。今回も新しいお客さんが多かった。用事があって聴けないからと挨拶に来てくれた人もいて嬉しかった。
川口さんが今年も私の唄う前にギターのインストルメンタルを披露。真面目な人柄そのもので優しい音だ。
エレック時代に会っていたみどりちゃんが今年も来てくれた。去年より元気そうでそれも嬉しかった。
お客さんは少し年配の人たちが多かったから選曲も考えようと思ったけれど、自然に唄うことで初めての人にも伝わっていきますようにと、そして同じ場所で回を重ねても新鮮な気持ちでいられますように、、、と唄った。
ママからお誕生日のお客さんがいるから、、と事前に聞いていたので、お祝いのコーナーあり。細かい気遣いがお店を支えているから自分も一生懸命にさせてもらえる。
手作りのご馳走で打ち上げ。でも翌日もお店は朝からだ。ママがホテルまで送ってくださる。そして翌朝はマスターが早朝に熊本駅まで送ってくださる。
熊本からまた高速バスで阿蘇を越えて宮崎へ。
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