2008年11月19日

最終日はてんこ盛り

10日、月曜日。ふだんのツアーでは帰る日か移動かOffの曜日だ。でもここははずせない。心斎橋。
南の中心。雑居ビルとネオンサインと若者、おじさん、オネェサン、オニイサン、、ごったがえしている。
「パルチザン」はそんなビルの中でもかなり怪しいビルの、それも地下にある10人ちょっとで酸欠になるようなお店だ。ジョニー君というエエ奴が、昼間一生懸命バイトして、夜見せを開いている。
この日、パルチザンに行く前に、mikkoさんの書道の展覧会に出かけた。
mikkoさんとは、いつもツアーでお世話になるだけで、書家であるのは知っていたけれど、はじめて見せてもらう。「本名と違うから、私のがどれだか当てて」。。。でもすぐにわかった。谷川俊太郎の詩と、イサオ君の唄の歌詞だったし、やはり字は体を顕すのか、、そうだと思う。
mikkoさんのお母様が主催されている、そうお師匠だ。79歳。絶対見えない。私は字が綺麗でないし、とても雑に書く人間だから『書』は縁遠く感じていたのだけれど、いろいろな場面で手紙を書いたりするときに、この頃はやはり「こころ」だと、あたりまえだけれど思う。書をされる人は、物事に丁寧だと感じる。丁寧というのは心だ。
しばし79歳の先輩とお話しておミカンいただいて、パルチザンへ、いやその前に斜向いのタコヤキ屋『味穂』へわんちゃんと。
まずはビールといきたい所だけれど、神戸で大塚まさじさんに水健康法を詳しく教えてもらってから調子が良いので、ビールの前に自販機で買った水を一気飲みした。そしたら体が冷えてしまって、ビール飲めなくなってしまった。。
熱燗を頼んだのだけれども、どうもくぃ〜っと酔わない。。。飲みはわんちゃんに任せて先にパルチザンへ。斜向いっていうのに迷子になりそうになる。酔ってもいないのに、、、。アブナイ。。。。。

この夜は、ジョニーくんの提案で、高松洋子ちゃんという私の半分の年の女性と共演。洋子ちゃんはいつもパルチザンで私の唄を聴いてくれている。
でも彼女の歌を聴くのは初めてだ。
お客さん満杯!立ち見あり!
洋子ちゃんは三曲うたった。一日前に出来たという唄を最後にうたった。緊張は伝わってきたけれど、私は聴いていてとても爽やかな気持ちになった。
上手いとか、どうとか、名前とか、そういうものを超越したところで彼女はしっかり前を向いて唄っていた。媚びたり、手を抜いたりしている人がいたらきいてもらいたいと思った。正直に感動した。
最後の夜、おもいっきり弾けましょう!!と最後はみんなでYEA〜〜〜〜〜
御堂筋を渡ったほうに、お客さんを連れてライヴに来てくれた鎌倉研さんの店があって、ありがとうを言いにはじめて行ってみる。綺麗な店だった。午前3時まで奥さんと二人でやっているという、体に気をつけてね。
平田ママ、rokuさん、ゆめさん、わんちゃんとちょっとだけバーかまくらで反省会して、なんと帰りはママ経由、八巻家経由でわんちゃんがタクシーで送ってくださる。ありがとう。
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記

府中から亀有の旅

13日間のハードな移動の旅の疲れは、三日間くらい続いた。
でも15日には亀有。。。。私の家からは時間にして新横浜〜名古屋間くらいかかるかな。doobiekんこと鷲見さんの雑貨やさん。
この日は、先月山形の小国でお世話になったK氏からのお誘いで、小国からみんな来て、府中で芋煮会やっているから。。。というわけで、競馬で凄く混んだ電車でまずは府中。
みんな新米を持ち寄って、そして芋の子汁や炙ったイカの一夜干しでゴキゲン。私は30分だけおじゃまして、ハンドマイクでアドリヴの「ヤエサマネェナ」を唄って失礼したけれど、ちょうどビンゴゲームが始まるところで、商品がディープだったな、テンやキツネの毛皮もあった。
京王線、山手線、常磐線と乗り継いで亀有!
kidboxという店の名前どおり、何処を見渡してもニンマリするものばかりが陳列されている。ビートルズの絵のランチボックスやマリリンの人形、値段が書いてないのが怪しいな〜。
しかし、鷲見さんは下町っ子、あの物怖じしない普段の態度や書き込みの文章だけではわからない、繊細な人であることを、この「現場」に行って感じた。現場主義!彼もそうだな。いろんなところで会うもの。
お客さんは11人私とオーナーいれて13人。満席。
遠くは栃木から来てくださったかたや、いつも応援してくれる人たちに混じって、初めての人も、嬉しい。
差し入れのおでんとお店が用意してくれたおでんで、一杯になったテーブル。

しかし、これからのこの店のスケジュールは半端ではない。頑張って、亀有!
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記

今宵君と

神戸に2004年、はじめて一人で唄いに行った。まっちゃんこと松本史郎さんを紹介してくれたのは福井の南志郎さんだった。南さんはサンチャゴと呼ばれていて、この年の春に福井のイサラギ・ログハウスで村上律さんとのジョイントライヴをやってくれた。そこに神戸から小さな子供を連れてやってきていたのが眞城佳奈さんだった。神戸でまっちゃんの主催するライヴやいろいろなイベントのスッタッフをしていた(もちろんボランティア)。サンチャゴさんとはなかなか会う機会がなくなってしまったけれど、もう少ししたらきっとお互いに余裕も出来るだろうし、共作の「崩れ落ちるものを感じるかい?」は不滅だ。
そういう経緯でまっちゃんと会うことが出来て、神戸で唄わせてもらえるようになったのだった。年表をみてみると、まっちゃんが「まっちゃんライヴ」というのをはじめたのは9年前。その間に100回のライヴというのは凄いことだと思う。いつもは深夜まで忙しく仕事をして休みの日を準備や何かに費やす。店ではないのだから、儲けなど一切ないのだ。2年前にフォークジャンボリーを「月世界」というもとキャバレーでやった時など、お客さんの入りが読めずに貯金通帳をこっそり持参していたという。それを支えるスタッフの人たちも手弁当だ。そのかわり好きな人たち、聴いてみたい人たちを楽しいんで聴くライヴなのだ。
ステージでも話したけれど、若いときのまっちゃんの夢は「今宵君と」というライヴハウスをやることだったらしいけれど、お店などやっていたら、毎晩売り上げや歌い手のギャラなんかで悩みっぱなしでいただろう。そうしたらこんな温かなそして豪華なお祭りは出来なかったと思う。
「今宵君と」の出演者はまっちゃんライヴに出演した中でも多出演した人たちが中心。私はまっちゃん曰く「押しかけ」だったみたいで、それに楽屋では名前だけは知っていても話したことのない人達も沢山居て、、ちょっと最初は寂しくなってしまったけれど、ほとんどホールで先輩達の唄を聴いていた。
やっぱり関西のソウルはずっしりと根っこがあって感動する。
アンコールではまっちゃんもステージで泣いていたな。。。。。
神戸という土地に居る人たちは、あの震災以後よりいっそうの結束力と強さと優しさを育ててきたのかな。
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記

かんとだき

大阪の針中野というなかなか変わった地名の商店街にまたまた変わった名前「かいたにや」という酒屋さんがある。一昨年お世話になって二回目。
酒屋でライヴ?そうライヴ。細長いビルの各階は8畳くらいかしら、その三階とBarコーナーの二階が客席。唄は三階で唄う。料理も出すのだけれどキッチンは四階にあって、、そして一階は普通の酒屋さん、そして面白いのは地下に立ち飲みやがある。こうやって文章にしても良くわからないでしょう、、。
とにかくエネルギッシュな酒屋。
最近は量販店が沢山出来て、酒屋さんや薬屋さんなど、そして小さな商店街はとても苦労しているはず。
そんな中で「かいたにや」さんは大変でもふんばっている。
今の櫂谷繁樹さんは二代目。お父さんお母さんが戦後始めた店。そのお母さんが素晴らしく頑張りやさんでユーモアあって店を守り抜いた智恵のある方だと今回知った。もちろんいまの息子さんをみれば大体想像はついていたし、一昨年お邪魔した時には足の具合が良くなくて地下の立ち飲みやさんのもいらっしゃらなかった。昨年亡くなられた。
櫂谷さんからは、いろいろなものをいただいている。ワインの瓶くらいのドデカイ「エルメスソース」美味しい、しかし一人暮らしなのでなかなか減らない。熟成させよう。ビンテージ・ソースだ!
それから「ジョニ・ミッチェル」の音源。
そして今回はお母様が書かれた文集。200ページ以上ある。念願の出版だったそうだ。まだ半分までしか読んでいないけれど、決して大げさではないのだけれど、家族や家業のことなどが綴られていてスラスラとそして感動しながら読ませてもらっている。
立ち飲みやをはじめたのはこのお母さんだ。小さなお皿に酒の肴になるような煮付けや和えモンがあって、奥の鍋には「おでん」がぎっしり。関西ではおでんのことを「かんとだき」と呼ぶ。
繁樹さんが音楽好きだから、バーコーナーと共にライヴもはじまった。
智恵は受け継がれていくのだな。
音楽好きな人たちが集まってきてくれた。なにしろ美味しいお酒と肴でしょ、
お客さんはリラックスだ。
この夜もわんちゃんにハモニカ手伝ってもらう。
そしてsAinのイサオ君がPAをてつだってくれた。なおきくんもやってきてくれた。
わんちゃんには、忘れ物で新大阪〜針中野間を2往復半させてしまった、、、。今回は忘れ物多かったな〜〜〜
posted by よしだよしこ at 00:00| 日記